新規就農物語⑦〜沖縄生活〜
いよいよ本格的な農家としての第一歩を踏み出した高松でした。すったもんだがありまして、沖縄の離島に住み込みで農家のバイトをすることになったお話が前回までのお話です。
今回は沖縄での生活のお話をしたいと思います。
沖縄での生活は、基本的に1月から4月まではサトウキビの収穫。そして4月から7月までは葉タバコの収穫のお仕事をしていました。
そのほかに、社長の犬の散歩、社長の家の草刈り、鶏のお世話、ヤギのお世話、おばぁの畑のお手伝い、そしてスナックで社長の飲み相手、なんでもやりましたよ笑
さて、お仕事についての具体的なお話をしましょう。
まずはサトウキビ畑でのお仕事ですが、本来はハーベスタと呼ばれる大型機械で茎を刈り取っていくのが一般的な収穫なのですが、サトウキビは地上に近ければ近いほど糖度が増していくので機械収穫では糖度をあげられないんです。
サトウキビ農家としてはあまりたくさん作付けをしていない(それでも2haの面積があります)社長の家では手刈りで糖度をとりに行かないと収益が上がらない。
と言うわけで、例年だったら刈り払い機で根元から刈ってそれを何人かで束ねれば良かったのですが、運が悪いことにその前の年は台風が直撃の年だったようで、サトウキビの茎同士が絡まっていてそれができず、1本1本オノで刈り取ることに。
これが超絶大変な仕事で、1日中オノを振り回してある程度の大きさにしたら束ねると言う繰り返し。
しかも社長からは、1人1日1トン収穫しなさい。との無理難題を押し付けられるのです。
後で聞いたら刈り払い機では1人1トン収穫してた人は今まで何人かはいたそうなんですが、オノでは誰も達成したことがなかったとのこと。
もう一心不乱でオノを振り続けましたよ。
本当に死ぬ気で働きました。
オノで土の中にある茎を切って、それを10本ほど繰り返し、10本の茎を抱えて引っ張り出して一つにまとめる作業。
サトウキビ自体2メートル近くの高さがあり、しかもそれが台風によって絡まり合っているのを引きづり出すのは相当な力がいるのです。
そんなことを1ヶ月ほど続けた時に、なんだか肋骨が痛くなって島にたった一つの診療所で診てもらうと、
「あぁ、疲労骨折ですね」
えっ!?肋骨って疲労骨折するんだっけ?
「肋骨なので何もできないからしばらく大人しくしといてね」
と言われたのですが、そうも言ってられない。
こちとら脱サラして夢かなえにきとるんじゃーい!
と言うことで、そのことは社長に内緒にしておいて次の日からもせっせとサトウキビの収穫に集中。
人間て不思議なもので集中すると痛みはなくなるんです。しかも痛くないやり方を見つけ出す。よくできていますよね。
ただ、仕事が終わるともう地獄。寝返りができない、起き上がるのに1分ほど時間がかかる、と言ったようにもう動けない。
それでもやっぱり頑張る!なんとしてでも1人1トンのノルマをクリアしたかったのです。
そして2ヶ月程がたったあたりからようやくノルマの1トンを達成!
