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「李陵・山月記」を読んだ中三女子の感想

格好いいーーー!

と、思いました。

格好いいですね。文体も内容も全てが。

久世番子さんのマンガ、「よちよち文芸部」を読んで中島敦に興味を持ったのですが、想像以上に面白かったです。

臆病な自尊心と、尊大な羞恥心

「山月記」の有名な一節です。

これだけ読んでも「はぁ~」と納得するのですが、文章の中で読んだら、もう「格好いい!」と叫びたくなりました。

漢字も多くて漢文みたいなところもあって、よくわからない文章もあったのですがとにかく格好良かったです。

「李陵」も「山月記」も、「弟子」も「名人伝」も面白かったのですが、特に私が好きだったのは「悟浄出世」「悟浄歎異」の二編。

たぶん「悟浄歎異」は「悟浄出世」の続きなんだと思います。

ここに収められていた短編の中では、読みやすい方かな?という印象でした。

西遊記の沙悟浄が主人公になっていて、自分とはなんだろう?とか色々と考える「病気」なのだが・・・という。

「悟浄歎異」の最後に、

心の奥に何かがポッと点火されたようなほの温かさを感じてきた。

という一文があるんですよ。

三蔵法師の静かな澄んだ目はいつかは来る滅びの前に可憐に花開こうとする智慧や愛情にじっとあわれみの眼差を注いでいるのではないか。

そんな悟浄の考察のあとで、悟浄が隣に寝ている三蔵法師の安らかな寝顔を見てこう感じています。

このとき悟浄は、「これでいいんだ。」と思ったのかもしれないな。

と思って。

悟浄は「自分とはなんだ」と問い続けてきた人でしたが、そんなことを考えずに智慧や愛情を慈しんでいる三蔵法師が安らかに眠って、楽しそうに生きているのを見て、自分は自分でいいんだ。

そう思ったんじゃないかな。

なんて、思ったりしてみました。

単なる憶測ですけれど、どっちにしろ「ほの温かさ」ってなんかいいなぁって思います。

主人公の気持ちが動きすぎると、読んでいる側がついていけないことってあるじゃないですか。

でも「ほの温かさ」だとそんなことはないですし、読んでいて自分の心の奥にも何かがポッと点火されたように感じる。

これが、いいなぁって。

久世番子さん「よちよち文藝部」の感想はこちら↓


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