蜷川版オセローを見て
なんというか、吉田鋼太郎氏の言葉のテクニックには圧倒される。
恥ずかしながら初見ではあったが、いやはや役者陣はすさまじい(当たり前だ)。
オセローは嫉妬(オセローがデスデモーナを殺したのも、イヤーゴが復讐を誓ったのも嫉妬から)がテーマになっているが、隠れたテーマに差別や差別を受ける側の弱さ=コンプレックスも一つにあるなと感じた。
オセローはしきりに「この褐色の肌が」と言っているし、現代でも解消されない肌の色、人種差別の被害者であり、イヤーゴに付け入られる要因の一つになったのは間違いないと思う。コンプレックスは自分自身で被害の種にしたがるしね。
キャシオをつけ回す女に対する周りの態度も、彼女に同情をするなら、現代のセックスワーカーへの差別に非常に近いものがあるし、デスデモーナの侍女もデスデモーナへの優しさも、なぜ彼女に向けられないのか(全世界を与えると言われれば背徳行為をすると断言をする、所謂普通の人代表だから仕方ないのかもしれんが)。
シェイクスピアは、意図的に差別的な描写を入れているフシがあるので、オセローが特別そうではないのだが、非常に気になるところではあった。