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実家などの断捨離について



 こんにちは。
 断捨離について、今日は書こうと思います。
 現在、私は実家のモノ屋敷と、自分の汚部屋とモノ屋敷の中間に居る部屋と、2箇所を断捨離をしなければいけないが、実家は、母が買い物依存症と、溜め込み症で、モノ屋敷となっており、そこへ、祖父母の物や、私の両親の物、そして私と兄弟の物が混ざっている。

  

  私の父は、現在は実家には住んでは居ないが、彼が置いて行った荷物や、私の兄弟が置いて行った荷物もあり、そこへ、母と私の荷物もある状態だ。

 
 だから、実家はモノ屋敷となっている。
  

 古くなった消火器や、古タイヤは、自分で安いところを探し、処分をした。


 古くなった、スノコや、使わなくなった犬小屋などは、自分で解体をし、ゴミ有料で袋で出せるレベルまでに細かくし、ゴミとして出した。


 そのままの大きさでは、粗大ごみ代という高いお金を払わないといけないからだ。


 それも、全て全部私がやらないといけない。



 兄弟の分は、以前は兄弟は全部いらないと言っていたが、時が経てばまた本人の意見も変わる。


 生憎兄弟は、病気で自分の物を片付けに、実家には来られない。

 多分、兄弟の分も、私が捨てる事になると思う。

  
 また、母の買い物依存症や、溜め込み症も、度が過ぎ、いくつも同じ物があるのなら、売るか、人にあげるか、寄付をすればいいと私が言うと、彼女はその度に怒る。

 母と娘は、所詮他人同士だ。



 考え方も、常識も、価値観も、何もかもが違う。


 10人いれば、10通りの考え方や、常識や、価値観などがあり、100人いれば、それぞれが、100通りある。


  

 悲しきかな。



 私は昨年の秋まては、母の買い物依存と、溜め込み症を引き継いでおり、やっとそれらに自分で気が付き、目が覚めてからというものは、必要以外は買い物もしなくなり、ゴミも出し、モノ屋敷のモノを捨てて捨てて、売りまくり、とにかく家に飲食分や、ホッカイロなど、必要最低限の書類など以外は、家には入れないという方針に、私は方向転換をしたが、母が相変わらず、買い物をひょいひょいと買い、実家に入れると、私の中では、盛大なため息が、内心で出てくる。




 以前、
 母が私に言った事がある。

 人にあげたり、寄付をしないで、あるものを順番に使えばいいじゃない、と。

 母の答えは、自分で使えるのに、人にあげるのは勿体ない、と。
 だったら、自分で順番に使うわ、と。

 
 洗剤も、シャンプーなども、その他のストックや、死蔵品なども、置いておけば、経年劣化をするのですよ。
 

 母よ。
 あなたが使う日が来るのは、今のペースだと、5年後ですか? 


 10年後ですか?

 

 一体いつになるのでしょうか?
 今ストックをされているモノ達の、出番はいつになったら、来ますか?  

 
 あなたは、一体いつ、使うのでしょうか?


 売るという選択肢がないのなら、人にあげるか、寄付しかないと私は思うが、捨てるという選択肢はない、私の母。

 また、人にあげるたりするのは、勿体ないと言う母。
 だったら、自分が使う、と。
 母は私に言った。



 未開封の洗濯用洗剤でも、約10本以上もあり、食器用洗剤も、約12本以上もあり、未開封のサランラップや、アルミホイルなどもかなりの数があるが、正直に言って、母が使うペースでは、今の在庫達を消費をするのには、一体何年かかるのだろうか?

 

 未開封の食器や、タオルや、台所用品や、洋服や、カバン、靴など、その他諸々などは、一体いつになったら、あなたは使うのですか?


 食器用洗剤や、洗濯用洗剤、シャンプー類のたぐい、化粧品、未開封の洋服、未開封のタオル、食器類、キッチン用品、カバン、靴なとは、一体いくつあればいいんですか?
 あなたは? と、私が母に尋ねると、人は自分の痛いところを突かれると、逆ギレをするが、まさにその通りである。


 また、実家がある自治体は、ゴミの分別が細かすぎて、それも断捨離をする際の、分別に時間が掛かり過ぎ、分別に時間が掛かり過ぎるのと、ゴミの種類によっては、収集日は少ない品目があったりなどが、色々と重なり、私にとっては、頭の痛い部分と、母の捨て方のマイルールにも、私は付き合い切れないのが、正直なところだ。
  私が捨てている横から、この捨て方はこうでなければいけないと、イチイチ母に口を出されるので、私はウンザリとし、またイライラとしてしまう。


 まだ、私は残念ながら、精神的に未熟なのだ。


 ある断捨離などを生業にしている方の言葉ですが、
「ここまで来るのに、現在まで、何年も、何十年も、あなた方の習慣が、今のこの目の前の現状を作っているのです。 お金のことや、片付けの事は、学校では教えてはくれないので、学ぶ機会がないのだから、仕方がない部分もありますね」
 

 私の兄弟は、イザとなった時には、実家の片付けは私に全部を任せ、逃げることが手に取るように、今からでも想像ができる。

 父も歳を理由に、多分やらないだろう。
  

 残るは、私が自分でやるだけ、という結論になる。


 人は、急激な環境の変化を嫌う生き物だという。



 片付けに、何年かかろうが、長期戦を覚悟で、コツコツと自分でやって行くしかないのかもしれない。

 
 その覚悟を持ち、コツコツとやっていくしかないと思う。


 いつか、私も含め、家族の誰かが逝去をした時には、故人の持ち物は、ゴミと化してしまうのだから・・・・・・・・・・・・・・・・

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