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不登校▶娘との新しい朝◀
制服を脱いだ日
朝の7時。カーテンの隙間から差し込む光が、いつもより優しく感じる朝でした。
「今日は行かなくていいんだよ」
声に出した瞬間、長い間押さえつけていた重しが取れたような感覚が私の胸を満たしました。ベッドで丸くなっている娘の肩に、そっと手を置きます。
「ほんと?」
不安げに振り返る12歳の瞳。この3ヶ月、毎朝繰り返されてきた攻防戦のような時間。制服を着るところまでは何とかこぎつけても、玄関先で固まってしまう娘。次第に頭痛や腹痛を訴えるようになり、先週からはついに二階から降りてこなくなってしまいました。
「ママ、ごめんね...」
震える声で謝る娘を抱きしめながら、私の目からも涙がこぼれました。謝らなくてはならないのは私の方。どれだけ娘が苦しんでいるか気づかず、「頑張れ」「行かなきゃ」と追い詰めてきた日々。
実は、私にも似たような経験があります。15年前、新卒で入った会社での毎日。人間関係に疲れ果て、出社できない日々が続きました。周りからの「仕事なんて誰でも辛いのよ」「これくらいで躓いてどうするの」という言葉が、さらに私を追い詰めました。
そんな時、母が私に言ってくれた言葉を思い出します。
「今日は休もう。一緒にお買い物でも行かない?」
その日の午後、母と二人で歩いた街の景色は、今でも鮮明に覚えています。重たい空気から解放され、久しぶりに笑顔で話せた時間。それが私の心の治癒の始まりでした。
「ねえ、お母さんと一緒にお買い物に行かない?」
娘の顔が少し明るくなります。制服を脱ぎ、お気に入りのワンピースに着替える娘の仕草に、久しぶりの自然な柔らかさを感じました。
駅前の小さなショッピングモール。平日の午前中とあって、人も少なく静かです。娘のペースでゆっくりと店内を巡ります。文房具コーナーで足を止めた娘は、カラフルなノートを手に取りました。
「このノート、可愛いね」
「うん。お絵描きしたくなるような...」
最近の娘の様子を思い返してみると、休み時間に一人で絵を描いていることが多かったと担任の先生から聞いていました。友達と話すのが苦手で...と心配そうな口調でしたが、今の娘の表情を見ていると、それは彼女なりの大切な時間だったのかもしれません。
カフェでお茶をしながら、少しずつ娘が話し始めました。クラスの中で感じる居心地の悪さ、勉強についていく不安、でも誰にも相談できずにいた気持ち。黙って聞いているうちに、これまで気づかなかった娘の繊細な心の機微が、じんわりと伝わってきました。
「お母さんね、これからは娘の気持ちを第一に考えたいの」
私の言葉に、娘は少し驚いたような、でも安心したような表情を見せました。
帰り道、文房具店で買ったノートを大切そうに抱える娘。家に着くなり、リビングのテーブルで早速ページを開き、色鉛筆を取り出しました。
「お母さん、見て。この前考えたキャラクター」
恥ずかしそうに、でも誇らしげに描きためていた絵を見せてくれる娘。個性的なキャラクターデザインと、細かな設定に込められた想像力に、私は驚きと感動を覚えました。
「すごいじゃない。もっと描いてみたら?」
その言葉で、娘の目が輝きました。
明日から、私たちの生活は変わります。決まった時間に起きる必要はありません。娘のペースで、少しずつ前に進めばいい。まずは家で、彼女の好きな絵を描く時間を大切にしていこうと思います。
オンラインでの学習支援を探してみるのもいいかもしれません。でも、それは焦って決める必要はありません。今は娘が安心して過ごせる場所を作ることが、私にできる最初の一歩。
夕方、台所で夕食の支度をしていると、リビングから娘の歌う声が聞こえてきました。小さな声ではあるけれど、確かな安らぎを感じる音色。
「お母さん、明日も一緒にお買い物行ってもいい?」
夕食の後、お風呂に入りながら娘がそっと尋ねてきました。
「もちろんよ。今度は、画材を見に行ってみない?」
娘の頬が薄紅色に染まります。今日一日、私たちは新しい光を見つけた気がします。学校に行かない選択は、決して後ろ向きなものではありませんでした。むしろ、娘の本当の姿に気づくきっかけになったのかもしれません。
ベッドに横たわる娘の寝顔を見つめながら、私は静かに誓いました。焦らず、比べず、この子のペースを大切にしよう。明日は、また新しい一歩を踏み出す日になるはずだから。