【探偵は甘すぎる後日談】阿部ゆりあの決意【完売&増刷決定記念】
★探偵は甘すぎる〜白桃とイチジクのパンケーキ後日談
ごく微量のネタバレを含みますゆえ、「探偵は甘すぎる」本誌読了後推奨でございます。
後日談▶︎パティシエ阿部ゆりあの決意
人気店として長く続くパティスリーミヤマ初の姉妹店としてオープンしたパンケーキ専門店は、おかげさまでこの数ヶ月、連日客足が鈍ることなく忙しい日々を過ごせている。
店長でありパティシエでもある阿部ゆりあは、スタッフとお互いを労いつつ、サービスのブラッシュアップにも余念がない。
30歳を前に、店をひとつ任せてもらえる幸運と責任と真剣に向き合い続けている。
でも、ふとした瞬間、この店のオープン前にミヤマで起きた事件がフラッシュバックを起こしていた。
届いた脅迫状、エスカレートする悪意、疎外感と責任感の板挟み。
誰を信じたらいいのか、何を信じていいのか、ゆりあは正直何もかもわからなくなってしまった。
怖かった。
自分に向けられる感情のなにもかもが、重くて怖かった。
今でも時々夢に見る。
じっとりとした眼差しに囚われる夢。
まっくろな何かに首を絞められる息苦しい夢。
そうして心が軋む。
軋んで、また苦しくなる。
「深呼吸しろよ、阿部」
ひとりで回しているキッチンに、ふいに馴染んだ声が飛び込んできた。
「お前がピリつくとスタッフも店の空気も悪くなっちまうだろ。パフォーマンスを下げんな。ほら、いやでも笑え、笑顔は接客の基本だ」
使用済みの皿を重ねてホールから下がってきた吉沢だ。
「あ、ごめんなさい」
「おう、やりゃできんだから、オーナーといる時みたいにちゃんと笑っとけよ。笑えば心の余裕もできるからな」
「わかったわ」
なんだかんだと文句は言いつつも仕事のできるベテランの彼がスタッフとしてこちらにきてくれたことは大きい。
ミヤマでは販売ブースをメインに担当していたが、ここにきて彼のマルチタスク対応能力に何度も驚かされる。
それに。
彼は、自分自身はいやがらせの巻き添えにはなったけれど、そこに同調はしなかった。
まわりに流されず、びっくりするほど我が道を進む人。
彼が真っ正直に仕事と向き合う人だとわかってから、彼の言葉をアドバイスとしてすんなり受け取れるようになっていた。
そして、彼に褒められるのは、実は少しくすぐったい。
閉店後。
レジ締めを終え、カウンターに置かれた店のパソコンで予約表をチェックしていた吉沢から、キッチン清掃中のゆりあへ声がかかる。
「お、そういや土屋さんから予約きてたぜ。電話受けたんだ」
「え、本当?」
思わず手を止めて画面を覗きに行けば、三日後の予約枠に土屋の名前とニ名での来店が記載されていた。
「またきてもらえるの、嬉しい」
思わず、ゆりあの口元がほころぶ。
ミヤマで起きた嫌がらせのすべてを清算するとオーナーが決めたあの夜。
ほんの短い期間だけ一緒に働いた元自衛官だったという土屋は、あの瞬間、いろんな悪意から守るように自分を大きな背中に隠してくれたのだ。
彼は優しい。
本当にすごくすごく、優しい人だった。
自分の大切な人が一番苦しい時に助けられなかったことを後悔して、今度こそその人を守りたいと頑張り続けていて、その延長線上で出会ったばかりの人も守ろうとしてくれるくらいに。
たくさんの傷つく言葉が飛び交う中で、あの背中には絶対的な安心感があって、思わずすがるように彼のシャツを握ってしまった。
土屋というのが彼の本名ではないと打ち明けられてもなお、それは揺るがない信頼だった。
「土屋さんのお連れの方ってあの人かしら」
「俺、土屋さんの相手、アレ以来見れてねぇんだよな」
