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新規就農物語④〜サラリーマン時代〜

ついに社会人までたどり着いたこのシリーズ。なんとなく高松利行という人間がどんなやつなのかわかっていただけたでしょうか?

最初にも書きましたが、自分が農家になると挑戦した時に、どんな人間がどんなタイミングでどんな想いでそのチャレンジをしたのかに興味があって、意外にそこの部分ってあまり出てこなかったので自分でそれを綴ることで、これから新規で農業にチャレンジしたいという方の後押し、もしくは諦める材料になっていただけたら嬉しいのです。

誤解のないようにお伝えしておくと、「後押し、もしくは諦める」と書きましたが、誰かの意見を聞いて諦めることも大切なことだと思います。最初から自分にはちょっと違うなと思れば大切な時間やお金を使うことがなくなるので。(だから決して「諦めろ」と言っているわけではないですよ)

ここからご覧になった方は、今までのシリーズをご覧になってからお進みくださいませ。

俺、超気が弱いんです。


さて、堕落した生活を送っていた大学時代でしたが、いよいよそんなダメ男も社会人デビューです。

地元新潟の農協に就職し、初年度の配属は金融課。ということでこんなだらしない人間が銀行マンになったのです。

仕事内容はというと、銀行の金庫番。その支店の現金は全て自分が出して自分に戻ってくるという役割を1年目から任されました。

仕事に就いた初日。例の如く課で歓迎会を開いてくれた時のことでした。

めちゃくちゃ人見知りな上に、実家は自営業なのでサラリーマンがどんなものなのか全くわかっていなかった自分にとって、「部長」とか「課長」ってなんかもう大統領くらい偉い人のように思えていたんです。

飲み会の席での座り方は、絶対正座を崩してはいけない。

そんなよくわからないことを考えていた自分は、次々にお酒をつぎにきてくださる先輩方のありがたいお話を聞く際も、常に正座。

2〜3時間くらいずーっと正座をしていたんだと思います。

もちろん、先輩方は優しいので「足崩しなせや」と言ってはくれるのですが、なんか正座をするのが礼儀正しいんだ!みたいな変な考えがあって、「いや、ずっと剣道やってたので正座慣れてるんです」なんて言って足は崩さず。

歓迎会が終盤に差し掛かる頃、さすがにトイレに行きたくなって席を立とうとしたのですが、もうそのくらい正座をしていれば足の感覚はなし。

今思えばその時、「ヤベー!足が痺れて動けねー!」とか言っていれば先輩方に可愛がられたんだろうに、その時の自分が考えたことは、

「足が痺れて動けないとか恥ずかしい」

でした。

なんだそれ…。馬鹿か?馬鹿なのか?

限界まで正座をして感覚がなくなった足でスクッと立ち上がり、一歩目を踏み出した瞬間。

グキッ!

その場で転んでもっと恥ずかしい想いをすることになるのです。しかも足をみるとめちゃくちゃ腫れている。

『スラムダンク』山王戦のゴリのように足が腫れているのです。

ということで、社会人生活初日から足の捻挫という大きなハンデを背負ってのスタートを切ったのでした。


あの時、素直にあぐらをかいていたら。

あの時、足痺れた!と負け顔ができていたら。


気が弱く、いつも人に気を遣って良い子に見られたいと思って生きてきた22年間。

それがあの時の捻挫を引き起こしたのでした。

そんな超痛い洗礼を受けた社会人生活も、だんだんと職場にも慣れてきて自分が一番大切にしていたことは、

仕事を早く終わらせること。

それだけでした。

15時にお店が終わってから現金を数えて、伝票や金庫を閉めたら自分の仕事は終了。

その時間をどこまで短くできるか、それしか考えていませんでした。だって残業なくせば会社にとっても利益になるので。

最後の方は15時に店を閉めて15時半には業務終了。あとの時間は明日の準備をしたり他の部署の先輩と話をしたり、もちろん仕事が終わっていない人のお手伝いをしたりと、そんなこんなでその部署で3年働くことになりました。

ちょうどその頃、自分が直接就農を目指すようになった重大な人物と出逢ってしまうのですが、長くなったのでまた明日。


今日のまとめとしては、

・高松はめちゃくちゃ気が弱い人間だった。

です。さぁ、こんな気が弱い人間がどうして脱サラ新規就農したのか!?

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