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新規就農物語⑨〜出会い〜

人との出会いって本当に素晴らしいものだと思います。


自分が農業を始めると決めてからは、絶対に結婚なんてできないと思っていました。

結婚できない条件のようなものを兼ね備えていたからです。

農家、貧乏、長男…などなど数えればキリがない。

というか数えるだけ惨めになるだけなのでやめておきます。

前回綴ったように、いよいよ就農だ!と意気込んではいたものの農業はほとんどできずに短期のバイトを転々と渡り歩いていましたが、そのバイト生活も一応区切りをつけることになるのです。

おれ、この生活続けてても農業で食べていけないな。


ずーっとそう思いながらも、生活をして自分自身食べていかなければならないので、仕方なくバイト生活をしていたのですが、いよいよ本気出して農業をしなければいけない。

梨の選果場の仕事が終わるのが12月いっぱいだったので、それが終わったら農業に専念しようと思っていたのです。

そこで始めたのが、当時SNSの出始めで一気に人気となったFacebookを始めて、自分が農業をしていることを発信することに決めたのです。

とりあえず、「食べていく」という理由の他に、何か他の理由が欲しかったんだと思います。

そして、発信をしていればなかなか「やーめた!」なんて言えない状況になると思い、自分の本気を表現するためにSNSの発信を続けることになりました。

そんな時に、SNS上で再会を果たしたのが、今では一緒に生活も仕事も共にしている、妻のひかりでした。

農業を始めて一年目の冬でしたね。

バイトをしながらも自分で育てた新興梨とル・レクチェをFacebookであげた時に、大学生の時に同じゼミだったひかりがその投稿を見つけてコメントをしてくれたんです。

「美味しそう!食べたいなぁ」

みたいなコメントだったと思いますが、当時自分の農作物を「食べたい」なんて言ってくれる人はまぁいなかった。

それが嬉しくて嬉しくて、じゃあ送るねということですぐに送ったことが今の生活の一番最初です。

それからなんやかんややりとりを続けて、遊びに行きたいとのことだったので、大学以来の再会をその冬に果たすことになるのです。


当時、ひかりは某大手家電メーカーの顔として、お台場近くにあるショールームで最新の家電システムを説明して歩くという仕事をしており、まぁセレブだったんです。(自分の農協時代の給料より、ひかりの失業保険の方が高かったです笑)

一方こちらはというと、夢に向かってチャレンジしていると言えばかっこいいですが、実情はその夢を叶えられるかどうかの瀬戸際、いやギリギリアウトくらいなところにいるようなダメ人間。

それでも自分はなぜか夢を叶える自信があったし、やる気に満ち溢れていました。なんの恥ずかしさもなく夢を語れたんです。


もう一度整理しますね。

セレブと貧乏人。

成功者とダメ人間。

美女と野獣。

これがその当時に自分たちの関係性。


それなのにひかりは高松の夢を選択して仕事を辞め新潟にくることになったのです。

高松は変人で変態でちょっと変わってるって結構思われていますが、実はそれ以上なのはひかりですよね笑


でも、その瞬間から自分ひとりの生活ではなくて、自分が頑張らなければ目の前にいる相手を飢死させてしまうという状況になったわけです。


そりゃぁ、もう必死に働きました。

たぶん必死に働くのは得意なんだと思います。というか、切羽詰らないとヤル気スイッチ入らないんです。


10aの梨畑から始まった農園は、その年には梨畑55aと梅畑10a、野菜畑20aに増やし、機械が必要な梨の防除は地域の共同防除組合のオペレーターになることでそれをカバーし、野菜畑はとりあえず自分が食べる分の野菜とキャベツ、ニラを栽培することに。その野菜畑もやはり機械が必要なのですが、地域の先輩が快く貸してくれるとのことで、必要な時だけその機械を借り、あとは鍬などを使って手作業。

本当に誰よりも早く畑に出て、誰よりも遅く畑から帰ってくる。そんな生活を続けていました。

夏場なんて、朝と夕方で5キロ体重が違うんです。

なけなしのお金を使って家庭用の管理機を一台買いました。それは仕事で使うというよりも、自分たちの食糧を自分たちで育てるため。

食にも無農薬にも興味があったふたりは、いろんな本を読み漁り、翌日にはそれを検証し、それがどんなに周りから笑われようが必死になって実験する日々が続きました。

そのくらいからだったかな、何度も何度も突き返されてきた就農給付金の申請書がようやく通って、補助金をもらえることになったんです。

(就農給付金についても前回の記事に書いてあります)

これでなんとか生活はできる。あとは自分がどれだけ頑張れるか。そんな状況になった時に、その当時住んでいた家を出なくてならなくなる自体に追い込まれるのです。


お金なし、機械なし、技術なしという状況の中、ついに自分たちは

家なし

という、なんとも受け入れがたい状況に陥ってしまうのです。


ということで、今日はここまで。

長々昔話を書いてしまいましたが、今日言いたいことは

人は何か理由があると頑張れるということ。

逆を言うと、理由がなければ頑張れない

だったら頑張れる理由を作っていけばいいんだと思います。自分のような弱い人間は尚更、その理由によって自分が持っている以上のパフォーマンスができるような気がしています。

あとは、恥ずかしげもなく夢を語れるかどうか

ほとんどの人が、「いや無理でしょ」と笑いますが、それに賛同して応援してくれる人は身近にはいなくてもどこかに必ずいるものですね。

だから、そのひとりの人に届けばいいと言う理由でSNSなどは就農前に使っていた方がいいと思います。


ではまた。

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