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アイライクコミュに

「人は長所で尊敬され、短所で愛される」という言葉を耳にしたことがあります。

何が自分の長所なのかは分かりませんが、少なくともだいぶ愛されたいので、この言葉よ真実であれといった思いで、山ほどある短所の中から特大の一つを差し出します。

24/5/10/18:44
人と人が会話をしているところを見ると、どこに出しても恥ずかしいような嫉妬心が芽生えてゆく。なんで普通に話せないんだろう、なんでみんなみたいに出来ないんだろう。自分にとって「会話」というものが、あまりにも生ものすぎて、現実すぎる。
それは空気のようなものであり、水のようなものであるし、ぬらぬらとしているような、どろどろなような、絶対にこの手で掴むことが出来ない存在である。そのくせ会話は自分を取り巻く環境を全て埋め尽くし、絶対的に逃げることを許してはくれない。完全に包囲されている。 

iPhoneのメモ

コミュニケーション、特に会話が苦手です。

人が話していることをちゃんと聞いているのに、その言葉の一つ一つを溢さないように注意しているのに、内容が理解できていない。或いは、音としては聞こえているけれど、言語として把握できていない。

全会話がそういう訳ではありません。声のよく通る人や滑舌のいい人は勿論聞き取りやすいですし、言葉を伝えるという意識の高い人の発言はきちんと届きます。だから芸人さんやアナウンサーさん、声優さん、看護師さんが好きです。

騒がしい場所や、自分の耳と相性の悪い人と会話をしなければならないタイミングでは、相手の発言を全文聞いてから聞き取れた言葉を駆使して、内容を推測したりしています。なのですぐに返事が出来ず、熟考という名のフリーズをしてしまうのが常です。常ではないか。

しかし、会話を放棄して適当に返事をしてしまい、望まぬ未来を自分で迎えに行ってしまうことがあります。コンビニで袋が欲しいのに商品手持ち帰宅ルートを選んでしまうとか。「聞き取れない」が日常茶飯事なので、「聞き取れるまで」をやろうとするとお互い疲れてしまいますしね。

友人との会話の中でも聞き間違いが多々あり、それまでの会話に関係のない話を朗々と始めてしまいます。みんな優しいので最後まで聞いてくれるのですが、話し切ってからの「ん?」というリアクションがめっちゃ恥ずかしいです。そこで気付きます、あ、またやってもうたと。自分だけならまだいいのですが、人に迷惑をかけることもしばしばあります。申し訳ございませんよりも上の謝罪フレーズが知りたいです。

こういった失敗体験をこれ以上増やしたくないという思いから、かなり考えてから言葉を発するようになりました。口数が少ないのはこれが原因です。それにも最近気が付きました。自分的には会話をしているつもりだったのに、無視している或いは興味が無いのだと捉えられがちなのは何故なのだろうと、ずっと疑問でした。

もし私の脳内が可視化出来るのであれば見てほしいのですが、返事や意見はかなりしています。ただそれが、私の脳から出ていっていないというだけで。


聞くのも上手くいかなければ、話すのも上手くいきません。ほんまにどっちかにしてくれ。

話しているうちに「そういえばなんて問いかけられていたんだっけ?」と話が逸れ切ってから話が逸れ切っていることに気付いたりします。これも毎回ではなく、頻度が高いだけです。

エレファントカシマシのボーカル宮本浩次さんが、テレビ番組でトークをしている際に徐々に質問内容から大きく外れたことを話してゆき、その挙句「あの、これなんて聞かれてたんでしたっけ?」と仰っている様子を見たことがあります。

まんまそれ。全く同じことを大好きな宮本さんがしている姿は、心が折れるのを防いでくれています。


自分の場合はですが、おそらく質問内容に辿り着くまでの全ての情報を、順を追って説明しようとするのがよくないのだと思います。この説明をするにはこれから説明しないといけないし、でもこれを説明する前にあの説明をしないと分かりにくいか、みたいな感じで、派生に派生を重ねてゆきます。

自分でも話しすぎているのには気付いているので、相手の時間をこれ以上奪いたくないと、早口で話し去ります。話し去るという言葉はこの世に存在しませんが、駆け抜けるようにして伝え切ろうというニュアンスです。

