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雨の記憶 2

「あなたとは、その店で初めて会ったのよ、あなたは友人と2人で深夜2時くらいに、」 
「思い出したよ、その日は雨の日だった、古いビルの狭い階段を上がった突き当たりのお店だったよね?」
だんだん、記憶が鮮明になってくる気がした、でも一気に滝のように流れ込んでくる記憶の整理がつかない。いったん電話を切って記憶をまとめよう。そう思い再会の約束をしようと。
「じゃ今度、ゆっくりご飯でも食べながら話しませんか?」
再会の日時は決めなかった。
「じゃぁ、今度は私から電話するわ」
そう言って彼女は電話を切った。
電話を切った途端、記憶がどんどん溢れてきた、あの時は友人に誘われるがままに、終電時間も忘れて飲んでいた。そんな時、雨に浮かんだぼんやりとしたお店の看板に吸い込まれるように、あの狭い階段をのぼっていった。
「そうだ、彼女とはあの店で初めて会ったんだ」
「でもどうして、今まで忘れていたんだろう?」
何かが記憶の奥にひかかってる、
「この違和感はなんだろう?」
あの店の内装、照明、壁の色、音、匂いまでも感じる。
「確かにその店で彼女にあった」
その店に入った時の彼女の少し驚いたような表情。
マスターの常連のお客に向ける気さくなあいさつ。
一瞬感じたその違和感までも。
「そうだよ、この記憶は5年も前の記憶じゃないんだ」
まるでついこの間、その店に行ったかのような、鮮明な記憶なんだ。
「ほんとうに、彼女に会ったのは五年も前だったのか」
記憶が薄れないうちに出来るだけ思い出しておくことにした。彼女との再会のために。
その店は、古いビルの2階にあった。
L型のバーカウンターしかない小さなBAR。
従業員はマスター1人。ビールを注文すると。
「ビールね、うちはセルフサービスなんだよ」
後ろにあるビールサーバーを指さした。
「グラスも横のショーケースにあるやつを、勝手に使って」
ビールをサーバーから注ぐなんてした事ないから、友人と何杯もおかわりをした。
そうそう、そのショーケースの横にレコードプレイヤーがあった。
「これと同じような物が、実家にもあったなぁ」
バックバーをみると本来はお酒とリキュール類で飾られてる棚が、半分ほど、レコードが占領したいた。
「マスター、たくさんありますね、レコード」と言うと。
「好きなのあったらかけようか?」
と言われたものの。
「すみません、クラシックには、あまり知識がなくて」
「いやぁ、クラシックはほとんどないよ、ジャズがほとんどだな」
レコードと言えばクラシックという勝手な思い込みで少し恥ずかしく。次の言葉につまっていると、カウンターの隅にいた彼女が、
「じゃマスター、、これお願いしていいかしら?」
カウンターの上に置いてあった。ひとまわり小さなレコードを差し出した。
マスターは黙ってうなずいていた。
「じゃ、僕がかけますね」 
「お願いします」
彼女からレコードをうけとった。微かに彼女の指先に触れた気がした。
何も書かれていない、真っ黒なレコードだった。そして、静かに針を落とした。少し波を打ったレコードがら心地よいメロディが聴こえてきた。
「この曲名はなんですか?」
「私も知らないのよ、お借りしたものなんですけどね、返しそびれてしまって」
「素敵な曲ですね」
「そう素敵な曲ね」
そう言いながら、彼女は目を閉じていた。
隣では友人がなにやら彼女と口論をさっきからしいている。どうせ安っぽい焼きもちなんだろう。
「おい、先に帰ってもいいぞ、お前の家はここからタクシーでそんなにかからんだろうし、僕は始発までここにいるから」
「悪いなぁ、ごめん、あいつがさぁ、色々うるさいんだよ」
友人はそそくさと、バツが悪そうにカウンターに千円をおいて、階段をドタバタと降りていった。
一瞬、静寂があった。
もうレコードは終わっていた。
「もう一度かけましょうか?」
「ありがとう、でも大丈夫」
僕は、レコードをそっと取り出し彼女にわたした。
微かに香水の香りがした。
始発までまだ2時間ほどあったので何杯か呑むとしよう。
僕はそう思いバックバーに並んだお酒をぼんやりみていた。
ふと彼女のカウンター上にある、ワイングラスに入った赤ワインが目に止まった。
「マスター、僕も彼女と同じものいいですか?」
「あ、これ?」彼女がグラスをあげた。
「これは、ポートワインよ」
「ポートワイン?」
マスターがボトルをカウンターの上においた。
ラベルの赤い丸が印象的なボトルだった。
「甘いけど大丈夫?」
マスターがグラスに注いでくれた。甘い香りがした。
僕は乾杯の仕草をして、彼女にグラスを傾けた。
彼女が少し微笑みを浮かべた気だした。でもそれも一瞬だった。
雨が強くなってきたのか、ガラス窓を雨粒が叩く音が大きく聞こえた。
雨音とマスターがリズムよく氷を刻む音だけだ店内に響いていた。
「何か音楽をかけましょうか?」
「このままでいいわ、ありがとう」
そう言って、ポートワインに口をつけた。
「このお店には、よく来られるのですか?」
月並みな質問をしてみた。
「そうね、よくきますよ」
「いいお店ですね、とっても落ち着きます。ついつい長いをしてしまいそうです」
彼女はグラスを片手に持って見つめていた。
店内の灯りがポートワインの赤に反射して揺れていた。
そして、残りのポートワインを飲み干した。
「ホントはね、ここ毎晩来ていたのよ」
「毎晩ですか?」
「そう、飽きもしないで毎晩このお店に、5年間、、、でもそれも今夜で最後にしたの」
彼女が全て過去形ではなすことに少し違和感を感じたが、それはもう変えるつもりのない彼女の意思を示してるようにも感じた。

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