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★星の迷宮、蒼の誓い、時の果ての未来に寄せて #焔と星の旅路3

 満月の光すらわずかに届くだけの夜の森を駆け、蒼の燐光をまとった焔の剣で邪鬼を一閃しては祓っていく彼の足が、不意に止まった。
「ほう、炎月の遣いだ」
「え」
彼の言葉と視線につられ、画材一式の入った鞄を抱え直して見上げた夜空に、蒼く燃える鳥の群れが、優雅に光の尾を引きながら飛んでいくのが視える。
鳥たちが描く蒼の軌跡は、アズライトやラリマー、オパールの色を孕み、まるで空に現れた星の川のようだった。
「ああ、炎月祭の時期に入ったのだったな。君との旅もまもなく2年ということだ」
 真夏の夜の幻想的な光景の中、私に笑いかける彼の瞳にも、やはり無数の星がきらめいている。
そういえば、炎月祭は、試練の祭りとも呼ばれる。
日差しが肌を灼くほどに強くなる炎月期の祭は、春の訪れを祝う華月祭や豊穣へ感謝を捧げる穂月祭とは趣を異にし、その性質は静かに燃え上がる蒼い焔なのだ。
 まさに、彼のような。
「この地の炎月祭は少々変わっている。絵描きの君にとっては良い刺激になると思うんだが、どうだろう。行ってみないか?」
 彼の瞳の中で、色を違えて星が瞬く。
 ソレは導きの光、あるいは運命の標。
 吸い込まれそうで、酩酊にも似た感覚に陥り、ただ無言で何度も頷くことしかできなかった。

星誕祭の奉納演武にて星々の神の寵愛を一層強固にしたであろうかの魔剣遣いは、驚くほど無邪気で、そして驚くほど軽やかに、ひとの領域を飛び越える。

 深い森の奥の奥、辿りついたのは神の社だった。
 祭りとは聞いたが境内にヒトの気配は皆無であり、連なる透き通ったアクアマリンの松明だけが、社までの道を厳かに照らす。
 足元にはまるで霧のように、あるいは旅の途中で見た雲海のように、とろりとした乳白色の水面となってやわらかくうねっている。
「君ほどの読書家ならば、もしかすると知っているやもしれんが。この地には、十年に一度、ほんのひと月ばかりだが“星の河”が現れる」
「まさか」
「ああ、そのまさかだ」
 彼の言葉で思い出すのは、幼い頃に読んだ創世記のひとつだ。
 華月、炎月、穂月、凍月を司るようになった神々の逸話と、そして祭りの成り立ちにまつわる物語たち。
 そのひとつが星の河を舞台としていた。
「星々は数多の世界線で起こるすべての事象を記憶していると……そのカケラに触れた分だけ、自分の世界も魂も分岐すると書かれていたけど……」
では、白いうねりの中で瞬くトパーズのような色とりどりの光たちが、星の記憶ということだろうか。
渡りきる間に見えるのは、過去と現在と未来のカケラ。
運命の糸によって紡がれ織り上げられる前の、散りばめられた可能性のカケラたちに触れては惑い、怯え、時に魂を灼かれながら、あるはずの対岸へ進み続けるのだ。
そして、もしもそれが恋人同士であったなら、河によって隔てられた互いを求め、永遠にさまようことになるという。
「おおむねその通りなのだが、ここに現れる星の河はさらに趣を変える」
 揺れて流れる水面に、彼はためらうことなく足を踏み入れる。
「では、行こうか」
 差し出された手に自分の手を重ね、私もまた一歩を踏みだした刹那――
波は螺旋を描き、天に登り、視界を白く塗りつぶしたのち、淡くほどけて、落ちて。

