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【オーダーメイド物語】三原色の迷宮、蒼穹の響音

 なにがあろうとも、《惑いの森》に近づいてはならない。
 その最奥には、赤に青に黄に緑にと、網膜を焼き、魂を灼く程に強烈な色彩を伴う《言葉》が、《願い》が、《想い》が、ありとあらゆる《感情》が集うのだ。

 それらは集い、寄り合い、絡み合い、闇を呼び込み、呪を放ち、混ざりゆく。

 そうして極彩色の光を放つ諸々は、黒橡の混沌となって周囲を覆い、鬱蒼とした樹々と沼地を生み、入り組んだ《狭間の迷宮》と成って踏み込むモノを喰らい尽くす。

 ひとたび立ち入れば、ヒトなどたやすく取り込まれ、気づけば魂すらも溶かされるだろう。

 自我を保つことすら困難で、記憶を止め置きたいなどと思うことすらおこがましい。
 禍々しいほどの色に圧し潰されて、自壊することすらままならず、生きながら迷宮の一部へと変じていくばかりだ。
 しかし、この地へと踏み込んでなお、“在るがままに在り続けるモノ”は存在しうるのだと聞いた。

 曰く、

 賢者である。
 聖者である。
 隠者である。

 あるいは、

 先駆者である。
 先導者である。
 先覚者である。

 けれど真実の答えを知るものはなく、ただ囁くような口伝えのみが、ひそりと耳にした者の心を掠めていくに過ぎなかった。

 *

 その日、鈍色にうねる夜に《水晶の月》が昇った。
 起こりうるはずのない、奇跡の訪れ。
 月から滴り落ちた癒しの雫が有彩色の闇に注ぎ込まれた刹那、蒼穹の化身とでも呼ぶべきだろう彼の方が、迷宮の森へ姿を結ぶ。

 身にまとうのは、天空を内包し流動する美しい水のローブだ。

 気まぐれと呼ぶには明瞭な目的をもち、凛としてこの地を進むその一足ごとに、ローブの長い裾は、ねっとりと絡みつく黒橡の地に波紋を描き、触れた先から蠢く混沌を洗う。
 彼の方が進むその軌跡には、清廉なる紺碧の海が広がっていく。
 迷宮に生まれる漣に乗せて、彼の方の唇からこぼれるのは、シャンリルシャラリルと心地よく響く、無色透明な魂の旋律。
 途切れることなく紡がれ奏でられるソレが、シャン、シャラン、と応える音を捉えた。

 彼の方の視線が止まる。

 その人間は足を取られ、腕を捉えられ、泥のような黒きモノに頭を押さえつけられ、半ば地に埋まるように引き倒されていた。

 何度も見た、何度も目にした光景だ。

 数多の強烈な呪縛の色を浴びせられ、混沌に溺れ埋もれ、自身の色を見失って取り込まれかけているのだとわかる。
 その証拠に、捕らわれた胸や頭の内側からも黒きものが生まれ始めていた。
 もう手遅れだ。
 もう、どれほど抗おうともヒトには戻れない。

 だが、彼の方は、揺らぐローブから瑠璃の雫を滴らせ、溶けかけた人間の前にすいと跪く。
 既に機能しなくなって久しいはずの耳に届くよう、リリン、シャラリという音を響かせる。

『……ここに、いる、いた、いきが、いき』

 声にならない、言葉をなさない、途切れ途切れでか細く、力尽きかけながら、けれど確かに全身全霊をかけて生きたいと願い、助けを求め、もがく声は響音を成す。

『いきたい、いきがしたい、いきを……』

 天色の彼の方はひとつ小さくうなずくと、揺らぐローブに隠されていた両の手を伸ばし、どろりと厚く塗り込められた灰色の拘束を拭い取る。
 拭い取りながら、その唇より紡ぎあげた音色を注いでいけば、泥土の如き混沌は静謐の波に洗われて、美しい色の輪郭が浮かび上がるのだ。

『ひかり、ひかりが、いきが、こえ、きこえる』

 リリンシャラリルと魂の音で交わし、交わされる旋律の中で蘇るのは、透き通るほどの白藍、淑やかな紅桜、繊細なる淡藤。
 極彩色の灰色に飲まれ溶けたはずの人間が、ヒトの形を、自我を、在り方を、色を、魂を、ありとあらゆるものを取り戻していく。
 そうしてついに、“彼女”は閉ざしていた瞼を持ち上げ、こわばる唇に言葉をのせた。

「ここからでたい」「いきをしたい」「いきたい」「いきていたい」

 呼応するかのように、天色の視線が硝子細工の音色を響かせながら軌跡を描き、ついと流れる。

 たったそれだけの仕草で、彼の方が混沌の森に広げる紺碧の海から、天上へ向けて月光色の螺旋階段が組み上げられていく。

 淡く明滅するその姿は、歪で、不可思議で、心奪われるほどに透き通っていた。

目を凝らせば、木製の椅子が那由他に絡み合ってできていると気づくだろう。

 彼の方が示すままに、彼女は己の足で立ち、螺旋の端に手をかけた。

自ら伸ばした手を受け入れられ、抱くように護られて、彼女は混沌の地から旅立ったのだ。

 黒橡の混沌はいまだ獲物を捕えようと隙を窺っているというのに、彼女はもう振り返らない、立ち止まらない。

 ああ、美しい、なんて美しいのだろうと、そう考えた瞬間、天色を湛える彼の方が“こちら”を視た。

 シャンリル、シャラリルと、その旋律が“こちら”へと向けられた。

 ああ、なぜ、なぜこちらを識ることができるのか、こちらを知覚できるのか、わからないわからないわからない。けれど、願う、望む、自ら声をあげる。飲まれ擦り切れ潰され消え失せたと思いこんでいた自身の声を、今こそ全身全霊で響かせる。

『いきたい、いきがしたい、いきていたい、いきつづけたい』

 とうに失ったはずの想いが、願いが、切なる感情が、色鮮やかに息を吹き返し、この身を突き動かしていた。

 天色の彼の方はゆるりとひとつ頷くと。
 蒼穹を宿すローブから紺碧の海を広げ、滴る月の清廉さを湛えたその手を、確かに“こちら”へ向け、差し伸べてくれた。

***

【あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語】

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