もうその頃には農協時代に89キロあった体重が、72キロにまで落ちていました。
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さぁ、そんな感じでサトウキビの収穫も順調に進めていくのですが、この沖縄の生活で何が一番大変だったかと言うと、「社長のおとも」が一番大変だったんです。
そもそもこの社長はと言うと、もともと機械屋さんで技術者として働いていたのですが、おじいが亡くなったことがきっかけで農業を継ぐことになります。
でも農業は大っ嫌いで、自分で船を購入して漁師の漁業権も取得。
半農半漁としての生活をしていたのです。
しかもその漁の方法が、海に潜ってモリで仕留めるタイプの漁。そのおともになぜかわたしも連れて行かれることになるのです。
「沖縄の海はいいだろー」と目を輝かせているのですが、その奥には手伝わせる気マンマンのニヤついた目が見え隠れしているのです。
それでも島民にならなければ絶対にできない経験ができました。
伊江島の3分の1ほどの面積がアメリカ軍の基地になっているのですが、社長曰く、伊江島で一番綺麗な海はその中の海とのこと。
そこには島民だけが入れるのです。しかも顔パスで…笑
もう本当にその海が綺麗で綺麗で圧倒されました。
でも社長の目的はそうではなく、そこは滅多に人が入らないため魚や貝がウジャウジャいるのです。
この記事のトップに貼ってある写真もその米軍基地内の海でとれた魚です。社長の漁師人生で当時一番デカイ獲物だったのだそうです。
ロウニンアジ、いわゆるGTと呼ばれる魚ですが、超絶不味かったです笑
社長はこんなの食いもんじゃないと言って1口も食べませんでした。
とこの海のお話、これだけ聞けば超理想の沖縄生活のお話ですよね。
ところがどっこい、このお話はサトウキビで1トン収穫した直後のお話ですよ。
一心不乱にオノを振り続け、肋骨が折れるくらいに茎を引っ張り出し、やっと1トン終わったー!と思って社長に終わりましたと伝えると、
「じゃあ海行くから用意しろ」
「えぇ、あぁ、はい。」
ウェットスーツを着て、重りをつけて、超疲れている体で水深何メートルの海に潜るのです。
それでもその社長、本当に大好きでした。
基本的には離れの家で自炊をするのが決まりなのですが、1週間の半分くらいは今日ごはん食べにおいでとごはんをごちそうしてくれて、海に行った日は必ずその収穫物と泡盛で乾杯。(まぁ、それはそれで二日酔いで翌日きつかったですが)
色々と相談にも乗ってくれたり、農業経営に関することも何一つ隠さずにすべて教えてくれました。
「イチャリバチョーデーだからよ」
と、さらっと言えるのはやっぱり沖縄でずっと暮らしてきた人なんだなぁと思います。
そんな生活を続けて、もちろんお休みをもらって色々と遊びに行ったり、本島でもいろんな出会いがあったのですが、それはまた今度するとして、サトウキビが終われば葉タバコの収穫をしていた最中に、沖縄に大型台風が襲ってきて、伊江島に直撃するのです。
もう台風直撃した翌日の朝は世界が変わっていました。
風で農作物がダメになったのもあるのですが、四方を海に囲まれている離島ならではの害だと思うのですが、塩害で全ての作物が焼けてしまったのです。
タバコの収穫はもう無理だと言うことで、契約はあと1ヶ月くらい残っていたので、社長はなんとか仕事を作ってやるから1ヶ月ここにいてもいいし、今帰ってもどっちでもいいぞと言うので、
なんかここにいることがすごく迷惑をかけてしまうような気がして、7月で帰ることにしました。
本当にここでの農業が今の自分の農業を作ってくれたと思っています。
社長は超効率主義。
「仕事はとにかく速く。最初は雑でもいい。速さに慣れればキレイに仕事ができるようになるから」
「農業は同じ作業の繰り返しだ。一つの作業が3秒かかるか1秒でできるかで全然仕事量が変わってくるぞ」
これが社長の口癖でした。
今の自分の口癖も同じ。
とにかく一つの作業をいかに素早くするか。キレイか汚いかは二の次で、日本で1番1つの作業をやらせたら早いって自信を持って言えるくらいそれは徹底してやっています。
沖縄生活で自分が得たものは、農業をするための体と体力・忍耐力。
そしてそれらの社長の口癖。
あとはなぜか海での狩猟能力が付属でついてきたのでした。
伊江島から真っ直ぐ家に帰ると思いきや、那覇で1週間遊び倒したことは内緒にしておいてください。
その後、新潟へ帰って自分の農園を開くことになるのですが、ここからはもう涙涙の連続の物語。
今日はここまでです。
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