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【オーダーメイド物語】彼方より想う《楽園へ至る病》

魔女の蔵書で知ったことのひとつに、《楽園へ至る病》というものがある。
世界には、《楽園》と呼ばれる場所が至る所に存在し、《楽園》へつながる道もまた無数に存在しているけれど、望んでそこへ辿り着くことはないという。
人々は、求めるものの前には決して姿を表すことのない《楽園》に焦がれ、届かぬまま、見果てぬままに取り憑かれては、いずれ夢現のうちに死へと至るのだ。

「まったく、愚かなもんさね」
「まったく、無知も甚だしい」
「まったく、情けなくてたまらないよ」

三人の魔女が口々にこき下ろすのは、楽園に至る病を治せと幾度となく請われてきたからだろう。
物心つく前から、この三人の魔女が棲まう屋敷で働いている私だ。
書き物仕事も兼用し大抵の知識を蓄えていると自負しているが、それとはまた別の感覚で、楽園と呼ばれるものが、願い求めて辿り着ける場所ではないという《事実》を理解していた。
私は《楽園》になど焦がれない。
その代わり、彼女たちの目を盗んでは、こそりと森から抜け出すことを楽しめる程度の好奇心なら十分に持ち合わせていた。

そんな私の日常はある時、思いもよらない形で小さな変化を迎える。
それは、石造りの迷宮めいた気に入りの古本屋街を、ひとりふらふら練り歩いていたときに起こった。
不意に誰かに呼ばれた気がして、裏路地のさらに裏側へと吸い込まれるようにして入り込み、そうして、本と本と本で築かれた店へと足を踏み入れる。
天井まで届く本棚が視界のすべてを埋めるため、まるで本の海の底を泳いでいるかのようだ。
魚になったつもりで想像以上に広い本屋を漂ううちに、ある箇所に惹き寄せられる。
ステンドグラスの天窓から差し込む美しい光をうけて、そこだけがやけにキラキラと瞬いていた。

――ここへおいで

背表紙の中で唯一面を見せて飾られていたのは、本を模した木箱に収まる一揃いのカードだった。

――つれていってあげるよ

心の奥が掻き立てられ、気づけばそのカードを買い求めていた。

72枚に及ぶ美しい絵柄のカードは、毎日私に様々なことを教えてくれる。
今日行くべき場所、寄り道すべきタイミング、口にした方がいい食べ物。ついでに、私の中の『飛び出したい』という衝動すらも、見事ふくらませにかかるのだ。

「どこへ行こうと言うんだい?」
「あ、ウル様、スク様、ベル様」

抜け出す頻度が増えてしまったせいだろう、ついに三人の魔女に見咎められてしまった。
地面から伸びた蔦が、私の足を捕まえ、腕を、腰を、肩を、首を、顔を絡め取り、瞬く間に緑の鳥籠(牢獄)へと変貌を遂げる。
「ここから逃げ出そうったって、そうかいかないよ」
「やはり自由になんぞさせるもんじゃないね」
「楽園にでも憑かれたかね? アレは恐ろしい病じゃないか」
呪詛にも等しい言葉が私を魂ごと閉じ込める。
「どれ、お前が楽園に焦がれる想いを取り出してやろうね」
魔女たちは心に干渉し、想いを宝石に変えて取り出せる。だからこそ、彼女たちは楽園に至る病すらも癒す治癒師と呼ばれ、畏怖されるのだ。
けれど、私はその術も追及も恐ろしいとは思っていない。
「おや、なんだい。楽園探しに行きたかったわけじゃないのかい」
「じゃあ、何がしたかったんだい?」
「何度も抜け出した理由だよ、正直にお言い」
 わずかに呆れを含んだ魔女たちの問いに、私は答える。
「“知識”が欲しかっただけです。ここの屋敷のものは全て読み終えました。だから、もっとたくさんの本を求めただけです」
別に、楽園になど焦がれていない。
そこに偽りはなく、だから、魔女たちの術が効果を発揮するわけもないのだ。
お仕置き代わりの緑の牢獄は早々に解かれ、はれて私は例のカードを収めた木箱を抱いて街へ出かけることを許された。

それからどれほど経った時だろう。
例の本屋の隣には、いつのまにか雑貨屋ができていた。
迷路のような街中の迷路のように入り組んだ店のその奥で、チェーン付きの円錐の夢幻石が私を呼んでいたのだ。

――ここへおいで、これをしるべにここまでおいで
――さすれば、おぼれるほどのちしきをやろう

「それが本当なら喜んで」
手に入れた夢幻石を目の前で揺らしつつ迷路のような路地を歩きながら、ついそんなセリフが口をついてでた瞬間。
石からあふれた光が石畳の地面を撫で、足元を琥珀色の水面に変えて、そうして、私をするりと飲み込んだ。

とぷん。

引きずり込まれた先、眼前に広がる光景に、私はただ瞠目する。
視覚として認識できていることに違和感すら覚えるほどの、圧倒的な世界の奔流のさなかに放り込まれてしまったらしい。
見たこともない光景、知りうることのできない世界、聴いたこともない幽玄の旋律、それらすべてが、手を伸ばせば届く場所に映りこむ。
己の魂を捧げたい、もっと知りたい、もっと見たいと、際限なく溺れたくなるほどの情報。
 それらを享受する視界の端で、今まさにここへ落ちてきた人を捉える。
 彼女もまた、戸惑いながらも己の衝動を止められず、魂の赴くままに動き始めていた。
楽園など、行きたいと望んでいくものじゃない、探すものじゃない。
落とし穴に落ちるように、沼に足を滑らせるように、自らの意思とは無関係に引きずりこまれるものなのだ。
抗うこともできず、本能が直接揺さぶられるのに翻弄され、呑まれていくものだ。
今まさに、私や、あそこの彼女がそうであるように。
それを幸福と確信してもいるから、膨大な知識の海の中、ふつりと笑みがこぼれていた。

 それからどれほどの時を経たのか。
「……そろそろ晩餐の準備をしなくっちゃ」
夢幻石からの知らせを受けて、私は至極あっさりと魔女たちの屋敷へ戻ることを決める。
私にあるのは貪欲なまでの知的好奇心。
そしてあの魔女たちもまた、私にとっては興味の対象、得難き存在。
だから、帰る。
この世ならざる世界、当たり前には触れることのかなわない知識と出会う存在たちに心ゆくまで耽溺しながらも、扉であり門となる宝石の導に従って、カードの忠告に耳を傾け、当然のように、《日常》へ。
そして明日もまたきっと、今度は記録帳も携え、境界線を越えて《楽園》へと足を滑らせるのだ。

魔女の卵と呼ばれて久しいけれど、いずれ孵化する私はきっと、魔女の皮を被りながらもまったくのベツモノに成るだろう。
この予感はすでに、十分すぎるほどの確信へ至りつつあった。

…*…*…*…
◆オーダーメイド物語
あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語
ご依頼内容:
『FacebookやTwitterからイメージする物語をおまかせで』とのオーダーにて書かせていただきました


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