
映画「クライング・フィスト」 (2006年公開)
個人的所感によるあらすじ
全てを失い路上で「殴られ屋」としてどん底の生活をする、かつてアジア大会の銀メダリストにもなったボクサーのテシク。引退後に経営していた工場が火災にあい、後輩に貸した保証金も踏み倒され、莫大な借金を背負った彼を捨てて妻も子を連れて家を出て行き、身も心もぼろぼろの負け犬の生活を送っている。愛する息子に頼まれ学校で「パパの授業」に出向いたテシクだが、ボクサー時代のダメージのせいで軽い痴呆を持つ彼は期待通りの授業ができない。追い打ちをかけるように妻の再婚話を聞かされた彼の目に焼き付いたのは、ボクシング新人王戦のポスターだった。
腕っ節の強さだけが頼りの荒んだ日々を送るサンファン。警察のやっかいになる度に父親が頭を下げて引き取りに来てくれるが、大きなケンカに巻き込まれ金が必要になったサンファンは強盗騒ぎを起こし、現行犯逮捕されてしまう。少年院に送られた直後にも問題を起こしたサンファンはボクシングに出会う。最初は反抗的な態度をとっていたサンファンだが、ケンカとボクシングは全く違うことを知り新人としてボクシングを始めることになる。そんな矢先、唯一の味方だった父親が働いていた建設現場で事故死し、過労と心労が重なった祖母も倒れてしまう。
どん底にいる見知らぬ二人の男が人生の再起をかけボクシングのリングで出会う・・・。

ちょっとネタバレな感想
どうしてこんなに目がちかちかするのだろうと開始後しばらく思っていた。まるで家庭用八mmビデオ(デジタルでない昔のやつね)で撮ったのではと疑うほど画面は粗く、光の当たる部分は白くハレーションを起こし、影の部分は無惨にも黒くつぶれている。
言い換えれば時代遅れのような画面に映し出される、どう好意的に見ても悪人面の二人の男。まるで交わることも相まみえることもない。過去の栄光に吸い取られてエネルギーが枯れてしまったテシクと、エネルギーを持て余してどうしていいかわからないサンファン。一見まったく違うように見える二人の共通点はたった一つ。唾を吐きかけたくなるような今の自分は自業自得の結果であるということをよくわかっていることである。
画面の効果か、そんな二人をまるで綿密に取材したドキュメンタリーのようなこの映画は、お世辞にもお洒落とかスタイリッシュとか洗練なんて言葉が似合わない。いや、むしろ『汚い映画』。世の中の底辺をはいずり回る人間だけがこれでもか、と出てくる。
普通ならクライマックスである試合のシーンでさえ音楽も最小限度に絞り、無理矢理盛り上げることもないのはいっそ潔いとも言えるだろう。双方実在のモデルがいるというのもフィクション ぽくない一因かも知れない。
だからこそ、どんよりしたテシクの目に光が宿り、反対にぎらぎらとしたサンファンの目が静けさを湛えていく様がとても印象に残るのだろうと思う。
最後の15分間の試合のシーン、そのためにこの映画は存在しているといってもいい。
どちらが勝つのかはらはらとしながら、それぞれの背負っているものを等分に知っているということは、どちらの肩も持てないということを初めて知った。
再生していく中年男を演じたチェ・ミンシク。最初はただの落ちぶれた情けないオヤジが一瞬どきっとするほど魅力的なオジサマに変貌する様は見事というしかない。別にハンサムでも鍛えた体だというわけでもないただのオジサンなのに、まとう雰囲気から変化しきってしまうのだから恐れ入る。役者ってほんとに怖い(笑)
対するサンファンを演じたリュ・スンボム。どう見ても悪人面の彼は名優ミンシクに全く負けていない存在感に大物感がひしひし。今後が楽しみなこの役者さんは、この映画の監督リュ・スンワンの実弟でもあるそうだ。
新人王戦で優勝してもサンファンの罪が消えるわけでもないだろうし、優勝金を手に入れ損ねたテシクは借金取りに追われることには変わりないから、結局はまた再び路上で殴られ屋として生きていくのかもしれない。(あの弟分の臓器うんねんがどうなったのかはかなり気になるが)
一見なにも変わることはない。けれど、一度高みに手が届いた人間の後の人生は、そう悪くはならないのではと思うのは私の楽観的な考えだろうか。
だって、彼らは一度でも過去の自分に勝つことができたのだからね。