RAIN

漫画、映画、アニメが好きで自らも演者である。 好きな漫画は、BLや青年少年少女と多岐に…

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漫画、映画、アニメが好きで自らも演者である。 好きな漫画は、BLや青年少年少女と多岐にわたる。 映画は、サスペンス、ヒューマン、アクション等の洋画が好き。最近韓国映画にハマる。 アニメは、萌え以外なら基本的に見ていると思う。ちなみにバイセクシャル。

最近の記事

シン・エヴァンゲリオンでの女体の描き方

所謂、TV版とシン劇での、アスカの違いについて描きたかったんだけど、クライマックスでシンジにオカズにされたり、ネグレクトを受けて散々だったアスカ。 そもそも、惣流と式波は別なのでそれは描き方も別じゃろ。とは思うのだが、シンエヴァでのアスカは、サービスショットが全然エロくないと言うか。 14歳の肉体ではあるが、酸いも甘いも経験し(ほぼ甘くないだろうが)覚悟を決めた女性の魂があり、子供の肉体でありながら、それを性的に描かない、ある種浄化された表現になっていたと思う。

    • 呪術廻戦

      呪術廻戦面白すぎて。 単行本15巻+0巻まで読破しました。 面白すぎてやばいんだよなぁ。 16巻楽しみだわぁ。

      • とある役者志望の戯言

        一ヶ月前に役者を目指すこと、或いは役者から完璧に足を洗おうと思い、師匠に辞める旨を伝え、「可能性があるからイエスとは言えない。」という返答から、就職とプロを目指すことの2方向で活動する事に決めた、ただし稽古の中でも今プロにしたい人間、競争相手の仲間たちの名前が出てくる中で、自分は出てこない以上、自分で自分の可能性を商品価値に昇華出来てない。ということに他ならず、数歩先を歩く同期や1年程度の違いの年下の先輩が褒められることは、嫉妬というか焦燥感、焦り、が強い。 しかし、ジタバタ

        • 出会いがなくて

          新潟にはあまり出会いがない。 いやあるのだが、個人的な環境として。 職場が男しかいない 芝居の稽古場も男しかいない、あとは子供ばかりで異性では見られないし、そもそも見れない。 新潟の相席屋はクソ 普通の恋愛がしたくても、環境が悪いなら新たな環境を作るしかない。 ということで、新潟汚点の米○元知事の真似をしてハピメをしました。、結論から言うと、会えます。 夏にはじめて一人と出会い二人とLINE交換、一人は1ヶ月通話したりしてる、一人はアプリ内で会話。 業者を見極めれば、

        シン・エヴァンゲリオンでの女体の描き方

          ハリウッドの

          ハリウッドでの、ノーマルはゲイの役を演じるのはダメで、ゲイがノーマルも演じても良いという、欧米のダブルスタンダードが非常にバカバカしい。 そもそも、役者は性別を超えて客と舞台上で「恋愛」をする生き物であり、それが仕事。 変な権力闘争や人権意識でそれを潰すのがLGBT活動で必要なのだろうか。

          ハリウッドの

          喧嘩を売りたいわけではないが。

          性的マイノリティーだから「私はバイだけど、あなたには魅力を感じない、だから安心して」と相手に伝えることは、相手に対して失礼であり、そもそもLGBTのその主張は、まだLGBTという言葉がない時に、フェミズムを真似て言い出した理論であり、それを優しさと言われると、ノーマルを好きになってしまった人を苦しめる理論になるので許容出来ない。 逆に言えば、「私はノーマルで異性しか好きにならないから安心して」と言われたらどんな気持ちになるのだろうか。それを、「勘違いさせないための優しさ」だ

          喧嘩を売りたいわけではないが。

          メイドインアビス9巻

          なれはて村にとうとうファプタが侵入する地獄に突入しましたね。 ワズキャンにはリコと同じく、「良くわからない」というのが本音。 イルミューイを利用した。イルミューイの思いを踏みにじった。というのが彼なりの、残酷さ。ではあったんだけど、異形になっても生き残りたい、冒険の可能性を残せる。という点では気持ちはわかるんだけどね。 (読んだときは、てめえこの野郎と顔を真赤にしてブチギレたけど、落ち着くとね。) そして、罪づくりレグきゅん。 ファプタは、子孫を遺したいイコールってことな

          メイドインアビス9巻

          野田洋次郎の炎上について思うこと。

          https://twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169 ↑このことについてです。 発言の内容自体は別として、そこまで批判する資格が人間にはあるのか、という疑問点を、私見から述べようと思う。個人的には、彼の主義主張には嫌悪感を感じてます。 1、この国の悪癖として、「外国はこんなに進んでいるのに日本は遅れてる」「日本人は白人よりも劣っている」という、コンプレックスを持っている人は多い。 しかし、それこそ優生思想の最た

