新規就農物語③〜大学時代〜
さて、新規就農物語と見せかけて、この記事上では未だに農家になっていないのですが、もう少しお付き合いくださいませ。
もはや、誰が見てるかとか関係なく自分が楽しくなってきたので書いています笑
幼少期を綴った「新規就農物語①」はこちらから
人生のターニングポイントとなる高校時代までを綴った「新規就農物語②」はこちらから
その時々で、自分のやりたいことがコロコロと変わっていきました。
中学時代は働くこと自体に憧れて、「高校卒業したら就職する」と就職しやすい商業高校に入学しました。
高校時代はその頃やっていた香取慎吾と安田成美のドラマ『ドク』に憧れて外国人に日本語を教える「日本語教師になる」と考えて、東京の日本語学科がある大学に入学。
https://thetv.jp/program/0000936134/
そう、これめちゃくちゃ不思議がられるのですが、日本語の勉強をしに大学に行っていたのです。
外国語学部日本語学科と言う学科に入学し、同じ学科の3分の1は外国人でした。大学の入学式を終えてそのまま泊まりのカンファレンスがあり、初めて話をした同級生は、30歳ほどのモンゴル人と韓国人でした。
(この記事の写真はゼミの飲み会でその同級生の行きつけだったモンゴル料理屋に言ってウォッカみたいなの飲みすぎてテンション上がりすぎてモンゴル相撲の衣装を着たところです。)
※留学生の方達は高校卒業後に入学できるわけではなく(日本語で試験を受けるため)大体が日本語学校に通ってその後に大学に入学します。なので留学生は年上ばかりなのです。
新潟で普通に生活をしていて、外国人と普通に話すことはまずなかったのでなんとなく緊張したし、18歳ほどの年齢からしたら30際はほぼオッサン。まさか大学の同級生とガチガチの敬語で話すことになるとは…。今でもその時のことは鮮明に覚えています。
そんな感じで始まった大学生活ですが、大学生活を初めてすぐにある衝撃の事実を突きつけられます。
「最初は日本語教師一本では食べていけないよ」
えええええええぇぇぇぇぇっぇぇぇっっっっ!!
と言うわけで、その言葉に萎えた自分はあっけなく日本語教師の夢を諦め、大学生活3日目くらいで目的を失ってしまったのでした。
もはやそうなると大学に行くモチベーションはなくなるわけです。
なんたってひとり暮らし。
「学校に行きなさい」と言う人はひとりもいないのですから。
当時、自分には結婚を約束した彼女がいたのです。まぁ、高校生で結婚を約束したと言っても、ほぼ少女漫画的なノリだったと思うのですが、その当時は本気で思っていました。
なので、「大学を卒業したら新潟で安定した仕事につく。」
これが大学時代の最大の目標で、その安定した仕事=日本語教師でした。
と言うか、大学入る前に調べとけっ!って感じですが、大学入って気づいたことで、新潟に日本語学校が存在していなかったんです…。
なんて馬鹿なんだ。
もはや、これで本当に終了。
深夜のコンビニバイトや短期の深夜バイトをしながら、休みの度に新潟に帰る費用を稼ぎ、バイトがない日は、当時なんとなく流行っていたチャットを朝までして起きるのは昼過ぎ。
当然学校は休んで寝てバイトに行くかチャットをするかの二択で、気付けば単位落としまくって、大学時代に一番単位をとったのが4年生の時でした。
そんな生活を続けてはいましたが、さすがに就職活動はしなきゃいけない。何せ「新潟で安定した日本語教師になる」ことはなくなりましたが、「新潟で安定した仕事に就く」ことはしなきゃいけないのですから。
当時は就職氷河期でなかなか就職が見つからない時期。大学時代、バイトとチャットしかしなかった人間に就職先などなかなか見つからずに、なんとなく「塾の先生やりたいなー」と思っていた自分に飛び込んできたのが
「教育関係の仕事です」
と言う聞いたこともない会社でした。何も調べもせずにそこに面接に行き、見事に一発合格!
いやぁ、やっぱり自分は努力しなくてもとんとん拍子にことが進む星に生まれてきたんだなぁ!
なんて浮かれて内定をもらった後に、幼なじみのお母さんに「その会社大丈夫?」と言われて、なんとなく不安になって調べてみると…
超ブラックな教材訪問販売の会社でした。
えええええええええええぇぇぇぇっぇぇぇぇっぇ!!!!!
内定が確定してあとは卒業するために単位をとるだけだと思っていた自分にはもう晴天の霹靂。
慌てて就職先を探していると一番最初に目に入ったところが、
亀田郷みなみ農業協同組合
農協!
公務員じゃん!
と言うことで、間違った常識を持ったまま農協への就職活動へ。
高校推薦の面接で、「情報処理科はどんなことをすることですか」の問いに
「情報を処理するところです」と答えた私。
農協の就活の面接で、「農協はどんな組織ですか?」と問われて
「農家のお手伝いをする組織です」とあってるのか間違っているのかよくわからない答えを出す私。
今になって思えば、「農家のお手伝いをする組織」ってめちゃくちゃできる農協職員の返答だと思うのですが、当時は
「あ、落ちたな」
と思い、次の就職先を探している矢先、内定通知が!
もうなんで受かったのかよくわかりませんが、とりあえず公務員(農協に入るまでわからなかった)の農協に就職が決まったわけです。
新潟の安定している職場に就職。
この大学の目的はこの時点で果たせたのです。
その後、ギリギリで大学を卒業。
なんとか新潟で農協職員として安定した収入を得るサラリーマンとして新たな一歩を踏み出し始めるのですが、
そのお話はまた明日。
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