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愚かで残酷なのは俺と同じだから。

なぜこんなに苦しく、美しいのか。
奇跡は瞬間にしか宿らず、故にその瞬間は永遠になる。
自然現象や光彩を利用した巧みさだけではない。
それは技巧や演出に過ぎず、無論撮影もしている監督の資質なのは間違いないが、骨格は子供由来の感性にある。
さらにそこから不可逆的な一瞬が切り取られ、それは出演者の人生の時間が切り取られたものでもあり、一切のやり直しが効かないからこそ、記録され、定着した画の純度は残酷なほどに澄み、実際に愚かさに端を発する残酷さが切り開いていく物語からも、高貴さがにじみ出てくる。
一般的に「集中力が持続しない」とされている #子役 も、演技、体技共によく頑張り、実は、瞬間に神のように君臨している、監督のアバターとも言える #池松壮亮 に、自分もかつてそうだった、子役からのこれまでの積み重ねとして、物語上も作品の構造上も、牽引する凄味を見たような気がする。
この作品を見るまでは、あまり邦画を見ない故に(ただ、別にファンでもないが、邦画の中でも彼の出ているものは、そこそこ見ている方だと思う)、彼からは、端的な表現だと「泣きそうな仮面ライダー」みたいな、予兆的なひらめきしか見て取れて来られなかった己の不明もあるが、今回かなり、役に憑依する依り代として、本質的なものを見せてもらった気がした。
二人にも撃たれたが、池松にも確実に撃たれたのだ。
役者とスケーター、その二重のプロっぽさ。
フィギュア経験者でもある監督ならではの、フィギュアなんてまともに見もしない人間にも分かるディテール。
俺は自分自身が子供の頃、ローラースケートもアイススケートもどっちも好きだったのを思い出した。
子供時代に近所だった #よみうりランド には #ローラースケート 場があり、父親の仕事場の近くには、現在潰されて #フットサル 場となってしまった #アイススケート リンクが冬季限定であった(#日比谷)。
やり直しは効かないが、時間も人生も天体の運行のように一応継続していく。
今度ばかりは、オリジナルを愛するが故の安易な剽窃名に、軽い嫌悪を覚えるのみで意識の外に追いやっていた、#ナボコフ 由来の名を持つミュージシャンにも敬意を表するしかない。
その楽曲にインスピレーションを得て作られた物語なのだから。
もともと音楽を聴かないタイプなので、将来的にも聴き込むことはなく、この作品に奇跡を見出しても、監督を追い続けるとは限らないのは確定的なのだが。
「吃音を真似ると本当に吃音になる」との俗説を幼少時から聞かされてきた俺にはリスキーに思えた少年のチャレンジに感謝する。
宣伝用のインタビューで、今の子供にとってのハングル浸透の度合いを見せてくれた少女の基礎体力に感謝する。
寒い方が苦手な俺に、北国の清澄さや湿度を伝えてくれた作品に感謝する。
楳図先生が亡くなったこのタイミングで、ありがとう。#ぼくのお日さま

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