「死ぬってどんな感じ?」というブログ記事を翻訳しました
前回シェアしたナンシー・ラインズの臨死体験インタビューを繰り返し見ていましたが、彼女の著書「Awakenings from the Light(光からの目覚め)」も気になり読んでみました。読みやすくて、素晴らしい内容でした。
当然ながらスピリチュアルなものですが、実用的というか…
ファンタジーに偏ったものではなく、私達が人生を歩んでいく上で何を大切にしたら良いか、どう生きていったら良いかを案内してくれる内容でした。
彼女が臨死体験後に綴っていたブログ記事をまとめ、それに加筆されているのが本だと思われます。本の内容をそのまま抜粋するのは問題ありそうですが、一般公開されているブログ記事のシェアは大丈夫かなと思い翻訳してみました。
死ぬのが怖い、という私みたいな人へ。
ほんの少しでも安心できる材料になれば良いなと思います。人それぞれ、死の何が怖いのかというツボみたいのは違っているとは思うのですが。
「死ぬのはどんな感じだったか」
臨死体験についての本を書き続けていて、私の心の中で1つのことが明確になりました。
肉体が死ぬというのは、どれほど簡単だったかということです。 自分が思っていたほどトラウマ的ではないように見えたという意味での「簡単」を意味します。
死をはっきりと垣間見た後、この世に戻ってきてそれを熟考し、他の人とその体験を共有するのは奇妙なことです。 ですが、私が死に近づいたときに感じたことを共有すれば、他の人々の役に立つかもしれないと思うのです。愛する人を亡くした喪失に対処したり、自分自身の死への恐れを乗り越えるために。
私たち人間の多くがそうであるように、私は時々自分自身の死を考えていましたが、常に恐怖に直面しました。死の恐怖は痛みを伴い、恐ろしく、困難であり、または感情的に苦しむことになるでしょう。 何年もそうしていればいるほどに、死そして死ぬことをもっと恐れるようになりました。 いつか死ぬ時が来るとはわかっていましたが、死について考えない方がいいと思うに至りました。自分が直面できる以上に、死の恐怖は大きく暗く見えたからです。
以前の投稿で詳しく説明したように、自転車とSUV車の衝突事故の際、私が自転車に乗って町を通り抜ける時、その車は私を跳ねました。衝撃の瞬間から救急隊員が到着するまで、私は文字通り肉体的な痛みを感じず、体のどこにも肉体的な感覚はほとんどありませんでした。 後から考えると、これは本当に私を驚かせます。
SUV車が私に衝突した瞬間から、私は言葉にできないほどの痛みを感じると思っていましたが、そうではありませんでした。 その間、私は肉体的にかなり大丈夫だと感じました。少なくとも、肉体的な痛みを感じませんでした。
実際、私は痛み、触覚、圧力、衝撃などを含む肉体的感覚がほとんどありませんでした。
このようなトラウマを経験する人は、痛みや肉体的感覚の影響を受けるのではないでしょうか? 私にはわかりません。私は自分が経験したことを知っているだけです。
この痛みの欠如は、私の肉体それ自体が持つ鎮痛剤、エンドルフィンなどが作用した結果だと思います。 痛みを取り除いただけでなく、何が起こっていても私の心を落ち着かせているように思えました。
私はある程度の恐怖を感じましたが、それは私が思っていたほどすべてを消耗させるものではありませんでした。 恐怖はやや切り離されているように感じました。まるで私が他の誰かの考えを聞いているかのように。
恐怖は私のものでしたが、完全に私のものではありませんでした。 さらに興味深いことに、恐怖はコントロール可能でした。 私の脳は恐怖を私の思考の残りの部分とは別の小部屋に入れているようでした。
「家族はどう反応するのだろうか」「ナンバープレートを握って」「車軸を握って」「起き上がって走って」など、私が考えていたことはまだかなり明確なものでした。恐怖を感じていたにもかかわらずです。
救急隊員が到着しERへの輸送の準備をするまでは、痛みとパニックは実際には起こりませんでした。
私に起こったことを理解することで、友人や愛する人のトラウマ的な死に対処するのが少し楽になります。 彼らは肉体の最後の瞬間に痛みの感覚を失ったのではないかと思います。少なくともそう望んでいます。
私の意識は楽々と「観察してる自分」と「動物である自分」に分かれたので、すべてがそうあるべきだと感じました。
ただ分離しました。瞬間的に私は1人の「私」であり、次には2つの視点から事故を体験している2つの場所にいました。
この分離についての心配はありませんでした。それは自然で「正しい」ように思えました。
「観察してる自分」(肉体の外にいる存在)は、私がこのトラウマを経験していることを少し悲しく感じましたが、彼女はすべてが大丈夫であることも知っていました。 それはトラウマでしたが、私は自分が経験する必要のある何かを経験していて、すべてが順調でした。
「観察してる自分」は本物の私、つまり時間を超越した私、死なない私の存在の一部のように感じました。
私の魂またはスピリット。 私は今、それが実際に存在すること、私たちは単なる肉体ではないこと、私たちが人類と呼ぶこの美しいDNAの具現化以上の命と生活があることを知っています。
手術中の臨死体験も楽なもので、「正しい」と感じました。 ある瞬間に私は意識を失い、次の瞬間には明るい光と暖かいそよ風が私を取り囲みました。 その場所はとても魅力的で、本来の私の家のようで私はそこを去りたくありませんでした。
そこに行くプロセスは、痛みを伴う、トラウマ的な、または恐ろしいものではありませんでした。 簡単でした。 正しいものでした。
肉体からの私の"より高い意識/精神"の楽な分離(少なくともそれが起こったと私が信じていること)は、死のプロセスを少しより良く理解するのを助けます。
私にとって、それは苦痛でも圧倒的に怖いものでもありませんでした。
スピリットの領域を垣間見たと信じているこの経験は、私の死への恐れを完全に取り除きました。 私はもはや死を恐れません。私は死ぬ時が来ることを知っているけれども、これから情熱を持って完全に私の人生を本当に生きることを選びます。
ナンシー・ラインズのブログ「The Sprit Way」 より。
原文は以下のリンクをご参照ください。
臨死体験をした方はほぼ100%間違いなく死の恐怖がなくなっています。
死ぬこと、死のプロセス、肉体を手放すこと、死の状態…全ては大丈夫だと知るのだから当たり前ですよね。うらやましい…
知識として知るのと、実際に体験から知るのでは全く違うのでしょう。
本当に不思議です。何故こんなに死ぬのが怖いって感覚がはびこるのか。
本来私たちはその状態にあった、「死」と私たちが呼ぶ状態に元々はいた、そして死が愛の状態である素晴らしいものだと知っているはずなのに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?