◆コレは理を違える親子の物語
ゆるりとした光が差し込む深緑の中で、あの子が楽しげにこちらへと駆け寄ってくる。
「パパ! オレやったよ、見てくれた!?」
その手には、今日の晩ご飯になる予定のスノーブラッドラビットが携えられている。
たぶん見るものが見れば、ブンブンとちぎれんばかりに振る尾が見えるかもしれない。
あの子はずいぶんと狩りがうまくなった。
剣の扱いも、弓矢の扱いも、なんなら体術の全てにおいて僕よりずっと上になっていた。
「すごいなぁ、ユーシスは」
「パパ」
抱き締めたら、嬉しそうに目を細めて笑う。
ああ、可愛い可愛い、僕の大切な息子。
僕はふと、この子と出会った日へと想いを馳せる。
のちにユーシスと名付けた幼子を見つけたのは、冷たい嵐の夜だった。
漆黒に荒れ狂う海の近くの、暗い昏い洞窟の、その片隅で見つけた柔らかな命のぬくもり。
泥だらけで震えるその子をひと目見た瞬間、とてつもない衝動に突き動かされた。
咄嗟に抱き上げ、そして、想像よりもずっと軽い体にきつく唇を噛んだ。
目の奥が熱くなり、喉がひりついた。
そこからこぼれる滴などないけれど、あふれる想いならどうやら持ち合わせていたらしい。
こんなにもか弱い存在を、孤独の闇に落として置けるわけがないと、僕の中の何かが喚き散らしていた。
まわりはみんな、『お前みたいなやつに子育てなど無理だ』『やめておけ』と言った。
でも、僕はその子に運命を見た。
あの時の心の声はいつでも僕の中でしっかりと存在を主張してくる。
愛おしい時間。
僕を置いて瞬く間に育ってしまう息子が眩しくて仕方がない。
「ユーシスは勇者になれるかもしれないね。王宮騎士団に入ることもできるかもしれない」
「オレはどこにも行かないよ」
「ユーシスはどこにだっていけるんだよ? なりたいものになっていいんだよ?」
「パパ、オレはパパを守れる強い男になりたいんだ」
しがみつくように、すがりつくように、あの頃よりずっとたくましくなった腕で僕を抱きしめる。
「パパを守るよ、永遠にそばにいるよ、絶対に悲しい想いはさせないから」
あの日ずぶ濡れでか弱く震えていた仔犬は、いまや勇敢な狼へと変わりつつある。
「ありがとう。ユーシスは世界中で一番の僕の宝物だよ」
僕はちゃんと、この子の自立を、そしていずれくる旅立ちの日を、喜んであげられるだろうか?
*
*
ギルドを通し、王宮騎士団と合同での初の魔物討伐依頼。
瘴気に満ちた森の中だ、私のような機動力重視の冒険者の役目は情報収集に特化する。
斥候としても役に立てるだろう。
それなりに名を上げてきたと自負しての参戦だった。
だがしかし、いままさに己の驕りに後悔している。
眼前に迫る危機に、木偶となって立ちすくむことしかできていない。
報告に上がっていたものの背後に、上位種が控えていたのだと、なぜ自分は予測できなかったのか。
単独先行した己を呪う。
振り下ろされる鋼鉄の巨大な爪が眼前に迫っているのを認識しながら、わたしは目を閉じ、死を覚悟した。
だが、
「……?」
死の衝撃はいつまでたってもやって来なかった。
臓腑に響く轟音に思わず目を開け、顔を上げ目を開けば、999枚にスライスされた魔物がゆっくりと倒れていく光景が飛び込んでくる。
コレは、夢か?
