知らないって言い続けてよ
誰も私の声なんて聞こえないような嵐の夜に
聴いてよ
私が今the 1975の曲で幸せを感じてるってこと、ストーリーで投稿しようとして嫌になった。今日でもう、4つ目のストーリーの投稿になる。
一体、GAFA以外の誰が私の現在位置を知りたいなんて思ってるんだろう?
この投稿に何の意味があるわけ?
涙が出るほど笑っている絵文字が頭の中で爆発する。よく投稿で見る絵文字。何がそんなに楽しいんだろうか、と思う私は冷めてるんだろうな、そのくせ「聴いてよ」なんて押し付けがましい文言をこの文章の頭に載せている、わかるね?
文章を書いている間は大抵息を止めている。音楽は流れている。ピアノの音が早まる。私は一日一日を失い続ける中で無駄なあがきを試みる。私は書くのが好き、そう、書いてないとやっていられないから、……それならなぜ私は別の人生を歩んでいるんだろうね。なんで、私はカフェやファミレスのバイトをしながら苦労して書いている、みたいな定番の人生を避けるんだろう。結局私が欲しいのは安定という名のタイトルなんじゃないの、と思って気落ちする。
苦しさに耐えたくない。その先にあるものに本当に価値があると思えない。そんなことより何より、私は今聴いている音楽をシェアしたい。今これが好きでね、こう思っててね、今日は秋の風が綺麗だね、とか、伝えたいことは山ほどあるし、実は伝えたい特定の相手もいるんだけどさ。この感情が報われるかはまた別の話でしょ?
でも 本当は
全部がどうでもよかったりして
私が誰かと繋がるよりも、私の中で感情と言葉が一致する方が大事だったりする。外の世界なんて煩雑なだけ。全世界の人たち全員がビジネスという言葉に取り憑かれているような気になる。もっと純粋で美しいものに触れたい。守りの外壁が崩壊寸前な状況、また訪れちゃったね、もう来ないでって言ったのに。
私と同じように寂しい思いをしているそこの君へ、いつか友達になりたいね。