          野田洋次郎の炎上について思うこと。

          青のフラッグ完結に思いを寄せて

          青春群像劇だからこそ描ける男女の差別心を描いた問題作。 トーマという勝ち組、スクールカーストの上位者をゲイにすることで、マイノリティ=弱者と思い込んでいる、またその構図で得をしたい方々への遠回しの批判や皮肉になっているのが面白い。 また、当て馬的なキャラクターの苦悩を掘り下げて、だからこそなぜその人物たちがカーストの上位にいれるのか…という部分も真摯に描いている。楽しそうにしているから差別をされてないわけでもないし、苦しみがないわけでも、誤解をされないわけじゃない。 そして、

          青のフラッグ完結に思いを寄せて

          消えた天才系を見て思うこと。

          好きなだけでも通用しないし 才能があるだけでも上手くいくとは限らない。 好きで才能があってその時間を費やして、ダメなら死んでもいい。 そういう覚悟がないと夢を追ってはいけない。

          消えた天才系を見て思うこと。

          断捨離

          来年度、田舎から東京に行くことがほぼほぼ確定しているので、不要な物を捨ててます(今のうちから)。 と言っても、結構後悔しやすい性格なので、高価なフィギュア、一番くじ系列は捨てない。漫画も、1年以内に読み返してない、集めていない、仮にまた欲しくなっても買い直せる巻数の物は売る。という形で部屋のものを処分してます。 まあ、就職ではなく芝居をするために…なので、売れない役者に趣味のものは不要だと思うのです。 もちろん、役者として売れてこれを買いたい!という欲望は必要です。 だって

          断捨離

          蜷川版オセローを見て

          なんというか、吉田鋼太郎氏の言葉のテクニックには圧倒される。 恥ずかしながら初見ではあったが、いやはや役者陣はすさまじい(当たり前だ)。 オセローは嫉妬(オセローがデスデモーナを殺したのも、イヤーゴが復讐を誓ったのも嫉妬から)がテーマになっているが、隠れたテーマに差別や差別を受ける側の弱さ=コンプレックスも一つにあるなと感じた。 オセローはしきりに「この褐色の肌が」と言っているし、現代でも解消されない肌の色、人種差別の被害者であり、イヤーゴに付け入られる要因の一つになった

          蜷川版オセローを見て

          7つの会議を見て

          久しぶりに邦画でレベルの高い映画を見れました。 最後の野村萬斎扮する八角の「どうしたらデータの隠蔽が無くなるのか」という質問に対して、最初に「隠蔽が無くなることはありません。」と答える。 その後に、本来命あっての人間や社会の常識が、会社の上司の命令やメンツを優先させてしまうと続く。 それが古代から続く、(良く言えば)サムライの生き様が引き継がれていると。 だからこそ、高度経済成長のような実績を日本人は作り上げる良いところもある、しかし隠蔽のような間違ったことすら従って

          7つの会議を見て

          元声優志望が語る養成所の問題点。

          少なくとも自分の所属していた声優養成所だけを参考に語りたいと思う。実際にプロを出している、スターを育て続けている事務所を批判する意図はありません。 明確に一つ言います。 養成所の講師、メソッドを持ってなさすぎ問題。 まあ、てめえで勉強して研究して気づけや!と言われたらそれまでだし、メソッドやトレーニング方法を知っている講師も確実にいる。 ただし、本人の滑舌も悪く、教えることも抽象的且つ論拠に欠け、男だから女だから、自分が好きか嫌いかで良し悪しの判断をしていた講師は、少なく

          元声優志望が語る養成所の問題点。

          そんなに必死に炎上させるものなんだろうか。

          とある作品で、ずっと一定の言語で翻訳されてた物が造語だと判明した(ただし2年前にすでに出ていた情報で、全てが造語ではない)ということで炎上しているのだが、そんなに炎上させることなのだろうか。 (もっと詳しいことを言えば、その情報を公式の情報であると勘違いをした人間がいて、それを周りに言って回ったせいで、火に油を注ぐ形になってしまい炎上したというのが正しい。) 第1に、公式情報だと謳ったものではなく、あくまで1ユーザーの「考察」である。 第2に、有料ではなく無料 第3に、情報

          そんなに必死に炎上させるものなんだろうか。

          美女と野獣論争を見て思ったこと。

          みんなが飽きたタイミングで書くヘタレです、ドモドモ。 野獣が最後にイケメンに戻ることで 「何が中身や!結局顔だ!」という勢力と、「瞳を見て野獣だということがわかるから、中身を見ている!」という反論。 どちらも正しいのでは??としか思わなくて。 個人的には、ガストンのキャラクター考察に、当時のアメリカの白人男性像=男はこうでなくてはならない。という価値観に一石を投じたかったのではないか。という内容の物があり、自分はそこから、野獣=女性や他者から見た男性らしさの正体、そこにも

          美女と野獣論争を見て思ったこと。