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坂口恭平さんのことと、私の言い訳。

今日はあの坂口恭平さんが、なんと北杜市内のギャラリーにいらっしゃるということで、高根のtraxというところに行ってきました。

坂口恭平絵画展「隕石たち」は今日から5/20(日)まで。今日はオープニングパーティーということで、ギャラリーの中で坂口さんのライブと、オーナーの方のお料理も楽しめるという、とても贅沢な時間。

天気がまた素晴らしくて、自然の風が四方から入ってきて、美しくレトロな空気のギャラリーの中で坂口さんの作品に囲まれて、坂口さんの声とギターに、犬の鳴き声と子供の声と走り回る音が重なってなんだかもう最高すぎた。服もスタイルもすごくラフな坂口さんが絵のようだった。なんだか世間がひどく遠く感じた。

(私はさいきん何もかもが楽しすぎて、すごく地味なんだけど楽しいことばかりで、もしかして私死ぬのかなあとちょっと思ったりする。ちょっと。

このあいだ飲みながら友だちに「ずっと友だちでいてくれる?」と言っていて、なんだか泣いてしまって、今考えると何言ってんだと思ったけれど、ずっと友だちでいてくれるらしいから、とりえずよかったなあと思った。生きていけそうと思った。)

坂口さんはすこし体調が悪いようで、それでもたくさんの曲を弾き語ってくれたあと、今の気分で話したいということで、iPhoneに保存している(たしか)まだ未発表の本の冒頭部分を、とうとうと語りだした。ほんとうに流れるようにただひたすら、かなり長い時間ひきこまれるように聞いていた。

その趣旨は、死にたくなったらどうしたらいいのか、そんな重要なことを誰にもおしえられずにきてしまうから分からなくてもしかたないということだったと思う。だから僕に電話してくれと、そういう話だったと思う。(坂口さんは”いのっちの電話”という活動をしていて、自分の電話番号を公開していて、死にたくなったらかけてきて欲しくて、もし出られなくても履歴から必ず折り返すと言っている。)

私は、ああ私が二十歳だった頃にこんな人に出会っていたら絶対に電話したのに、すぐ電話したのにと思った。電話したかった。

今私は35歳になって、来月には36歳になって、そんな頃から15年以上も経って、最近はよく、すごく生きやすくなったとか言っている。いろんな人に会って助けてもらったし、自分も本当にたくさんの失敗をしながら、ものすごく時間をかけて、たぶんたくさんの人にも嫌われていて、でもなんとか今、ほんとうのことを言うと「ふつうのひと」っぽく振る舞えるすべがけっこう分かってきたぞと思っている。(これでも。)

今でも小さなことにものすごく悩むし、よくやるのはいろんな説明がすごく長くなってしまう。まわりくどいとか思われてることもすごく分かっているんだけどどこを削っていいのか分からなくなってしまう。

今よくやっていることは、自分と自分以外の多くの人のズレを考えることだ。

私がこれだけ説明したいってことは、ふつうの人が聞きたいのはこの7割くらいなはずだから3割削っていこうとか(それどこだ?が難しいんだけど。)、

私がこれだけ心配していることも、高確率で大丈夫だから我慢して待とうとか

そんな感じ。

ちなみに私は今この瞬間すごく落ち込んでいる。

久々に、なんでこんなこと言っちゃったんだろうなあと思ってすごく後悔してる。これは思いすごしじゃなくて。気をつけているんだけど、だいぶ減ったんだけどたまに確実に間違えることがある。

間違えるというか、まあそのままの私ってほんとうにひどいよなあっていうか。まあ仕方ない。私だから。

そして思い出したんだけど、そう、私は毎日毎日毎日毎日、こういう思いをしていたんだった。たぶんものごころついたときから20代後半くらいまで。

でも今もその時もずっと、人と会って話すことが好きで、だから人をたくさん不愉快にさせたりする。おとなしくしていたらいいのに。好きな人に嫌われることもないし。

今こそ電話したらいいんじゃないか?いやいや、それは大丈夫。死にたいほどじゃない。それは大丈夫になれたのは、やっぱり自分は変われていて、それはよかったなあと思う。

こんなことを毎日思っていたんだなあ。しんどかっただろうなあ。絶対戻りたくないなあ。

途中からぜんぜん坂口さんの話じゃないけど、すみません。ギャラリーには期間中にもう一度行こうと思っています。その時また絵の感想とか書きたい。

私はものごとには全部意味があると思っている。

私が出会った人、出会ったもの、今日この日に起こったこと、思ったこと

全部必要でありつながっていると思っている。

それは、意思であり意思でもないと思っている。

意思なんだけど、自分の意思として動くことも含め決まっているというか、今日起こったことも、起こらせたことも、そうなるはずだったものだと思っている。

私の後悔も、私の行動も、今この瞬間に成り立っていく小さなひとつひとつのことが明日とか一年後とかもっと先のこともつくっていて、私は何かしていても同時に何もしていない気もしている。

自分と人とのズレの調整に長けてきたと思っていたけれど、だから根本は変わっていないんだよなあと思って、でもそう思っている自分に意味があって、だから努力してもしなくてもよくて、それが自分だから、ということをぼんやり考えている。

私も私が嫌いだ。ごめんなさい。

#坂口恭平 #trax #北杜市 #山梨 #ギャラリー

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ナカヤママリコ
いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。