だから会話が苦手です。上手くいかない。でもコミュニケーションはとりたい。スキンシップは羞恥心が許してくれない。だから文面が好きです。上手くやれる。

文字は視覚から情報が得られる上に、サッサとどこかへ行ったりせずにその形を残したまま、私の気が済むまでそこに居続けてくれます。焦る必要がないのでミスをする確率も下がりますし、仮に一度読み間違いをしてしまったとしても、何度でもやり直しがききます。文章を打つとき・書くときも然り。

こんなに違うのかって思います。コミュニケーションの海において、会話をしようとすると溺れてしまうのにも関わらず、文字や文章を使うときにはスーイスイです。パーで水を掻くのと指を閉じて水を掻くのとでは、手応えが段違いなのと似ています。


しかしながら、じゃあ文字ならなんでも大丈夫なのかと言われるとそうでもないというのが、この問題をより複雑にしています。LINEです。LINEは上手くやれません。ミス多発です。

チャット機能というのは限りなく生の会話に近いので、同じような失敗をします。いや、会話以上に難解かもしれません。対面であれば受け取れる情報、例えば声や表情、身振り手振りが全く無い。でも書き言葉ではなく話し言葉を採用しているパターンが主なので、瞬時に行間を読まなければならない。これこれこれ、これです。脳が追いつきません。

一時期、コミュニケーションにおけるほぼ全てに嫌気がさしてしまい、全てを放棄してアイコンタクトのみで勝負していました。今思えば無謀なやり方なのですが、それでさえも理解してくれる存在が居てくれました。当時の私は幸福ですね。


ちょいとちょいと待っておくれ。そんなこと言っても現在は大分改善しているでしょうが。

すみません、悲劇のヒロインぶってしまいました。


大学時代にオーストラリアへ留学に行っていたことがあるのですが、当たり前のように英語での会話なので、当たり前のように上手くいきませんでした。コミュ力云々の前に、シンプルに聞き取れないですし話せないんですよね。

しかし、オーストラリアは移民が多いからか親切な方が沢山いらっしゃり、特に会話においては特大のお心遣いを受けてきました。上手く聞き取れずに放心状態になっていれば、噛み砕いてゆっくり説明してくれたり、こちら側の言葉足らずな発言にもなんとか食らいついて、「それってつまりこういうこと?」と理解しようとしてくれます。少なくとも、私が出会った方々はそうでした。communication(コミュニケーション)ってheart(ハート)なんだなあと、ありきたりながらも本質的なことを体験しました。

デカ米印
ここで勘違いしてほしくないのは、海外が優れていて日本が劣っているという訳では決してないということです、何においても。その国の長所と自分にとって都合のいい点を結び付けて、それを正義にしてしまうのは危険だと思っています。そういった行為によって、せっかくの長所が、人を傷付けることを正当化するのに利用されているのを見たことがあるからです。

こういった話の逸れ方をするんですよ、注釈とか補足とかが大好きなので。会話の中にも見えないだけで、(カッコ)や※を多用しているように思います。


留学に関連する話で、もう一つ良いなと思ったことがあります。ホストファミリーの親戚にお会いしたときに名前を聞かれて、本名を伝えたら「gorgeous!(ゴージャス)」って言われたんです。この場合は「煌びやか」という意味ではなく、「素敵!」とか「(良い意味で)ヤバい!」になるのを後々知りました。

誰がどう聞いても日本人らしい名前に、まさか添えられるなんて思ってもなかったgorgeousという単語のなんだかむず痒い感じと言いますか、なんやろ、この言葉を使って「素敵」を伝えてくれたことが凄く嬉しかったんです。向こうからすれば普通のことなのだとは思いますが、受け手の解釈は無限大です。


それからは、もう失敗しても時間がかかってもいいから、自分が使いたいと思える言葉で会話をすることを心がけています。ほんまに時間はかかりますが、一生懸命待ってほしいです。悪いようにはしません。


どうですか?愛せそうですか?愛してもらわないと弱点を晒しただけになってしまうので困るのですが、いけそうですか?どうかお願いします、ハートで繋がってゆきましょう。

馬場光

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