コロナ病棟で働いた経験が私の生き方を変えたと思うお話
わたしは小さい時からかなり人の目を気にしていた。
ただ、大昔の幼稚園の時はそんなことなかった。
毎日音楽に合わせてスカーフみたいな衣装を身体につけて、ノリノリのアイドル気分で踊ってた。
歌うことも踊ることも大好きで、人の目なんて気にしていなかった。笑
でも小学校に入るあたりで、急に周りの目を気にし出した。
きっかけはなんだったのか、はっきりと記憶はない。
ただ、同級生が突然クスクス笑ったり、
ヒソヒソ話したり、
突然仲間はずれをしたり
そういう状況を認識してきたあたりから、
急に前に出るのが怖くなった記憶がある。
とにかく目立ちたくない。
自分が他人から何か言われるのは、とてつもなく怖い。
そんな感じだったので、先生の言うことは理解できても、
答えがわかっても、みんなの前で発表なんてした覚えがない。
手を挙げることが、震えるくらいに怖かった。
通信簿の「積極的に発言する」みたいな
項目だけはいつも「がんばりましょう」だった。
そんな状態のまま、大学生まで過ごし、社会人最初の方までも過ごすのだけれど。
過剰に周りの目を気にしていたせいで、
定期的に外に出るのが嫌になる時期があった。
着替えて持ち物もすべて持って、
玄関のドアに手をかけたのに、
外に出れないなんてことは日常茶飯事だった。
大学生までの私の目標は、
冗談抜きで「毎日外に出る」だった。笑
姉には
「あんたずっと家におって、ニートやん。笑」
なんて言われて。
外に出た後、例えば学校から帰った後とか休日は
睡魔が凄まじく、いくら寝ても寝ても眠かったし。
今でもいくらでも寝れるタイプではあるが、
そこまで外に出るハードルは高くなくなったし
帰宅後の疲労度は昔よりだいぶ下がったとおもう。
こんな性格だったわたしが変わったきっかけは、
大学時代のサークルだったり
お付き合いした経験だったり
いろいろあるわけですが。
1番劇的だったなぁと思うのは、コロナ病棟に配属された経験だったと思う。
2020年3月、コロナ病棟に立ち上げからメンバーとして参加した。
そこで目の当たりにしたのは、
数日前までイキイキ生きていた人たちが
コロナに感染し、最期家族と面会もできず
独りで亡くなっていく姿だった。
最初の頃は、未知のウイルスであったことから
感染防止のため亡くなった後も
家族であっても
身体に触れること、近くで顔を見ることも許されなかった。
いくらお金を稼いでいたって、
いいものを持っていたって、
隔離病棟には何も持って入ることは許されなかったし
お金があっても、寿命が伸びるなんてことはなく
死は皆んなに平等だった。
私は当時感情移入が凄まじいタイプの人間なのが災いして、
腫れたこともない扁桃腺が
コロナ病棟にいる時は常に腫れ、
夜勤の後は毎回喋ることも食べることもできなくなるため
抗生剤の点滴をしながら働き、
脱水になりかけて何回か泣きながら夜中に自分の病院に
点滴をしてもらいに行くような1年だった。
(異動後は扁桃腺が腫れることなんて一度もなかったから、心と身体ってこんなにも繋がってるんだなあ、、って痛感して、ある意味いい経験だった。)
そこで感じたのは
人生の終わりって唐突なんだ、ってこと。
人は死ぬ時結局独りなんだ、ってこと。
お金を持ってても、いい物を持ってても
死ぬ時は何も持っていけないんだ、ってこと。
死を前にしたらお金持ちでも貧乏でも、
皆んな平等なんだ、ってこと。
当たり前のことだけれど、
これらのことを強烈に痛感した。
私はもともと物欲は薄い方だったが、
ますますブランド物への憧れとか執着はなくなったし
(心踊るものがブランド物で買うこともあるけど笑)
他人の目を気にして、やってみたいことをやらないことも多かったが、
やりたい時にやらなきゃ。
だって、人って突然に死ぬし。
って思考になった。
今は経験にこそ価値があると心の底から思っているし、
どうせ自分が何も持っていけないなら、
人のために生きたいなと思うようになった。
あとはSNSの記録に残すこと、
例えばTwitterの投稿とか
Instagramの投稿とかさえ、
なんか目立ちたがり屋みたいで恥ずかしい、、
とか
他人の目を気にしてできないタイプの人間だったわたしだけど
「ここにこうやって、わたしは生きてたんだ」
って振り返れる、楽しかった記憶も感情も
写真とか映像でブワァって蘇らせることができる
このツールを
他人の目を気にしてやらないなんて
本当にその考えは、くだらなかったなぁって。
そう思うようになったのは、面白い変化だった。
いろいろごちゃごちゃ考えていたのが、
ただ純粋に今の自分を残しておきたい、
楽しかった記憶を、記録としても残しておきたい、
って純粋に楽しんで投稿できるようになった。
他の人の嬉しい投稿も喜びとパワーをもらえるから
大好きで見てしまう。
幸せが溢れてて依存症になりそうだから注意だけど。笑
(他人の幸せを、素直に喜べない自分がもしいるのなら、「今わたしは余裕がないんだなぁ」ってな感じで、SNSはお休みした方がいいとは思うんだけど。)
友達の結婚式の写真とか、
アラサーなもんでよく最近見るけれど。
嫌な人もいるみたいだけど、おかしいかもだけどわたしはそういう幸せ投稿が、大好きで。笑
結婚式に行ったとき、幸せのお裾分けをもらえる感覚と同じ感じで
幸せな気分になれるんだよなあ。
そうやって他人の幸せで自分も幸せに浸れる、単純で素直な性格も悪くない、って思ってる。笑
(なんのこっちゃ
同級生とか近しい誰かが亡くなったとか、
そういう悲しいニュースが来ませんように、って。
コロナの時はずーーっと祈ってたし、
その感情を忘れられないからかなあ。
基本感情が引き摺られていってしまうタイプなので。
元気で皆んな何かしら乗り越えて生きてるんだよなあ
って思ったら、本当に本当に
幸せな姿を遠く離れていてもSNS上でも教えてもらえる
この現代って時代はとっても最高だな、って思う。
なんていいつつ、大事なポイントは、
正直他人は、自分のことを思ってるより気にもとめてない、ってこと。
皆んな自分の人生を生きてるんだから、それは当たり前で、それがあるべき姿だと思う。
他人の目を気にせず生きていく
ってことができるようになっていくと
とーーっても生きやすいんだよね。
コロナ病棟の1年間、わたしは心の表面上はそこまでしんどいっていう意識はなかったけど、
身体に出てた通り、たぶんそこそこしんどかったんだと思う。
でもその経験が
生きるとは何か、
どのように生きたいか考えるきっかけをくれたし、
生き方を変えてくれたとも思う。
コロナ禍で、旅行にもいけず友達にも会えず
助産師だけど亡くなる人を日々みる病棟にいて
色々な葛藤もあって
辛かったけど
「この経験から絶対に何か掴み取ってやる」
って、ずーーっと考えてた。
(損するのが大嫌いな関西人なので、、笑)
間違いなくいろいろ掴み取ってきた自負はあるし、
あれは今の私の人生を前進させてくれてる、
大切な経験だったと思う。
学ばせていただけたことに、強くしてもらったことに感謝。
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