新規就農物語①〜幼少時代〜
注)新規就農とは全然関係ないのですが、自分がどんな人間でどんな人生を歩んできて、どんなタイミングや想いで農業を始めたのかを知ってもらいたいので、子どもの頃のお話から始めたいと思います。どうぞ面白がってお付き合い頂けたら嬉しいです。
1983年4月6日。
夫婦で床屋さんをやっている家に、長男としてこの世に生まれてきました。
父、母、姉、わたし、妹の5人家族。
自営業の辛さがわかっている母は、わたしにサラリーマンや教師になって欲しいという想いがあったようですが、その想いは届かず自営業の中でも結構厳しめの農業という仕事につくことはその頃は想像もつかなかったはずです。
小さい時から3つ年上の姉のやることになぜか興味があり、姉が剣道を始めたら自分もやりたいと剣道をはじめ、姉が習字を習い始めたら習字を習い始め…。
それはもう少し大きくなってからも同じで、姉がHi-Standardを聞いていたらそれに興味を持ったり、姉がギターを始めたらそれを借りて自分でもやってみたり…となぜか姉のやってることが「かっこいい」と思っていたんです。
農業を始めてからも、姉から「ワインぶどういいじゃん」と言われたその翌年にはワインぶどうを育て始めて、今ではひかり畑のメイン作物になっています。
今思えば、思春期に反抗期なんてものはそんなに酷くなかったような気がしていて、むしろ家族でいることが結構好きな方でした。
ただ、何をやっても長続きしない性格で、習字は最初は飴をもらえるのが嬉しかったから行っていたのですが、お小遣いでお菓子を買えるようになると飴の価値がなくなり断念。
ギターをやってみては【F】がなかなか鳴らせずに断念。じゃあ弦が4本しかないベースをやろうとベースをやるも、座っては弾けるけど立って弾けないことがわかって断念。
ただ唯一剣道だけは長続きしたんです。小学校1年生から高校1年生の夏まで続きました。でもなぜ剣道がそこまで続いたのか。別に剣道が好きだからじゃなかったんです。
親に申し訳ない。
そんな想いがあって剣道をやめられなかったんですよね。と言うのも、気が弱いわたしは、なかなか「辞める」とは言い出せずに、「辞めたいな」と思うタイミングで親が結構良い値段が高めの防具を買ってくれる。そのタイミングが小学校5年生くらいだったかな。
親としては中学では剣道部に入ると思っていたらしく、そのタイミングで中学生3年間も使えるようにと考えて良い防具を買ってくれたんです。
本当はサッカー部入りたかったのに…。
こんな感じで中学3年間をあまりやりたくなかった剣道部として過ごすのですが、もともと身長はかなり高い方で、小学校4年生ですでに身長175センチあり、大人と子どもが剣道をしているようなものなので、新潟市の剣道教室選抜に選ばれて優勝したりとか、全国の警察署がその地域の剣道教室から選抜をして集めた全国大会に出場したり、結構な成績を残していたのでもちろん高校からも「うちにきてくれ」と言うお話はくるわけです。
当然、高校で剣道なんてするつもりもなかったのですが、頼まれると断れない性格。
そして、「もしかしたら勉強しなくても高校受かるんじゃね?」と言う頭が働いて高校でも剣道をすると言う理由でその高校を受けて、見事推薦で合格。
特に努力をすることなく、親に気を使ったり、言うことを聞いたり、とんとん拍子で人生が進んでいくような中学までの人生でした。
そんなわたしが2度だけ親に反抗してレールから踏みはずれたことがあるんです。
1度目は高校で剣道を辞める時。
2度目はサラリーマンを辞めて農業をする時。
ちょっと長くなったので、そこらへんの話はまた次回。
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