「よお、大丈夫だったか?」
背中越しに振り返り笑いかける男を前にしても、何が起きたのか理解が追いつかない。
相手から放たれる覇気というのか、存在そのものに気圧されていたせいもあるだろうか。
見上げる程にガタイのいい体躯に獰猛な牙を持つ壮年の男の存在を、私は噂に聞いていた。
「……どう、して?」
「同じ冒険者だ。助け合って当然だろ?」
聞きたいことはそれじゃない。
だが、問い直すことはできなかった。
「ああ、まあ、なんだ……護りたい人が帰りたい場所で待っているからかな。褒めてもらえることは増やしておくに限る」
思わずこちらまで口元がむずむずしてしまうほど、照れ臭そうに、でもどこか誇らしげに彼が告げたから。
それ以上の会話を一旦保留にして、私は彼の手を借り、再び戦線へと復帰した。
騎士団もすぐそこまできているし、何より魔物との戦闘はまだ終わっていない。
彼と共に戦えることは僥倖だ。
ギルドどころか王宮騎士団ですら一目置く彼の名は、ユーシスという。
ほどなくして。
討伐隊の凱旋に、王都が湧いた。
満身創痍となりながらも歓声に応える騎士団は、そのまま王城へと進んでいく。
冒険者である私やユーシスもまた、報告を兼ねてその長い列に続くのだが、城内に入ったところでユーシスの足が止まった。
視線の先には、出迎えの者たちが人垣を作る。
そんな身綺麗なその集団の輪からひとり、10歳にも満たないような小さな男の子がこちらへと駆け寄ってきた。
「あ、来てくれてたのか」
私の隣で、ユーシスの呟きが落ちる。
その声だけでわかってしまう。
あそこが彼の帰る場所なのだろう。
微笑ましくも羨む私を置いて、満面の笑みで手を上げて彼もまた駆け出す。
「パパ、ただいま!!」
歴戦の勇者はそう言って、小さな子供を抱きしめた。
……?
今、彼はなんといった?
「ユーシスは本当に頑張り屋さんだね」
抱き上げられた子供は、とろけるような甘い笑みで彼の頭を優しく撫で付ける。
「パパのためにうんと強くなるって言っただろ?」
やはり、幻聴ではなかった。
幻覚の類でないのなら、これは現実か?
あの、上位種すら物ともしないベテランの男が?
小さな子供を?
いま『パパ』と呼んだかーー?
彼の尻尾が千切れんばかりに振られているのも幻覚ではないのか?
「……えぇ……」
このどう処理していいのかわからない情報を持て余し、視線を巡らせれば。
「なんだ、あの親子と会うのは初めてか?」
騎士団員のひとり(たしかデルーカといった)が、いつの間にかそばに来て訳知り顔で朗らかに告げた。
「ありゃ面食らうよなぁ。あのユーシスがデロデロに甘えてんだから」
「親子……本当に親子なのか?」
「まさしく、あの方はユーシスの育ての親だよ」
「いや、でもどう見たって」
どう見たって配役は逆だろう。
ギリギリ親子、下手をすれば祖父と孫に見えるのだが。
「簡単な話だ。獣人族はお前さんや俺たちヒト族より3倍成長が早く、神族や精霊族は悠久の時の中にいる」
あとはわかるだろ、と彼は告げた。
「……ああ、うん、そうか……」
外見の話はわかった。
視覚に頼らなければ無理やり飲み込むこともできる。
だが、同時に私は別のことにも気付いてしまう。
幸せそうに笑い合うあの『親子の時間』の先にあるのは、約束された悲劇なのではないか?
子が親を残して逝く、悲劇へのカウントダウンではないのか?
思わず無言になって俯く私の頭に、ふと手が降りてきた。
「悲壮感漂わせてるとこすまんが、その心配は杞憂で終わるぞ」
デルーカは、今度は優越感に近い謎の笑みを浮かべていた。
自分だけは全てをわかっている、見通していると言わんばかりのその顔が、なぜか無性に腹立たしく思う。
相手が王宮騎士団でなければ、その隊長クラスでなければ、おそらく私は彼の足を踏むぐらいはしたかもしれない。
だが、ユーシスとその親に永遠が約束されるというのなら、その幸福を祈りたい気持ちにもなっていた。
*
*
パパはオレの神様だ。
暗い昏い水晶石の洞窟で、飢えて震えるオレを拾い育ててくれた神様。
孤独に果てていくはずだった運命を違える道をくれた。
あの日与えてくれた光が、祝福が、オレを変えていく。
あなたのために強くなる。
あなたのそばに居続けるために、あなたを永遠に守り続けるために。
オレは己に科せられた理すらも捻じ曲げて、あなたの傍らで、あなたに永遠を誓い続ける。
*
コレは、瞬く間に命が燃え尽きていく人狼族が、時の縛りを引きちぎり、神獣になるまでの物語だ。
了