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偉そうだけど、でもすごく大事だと思うから書きます。

ちょっと言葉が過激になっちゃうかもしれない。
けど、今回すごく危機感を覚えたし、問題への根深さを実感したから、意を決して書きます。


司会進行・ファシリテーターとして関わっています

昨年から関わっていた「主体的な子どもの育成を目指す」幼稚園教諭・保育士・学童支援員のための養成講座。

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5月下旬に2日間・2週間あけて6月上旬に2日間の計4日間実施することになっています。
これを書いているのは5月27日。
最初の2日間が終わり、感じたことを書いています。


今回関わることになったきっかけは、ひとつにわたしがこの園の卒園生の保護者だったから。もっと言えば、保護者として経験させてもらったことにとても影響を受けたし、学んだし、感銘を覚えたからでした。

そして佐藤代表や園長と大学・高校が同じであり教育環境に対する想いや願いに共通する点、共感する点が多かったことや
さらにはわたしがアクティブ・ラーニングの場を運営している、というように、いろいろな要素がご縁になりました。

代表の「若手を育てていかなければ」という想いを形にすべく、企画、運営に携わっています。


この講座の重要キーワードは「主体的」です。

実はアクティブ・ラーニングが、再度見直され、推進されています。

子どもたちが小学校から持ち帰ってきたチラシ
ここにも「アクティブ」という言葉が使われています

「アクティブ・ラーニング」は直訳して使うのではなく、教育現場の視点で訳すと「主体的で活動的な深い学び」という意味あいです。


養成講座開講のきっかけ

幼稚園や小学校という現場で「子どもに主体的に学んでほしい」と願う教育者はごまんといると思います。

では「主体的」ってどういう姿?

みなさんは「主体的である」の定義、答えられますか?

「主体的」の定義が、ひとによってまちまちである。そこがまず課題であることが講座開講のきっかけでした。

積極的、活動的とは意味が違うんですよ、主体的って。



そしてもうひとつきっかけになったのが

アクティブ・ラーニングを展開しようとする時、アクティブ(活動的)になっているのが教育者側である、という問題。

子育ても一緒ですけど、、、笑

親(先生)が一生懸命になって「やらせている」状況になること、なっていること、ありませんか?

子どもは「やらされている感」でしか動いてない。結果だけとりあえず丸く収まって、次につながっていかない。だから肯定感もトライする力も育たない。積み上がっていかない。

「主体的な学び」とは、学ぶ側の子どもが主体的になることであり、引き続き主体性を持って活動できるようになること。
主体的に動くことで深い学びへつながるのであって、だから肯定感や「次もやってみよう」という意欲になるんですよね。


開講してみて感じた深い問題

単刀直入に書きます。

教育する側が主体的になれない。

もう、これにつきます。

主体的の意味云々じゃないです。主体的に「なれない」んです。

恐くって。

教育現場で「何かをやらせようとして動くこと」に主体的・活動的にはなっていると思われます。(だけどこれはコントロールになっている可能性がある。だからアクティブラーニングになっていない原因でもある)

だけど、それを提案したり提供する側である本人が、今自分が存在している場(自分で選んでいるであろう場)や今目の前に起きている物事に対して主体的になれない。

ならない、のではなく、なれない。

主体的に”なれない”理由の一つに「失敗したらダメ」「正解じゃないかもしれないからできない」という怖さや不安があるように見受けられました。

これって結局のところ、マイノリティ側の経験や、失敗経験をしてきていない、ってことなんだろうと思います。

  • テストでマルをもらうことが正解で、×はダメ(評価が下がる)

  • 多数の意見と合っていることが○で、違う意見は採用されない(意味ない)

  • 人と違うこと=自分を大切にする経験をしてきていない


そう。
教育を受けてきた人たちの経験不足。結果主体的になれない。肯定感も育っていない。

そこへの課題問題は根深いですよ。当事者だけの問題ではありません。


だからね。

親の、子への向き合い方。

一般的に言われている以上に重要な役割を担っていると思います。



主体的であるためのの根本的感覚

「幼稚園の先生になりたい」「保育士になろう」そう決めて学校を選び、そういう職業を選んだ。

まずここで問いたい。
「主体的」に選んだのですか、と。

これは何も幼稚園の先生や保育士になろうと思った人、なった人ばかりではありません。
何を選ぶにしてもそうです

「主体的」に選びましたか?

仕事とは
自己実現と社会適応のバランスが大切

と、今回の講座では「仕事(金稼ぎだけでない)」を定義づけています。

仕事を選ぶとき
主体的に選びましたか?

そして
主体的の根本的感覚としてあるであろう
「自己実現」という感覚を持って選びましたか?

本来は「自己実現」とは本能的に持っているはずです。


ではお聞きしますよ?

自己実現、ってなんですか?


実際今回受講生のみなさんに質問してみると多かった答えは「やりたいことをやる」でした。


自己実現ってやりたいことをやるってことでしょうか?


わたしは
「より自分を生きる」ってことだと思っています。

自分のいのちをどう使うか
自分で選んでいく、決めていく、ってことだと思っています。

そこに困難も苦悩もありますよね。
でも自分のいのちをどう使うか決められれば
困難や苦労すら「悦び」となるというのがわたしの持論です。

そしてより自分を生きようとする力は、ついたら終わりなんかじゃありません。つけ続けるモノだと思っています。


ごめん。オチはないんだ。

ここまで書いてこれと言ったオチはないんだけど。
読んでくださった方、モヤモヤしたらごめんなさい。

わたし自身もまだまだ子育てに悩みながら、そして仕事でも子ども達と向き合い学ばせてもらいながら過ごしています。

悩みも葛藤もたくさんあるけど
「この子たちがよりこの子になっていけるように寄り添いたい」
という想いがいつでも湧きます。

自分で「こう生きたい」と感じられるように、動けるように、誰かに働きかけられるように。
堂々と自分を生きていけるように。

幼児期に、小学生時代に、反抗期の頃に、青年になる時に…
どう寄り添うことが、どんな環境を提示してあげることが、その子の、その子たちの「より自分を生きる力」を呼び覚まし、育てることにつながるか。

わたしに、今何ができるか。

すごく考えさせられる機会になっています。



今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