東日本大震災のその日
記事を開いていただきありがとうございます。
温泉バカのひかさでございます。
3月11日。
非常に特別な日。
2011年のこの日、多くの命を奪った東日本大震災が発生しました。もちろん過去には阪神・淡路大震災、胆振地震、熊本地震など震度7クラスの地震は起きましたが、それでも東日本大震災は何か特別に感じてしまいます。
それは、自分が生まれて日本で初めて起きた震度7の地震だったからかなと。
電気だけが揺れた家庭科室
当時小学5年生。大阪府の小学校に通っていて、家庭科の授業で家庭科室で授業を受けていました。
授業は結構みんなうるさい感じだったので、わちゃわちゃしていたのですが、天井から吊るされた電気が揺れていたんです。
それを見た僕とクラスメイトは先生に「地震じゃない?」と言いましたが、無視されました。
しかし、この地震があれほど大きなものになったのです。
教室に戻ると担任がいいます。
「東北の方がえらいことになってる」
その日、授業よりも電子黒板にニュースが流されます。
地震の映像だけではない。普段恩恵を受けているはずの水に町が飲み込まれていくんです。
小学5年生には非常にショッキングな映像だったからこそ、今記憶にあるのでしょう。
道徳も総合も
この震災が起きて以降、小学校の道徳や総合といったいわゆる科目以外の授業のほとんどは震災について学ぶことになりました。
自分たちの通っていた大阪府は阪神・淡路大震災のエリア。だからこそ、先生たちはより震災について学ばせたかったのでしょう。
何度も津波に家が飲み込まれる映像、津波警報の音、避難所に集まる人の映像、建物が大きく揺れている映像を見ました。
自分は当時、被災者ではなかったものの、
小学生だったからこそここまで深く学ぶ機会があったのではないでしょうか。
どうしてもやりたかったこと
中学校に入ると、少し震災が忘れられ始めます。みんな定期テストに必死だし、さらに別の諸問題(差別問題)などを学習していました。
今大学4年にもなりましたが、ここまでやっておきたいことがあったんです。
それが、実際に東北を目で見ること。
あれから12年経って、「遅い」と思われるかもしれませんが、今完璧に解決したわけではありません。
自分にできることは、はっきりと言えばないかもしれない。でも、自分や他人の命を守るためにも減災の知識を手に入れなければならない。
東日本大震災は確かに甚大な被害でした。
その一方で、素晴らしい減災をされた場所もあります。
今、南海トラフという話題が上がっている以上、自分たちにとって全く他人事ではないのです。
実際、大学3年生のとき、ようやく淡路島にある野島断層の資料館を見に行きました。歴史の教科書に載っているようなところですね。
その資料館を見ると、やはり僕自身は東日本大震災で見た映像のほうが蘇ってきます。阪神・淡路大震災を経験していないからこそ。
そうやってさまざまな資料や風景に触れて、思いだすこともまた学びなんでしょう。
でもまだ、震災学習という目的では東北に足を踏み入れていません。東北は本当にいろいろ縁がなく昨年一瞬入った程度です。
まだまだ夢は続いています。
ある夢
最後に夢を語らせてください。
僕にはたくさんの夢がありますが、
そのうちの一つは災害支援です。
もちろん物資もですが、その場で精神的なケアや、教育の機会を提供したいと考えています。
(阪神・淡路大震災なんてセンター直前でしたから受験生はすごく不安だったでしょう)
教育なんてこんな時にと思うかもしれませんが、震災が起きても1年やり直しという制度は日本にはない。だからこそ、災害の被害を受けてどうしても学びたい人向けの教育コンテンツを用意できるのが理想です。
しかしこういうことをしようとすると、知名度が必要になりますし、精神的なケアこそまさにそう。
だからこそ、自分自身をしっかり売り込んで、
いざというときに動けるように努めていきたいと思っています。
最後に
東日本大震災の被災者の皆様、
皆様の気持ちは同情できても皆様の気持ちを完璧に理解することは、未経験の僕にはできません。
本当に辛いことが多い中、今こうして生きていらっしゃること、本当に尊敬します。
むしろ皆様の体験、今の気持ちの方が多くの人に刺さります。ぜひ発信をお願いします。
以上、お読みいただきありがとうございました。