何か一つ極める ー人生が豊かになる7つの方法 その6ー
いよいよクライマックスへと入ってきました。こんなにもたくさんの方に読んでいただいたことに少し、驚いております。また更にはスキも多く押してくださり、ありがとうございます。とても励みになっております。そのためか更新が早くなりました。ワハハ。
皆さんのように毎日更新とはいきませんがより多くの記事を書けたら、と思っています。ぜひ今後ともよろしくお願いします。
それではシリーズの6回目、『何か一つ極める』をお読みください。
すべての道は繋がっている
すべての道は1つのところへと繋がっている。
これが物事の本質です。山の頂上が1つであるように、どんな道も皆、進んでいくと頂点へと辿り着きます。最後は同じところに到達するのです。
何故なのか?それはどんなことも突き詰めれば答えが同じになるからです。結果的に答えは1つだけ、ということになるのです。
皆それぞれ、やってきたことも違えば表現方法も異なります。けれど同じことを答えとして持っているのです。
その答えを知るためには、何か1つ『極める』ことです。たった1つのことを深く理解し、追求したならば、最後に1つの答えが出てくる。
それは万能の答えで、どんなことにも当てはまります。もっと分かりやすく言えば、1つのことを『極める』過程にその答えがあり、その「答え」はすべてのことに当てはまる、ということです。
これは教えてもらって分かるようなことではありませんし、聞いて理解できるものでもありません。自分自身で体験して、ようやく分かることなのです。ですから、何か1つ『極める』ことが重要になります。
じっくりと見返す
何かを『極め』、「答え」に辿り着いた時、人はより強く生きられるようになります。それは生きる術を見つけたかのように、どんなことにも対処できる万能の武器を手に入れたようなことだからです。
『極める』ことは何でもいいのです。自分が得意とすること、好きなもの、仕事や趣味でも何でも構いません。たった1つのことを『極める』のです。
その道の第一人者と呼ばれる人やプロ、またはそのレベルの人を師として教えを乞い、『極める』のです。長い年月がかかろうと、成長が遅かろうと、そんなことは関係ありません。それを『極める』まで続けるのです。
それを人から一目置かれる存在となれば、『極めた』ようなものだと思います。素人では分からない玄人やプロでしか分からないこと、が分かるようなレベルまで『極める』わけです。
その時に自分がやってきたこと、教わったことを一つ一つ丁寧に見返すと、そこに「答え」が出てきています。
その「答え」こそが、すべてのことに当てはまるのです。結局は皆、同じということです。だから、すべての道が繋がっているのです。
もし、「自分にはもう何かを極める時間なんて無い」と思っているなら、それは間違いです。そんな時は自分の人生を振り返ればいいでしょう。
何か続けてきたことはないか?他の誰よりも詳しいことはないか?と考えるのです。必ず何かあるはずです。例えば、仕事でもいいのです。
40年間、会社員として働き、定年で退職して何も極めていないと思うかもしれませんが、40年間も働き続けてきた仕事があります。その仕事の過程を一つ一つじっくりと見返すのです。苦しかった時、嬉しかった時、何かを達成した時、評価された時など培ってきたことの中に答えが隠されているのです。気づいていないだけで、よく考えればきっと見つかります。40年間も続けた実績があるのです。何も無いことはありません。
人生経験が豊富、それだけで答えが隠されているのです。だから年長者の言葉には重みがあるわけです。どんなことも繋がっています。すべて同じです。同じ「答え」に辿り着くのです。
『極める』ことは『悟り』
その「答え」言わば『悟り』と同じです。
つまり、1つのことを『極め』れば、『悟る』ことができるということになります。または『悟る』には1つのことを『極める』といいのです。
この「答え」に辿り着けば、人とは異なる視点から物事が見れるようになりますし、分かるようになります。簡単ではありません。はっきりと言ってしまうと難しいです。
でも、自分の好きなことや得意なこと、仕事や趣味でも、何でもいいと思えば、出来ると思いませんか?
家事や掃除でもいいし、収集やDIYでも何でもいいのです。仕事の専門的なことでもいいでしょう。苦労を苦労と思わないこと、たった1つ『極める』だけで多くのことを『悟る』ことができます。
『極める』と人を尊敬し、信じることもできるのです。その人が本物かどうかさえも分かるようになってきます。
なぜならその人の奥の方で光り輝く、同じ「感覚」のものがあるからです。言葉ではなかなか言い表せにくいですが、お互いに通じる部分があるのです。
けれども、上辺だけで何も分かっていない人にはその「感覚」がありません。何か1つのことを『極める』ために没頭したり、苦労したりした磨き上げられたものが無いからです。
無意識のさらに奥にある潜在的な部分が通じ合い、その人が苦労してきた道や姿が見えてきます。どうして見えるのかは、すべての道が繋がっているからです。すべてのことに当てはまるから分かるのです。「あぁ、この人も自分と同じような道を通ってきたのだ」と分かります。
これこそが『極めた』先にあるものだと思います。
だからといって、分かっていない人を見下すことはいけません。こんなことは『極めて』悟れば、当たり前のことですが、「分かっていない」というのは、まだ『極める』途中であり、『悟り』の道半ばということです。もしかすると、これから『極める』人かもしれません。
ですから、『極めよう』『悟ろう』としている人には、どうすれば『極める』ことができるか、自分はどのように『悟った』かを教えてあげるといいでしょう。
『極める』ことをしようともしない人には何も教える必要はありません。もし、興味本位で聞いてくるような人がいたら、「分からない」とひと言だけ言って相手にしないことです。どれだけ丁寧に説明をしても分からないし、理解しようともしないでしょう。上辺だけの言葉を取って、間違った解釈をします。それにわざわざ自分の貴重な時間を割くのももったいないでしょう。
『極めた』先の世界
こういうことも1つ『極める』ことで、分かってきます。「究極」というのは、突き詰めて極めることです。「究極」まで『極める』と様々なことが分かってくるようになります。
たった1つ『極める』ことで、その先に広がる世界があるのです。その世界は頂点ではないかもしれません。しかし、そこから見える景色は他の人とは見えているものが違う景色です。この景色が自分の力なのです。人生を強く生きられる力です。
この力は人生をより楽しむことができる武器になのです。何か1つ『極める』ことで、この力を手に入れることができるでしょう。
ぜひあなたがこの力を手に入れられることを祈ります。
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