見出し画像

透明の下敷き

小学校の、あれは確か2年生のころだ。


2年生の時の、担任の先生が大好きだった。


小学校低学年なんて
どんな先生でも好きになるものなのかもしれないが、
今振り返っても素敵な先生だった。


人間として芯があった。


傍から見ればただのおばさんかもしれない。
でも、笑った顔に華やかさがあって、
すべてを包み込んでくれるような安心感もある。
それでいて、叱るときにはしっかり目を見て伝えてくれる。


そんな先生が大好きだった。


当時、今以上に人見知りだった僕は、
クラスに友達がいなかった。


でも、先生のいる学校は
それだけで十分行く価値があった。


友達はいなくても、
先生が見てくれている。


そう、素直に思えた。


そんなある日、
あれは何の授業だったのだろうか。


できた人から先生にノートを
見せに行くという場面があった。


漢字か、作文か、九九だったかもしれない。
なにかは忘れたが、とにかくできた人から、
教室前方の机に座っている先生のもとへ見せに行く。
そしてチェックしてもらう。


僕はそこそこ勉強ができた。


というか、勉強しかできない大人しい子供だったから、
既にノートには解き終えたのだけど、
一番乗りで見せに行くのも恥ずかしくて、
見直したり、書き直したりしているふりをして、
先生の前に列ができるまで時間をつぶした。


そんな子供だった。


列ができ、そろそろかと思い、
ノートを持ち列に並ぶ。


小学2年生。


普通の子供が静かに並ぶ、ということはできるわけもなく、
前後に並ぶクラスメイトはそれぞれの友達と喋っている。


僕は、一人、ただ並んでいた。


結局、人間の記憶に残るのは、
運動会や旅行、のような能動的に作り上げた思い出ではなく
こういうなんてことない一場面だったりする。


さて、列は進み、僕の番になった。


先生は、僕の書いたノートを見て
花丸を付けてくれる。


ノートいっぱいに、勢いよく花丸をしてくれる。


違うところがあっても、
赤ペンで直した後、花丸をしてくれる。


作業としてではなく、
僕の字をしっかりと見て、チェックしながら会話もしてくれる。


当たり前かもしれないけど、
ちゃんと僕と、僕の書いたものを見てくれる。


そう感じた。


マル付けは進む。


先生がノートのページをめくる。


元気な花丸を書いてくれる。


学校でしか見ない赤ペンから出る
摩擦音は気持ちいい。


先生はペンを立てて丸をするから、
音に安定感がある。


ページをめくる。


丸を付ける。


あ。


と、先生が言う。


僕も、なんだか違和感覚える。


音がちょっと違かった。


先生は、あーごめんごめん、
と、ものすごく申し訳なさそうにする。


よく見ると、
ノートに下敷きが挟まっていた。


当時、僕は透明の下敷きを使っていた。


そして僕が、下敷きを挟みっぱなしにしていたのだ。


だから、それに気が付かず
先生は下敷きの上から大きく
目いっぱいの花丸をしてしまったのだ。


先生は焦って、僕に謝っていた。


今となれば、焦るのもわかる。
児童のものを汚したわけではあるから、
気持ちはわかる。


ただ、僕は嬉しかった。


誇りだった。


先生は、字がきれいだった。


僕は汚かった。


先生はよく、下敷きを敷くよう言っていた。


守る人は多くはなかったが、
みんなアニメのキャラクターなどの下敷きを買う中、
僕は無地の、しかも透明の下敷きを使っていた。


ここで、色さえも選べないような
小心者の子供だったのだ。


親にも、色付きでいいんじゃない、と言われたが、
何もないのがいい、と言っていた。


それに、無駄に物持ちがいい人間なので、
透明と言っても、かなりくすんでいた。


それが僕にとって、
コンプレックスの象徴だった。


なんで僕は、
先生に怒られるかもしれないけど、
派手な下敷きを選ぼうとしないんだろう。


なんで無地の色付き下敷きさえも選べないんだろう。


こんな くすんだ透明の下敷き。


優等生すぎてなんか嫌。恥ずかしい。


でも、そんな僕を、
先生の花丸は肯定したように思った。


透明の下敷きいっぱいに
広がる先生の花丸は、


先生だってミスをする、


真面目なら、真面目でいいじゃない、


そんな意味のある、花丸に思えた。


周りの子供は、それぞれがおしゃべりをしている。


だから、これを知っているのは、
僕と先生だけの秘密。


その嬉しさも加わって、
僕は、大丈夫です、と言って
席に戻った。


その後、その下敷きをずっと使った。


友達に、親に、
どうしたの その下敷き、と言われると、
それだけで僕は笑顔になった。


下敷きを見るたびに、
そばに先生がいるように思った。


その下敷きは、
今はもうどこかにいってしまったけれど、
僕の心にはあの時の花丸が、まだ鮮明に咲いている。


いいなと思ったら応援しよう!