「レセプション以来かしらね」
「え? レセプションに女王様は来てないだろ」
「え? 女王様?」
「あー、阿部はこの話知らねーのか。土屋さんの同棲相手がすっげー女王様だって。自衛隊辞めたのも女王様の世話するためだとかさ」
なんとなく、吉沢と自分との間に認識の齟齬が生まれているのか、微妙に話が噛み合っていない気がした。
ゆりあは首を傾げつつ、確認する。
「……それ、土屋さんが一緒に住んでる方のこと、だよね?」
「そうそう。アレだ、ロクでもねー嫌がらせを解決したあん時さ、オーナーと一緒に来た警察の片方がじつは土屋さんのって話、後から聞いたじゃん」
さらりと、あの夜のことにも吉沢は触れる。
あまりにも自然に話すから、ついゆりあもふつうに返していた。
「あ、ええ。土屋さんをうちに紹介してくれたのも、実はその方なんだよね。わたし、おふたりが以前に店へ来てたのを見てて、改めて土屋さんに聞いたら教えてくれたわ」
「マジか! いや、ならめっちゃ納得したろ? いかにもな女王様で。迫力ありありの美人でさ」
「わたしには、そんなタイプに見えなかったけど」
「え、そうなのか?」
「たしかにすごく綺麗だなとは思ったけど……どちらかといえば可愛らしい人なんじゃないかしら?」
自分としては、土屋が護りたいと思うのも納得の可愛らしい人に見えたのだ。
ゆりあの作ったパンケーキを、あんなに幸せそうなとろける笑顔で食べてくれるなんて、パティシエ冥利に尽きる。
きっと土屋の手料理もあんな顔で食べているのだろう。
腕のふるいがいがあるというものだ。
「あれか、男と女じゃ見方が変わんのか? 俺には可愛いってのが理解できねーけど」
「どうなのかしら。もしかしたら、土屋さんから色々お話聞いてたからっていうのもあるかも?」
「あー、そうかそうか、なるほどな。そりゃ本人から聞いた話のがつえーし、正確だわな。土屋さん、ベタ惚れか」
「ん、二人を見てたら、お互いにすごく大切にしてるのが伝わってきたのよね」
それに、土屋と同じくらい、あの人も優しい人だと思った。
ミヤマで犯人を追及する姿だけを見れば怖いと感じるかもしれないけれど。
でも、美味しいものを誠実に作る人間を信用することにしてるんだと、悪意であふれたあの場でわざわざ自分に向けて温かな言葉をくれたことを、ゆりあは忘れていない。
「……なんか、お前、実は土屋さんたちと大の仲良しかよ」
「え?」
「いや、いいわ。土屋さんはあん時、阿部の壁になってくれたんだもんな、仲良しだわ」
「仲良し……」
「まあ、とにかく土屋さんたちには、ここでいい時間を過ごしてもらおーぜ。ミヤマの恩人だし、俺、いつも以上にホール頑張るわ」
そこでお客さんを贔屓するのはおかしいとか、以前の自分なら彼に言ったかもしれない。
でも、今は言わないし、思わない。
「うん、わたしもキッチン頑張る」
オーナー以外で、誰かとこんなふうに会話ができることに、ゆりあは実はほんの少し驚いている。
それもこれもあの夜を経たおかげなのだと思えば、やはり土屋たちには感謝してもしきれない。
だとしたら、ミヤマにとっても自分にとっても大きな転換期となったあの日の出来事を、ただのひどく傷ついた記憶のままで終わらせちゃいけないだろう。
今はまだ難しくても。
いつかはすべてを前に進む糧に変えるのだと、ゆりあは改めて決意した。
了
「土屋さんがあの人に、"しーちゃん"って呼ばれてるのも可愛いのよね」
「マジかよ、あんな黒人レスラーみてぇな見た目なのにとことんギャップすげーな」
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