「ここは……」

気づけばひとり、星図を模したラピスラズリの床に5脚のアンティークハイチェアを配した広間に立っていた。
 円を描いて置かれた椅子の背もたれや肘掛には、ひとつひとつに、散りばめられた星と繊細な花の意匠が彫り込まれている。
 ガーベラ、マリーゴールド、グオリオサ、アストロメリア、リアトリス。
 そして、椅子の背後には、やはりそれぞれと同じ花の意匠をレリーフとした額の絵画が、上に下に右に左にと、天井も壁もないこの場所に圧倒されるほどに並べ、飾られている。
 花びらが降り注ぐ中を踊る幼い子供、森の民の音楽祭を舞台に歌う少女、剣を手に舞う王宮騎士など、絵画のどれもが誰かの人生の一幕を描き出したもので、水彩、油彩、パステル、鉛筆と、画法も画材も問わず、顔料だって鉱物から植物、魔物、魔法とさまざまで。
 椅子よりも、宝石よりも、私の目を奪い、息をすることも忘れさせる絵画たちに引き寄せられ、花の額装で彩られた迷宮へと自ら入り込んでいった。
 筆致からわかるのは、これが様々な人の手により描かれたのだということ。
それから、圧倒的な才能を持ちながら、途方もない時間をかけてさらなる鍛錬を積み続けているのだということだ。
 では、私は?
 私はどうだろうか。
 星が瞬き、光が移ろい、いつしか絵画は、私の筆致で私の軌跡を浮かび上がらせていた。
過去、現在、在りえたかもしれない未来、再び絵筆を握らずに兄弟子たちと武の道を歩んだ先に待つ光景も、あらゆる可能性を私の筆致で描き出していく。
水晶洞窟の最奥の神殿で祈りを捧げる聖職者、世界図書館の最奥で佇む図書管理者、己の肉体を武器に魔物へ挑み躍動する武術士に、戦場を駆ける治癒師たち。
そこに彼の姿はなく、また、この絵はどれも迷宮の絵画の存在にはまだ及ばない、けれど、でも。
 思わずうつむき、笑みが落ちた。
 悩んでいるのだ、悩んできた、己が彼に見合う器であるのかと己に問い続けても来た、それでもなお、二度と筆は折らないと決めた私の前で、何を見せてくるのだとおかしくなる。

『在りたい己を描き、在りたい己を目指し、ありたい己に恥じぬよう努めるだけのことだ』

 彼の言葉が、彼の瞳が、彼の在り方が、衝動として私を突き上げる。
 ともに旅を続けて一年半以上が経ち、二千枚を超えるスケッチの中に彼の変化を見た。
 憧れ、焦がれ、眺めるだけで良いのだと、届かないと決めつけている私の心に差し込まれる強い光に突き動かされる。
星も命を燃やして輝いているのだと私にその身をもって教えてくれる。
 だから、私は描く。
 鞄からイーゼルを取り出し、キャンパスを置き、彼からもらった魔法の小瓶の中にこの世界の色すらも取り込みながら、一心不乱に彼を描く。
 何千、何万、何億回でも足りないほどに彼を、炎月の遣いが舞う星海の只中で大剣を優美に繰る彼の姿を、己のいま持てるすべてで、立ちふさがる壁をも打ち砕くべく、一途にひたむきに――

「ほう……やはり、君は道を求めるものだな」

 背後から不意打ちで耳元に落とされた感嘆のため息に、心臓が跳ねあがる。
 声にならない悲鳴とともに振り返れば、彼の手が、鍛錬を重ねて厚く硬くなった剣士の手が、私の髪をするりと撫でた。
「君は気づいているだろうか? 君の魂が、星の河を渡れるほどに強く輝き燃えていることに」
 その手は次に空を撫で、深紅のガーベラをレリーフとしたゴブレットをふたつ取り出して見せる。
「それは、炎月の神から祝福を受けるほどだということに」
 手渡された杯の中には月長石をとかしたワインが満ち、しゃらりると繊細な音を響かせて運命のカケラたちが青く蒼く碧く瞬いていた。

「……これを、“運命”と呼ぶだけではいささか足りないのだがな」

 微笑む彼の言葉の真意をうまく受け取ることができないままに、神々からの祝福の杯を彼とかわす。
 夢のように儚く甘やかなものが喉へと落ちていくなか、鐘の音が鳴り響く。
 近く遠く、まるで終焉を告げるかのような旋律を合図に、視界は白く塗りつぶされて。
 神の社に戻ってきた私の手には、ゴブレットに描かれていた深紅のガーベラが一輪、彼の手とともに握られていた。

その花ことばの意味は――『あなたはわたしの運命の人』

***
◆オーダーメイド物語
【あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語】
魔剣使いと絵描きの出会いから始まる物語の3作目にあたる続編。
キーワードは挑戦と強さ。
この世界における季節の祝祭もテーマとして取り入れています。

★一作目

★2作目


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