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映画「13の月」(2006年公開)

個人的所感によるあらすじ

都会での勤めを辞め、故郷に戻ってきた吉岡佑は、母親から村沢唯子が結婚することを聞かされる。12年前、唯子は佑の先輩の恋人だった。想いを寄せることが叶わない相手だったが、二人は一度だけ過ちを犯す。1年を13の月に分けた暦の中の空白の1日にあたるその日に。
そのことが原因で唯子の恋人が事故死し、二人の間には12年の悔恨と空白の時間をが残る。罪悪感を背負い、精神を病んだ唯子の支えになったのは、医者の木島貴弘だった。それぞれに埋めようと努めてきた12年を経て再会した二人。けれども、佑は余命三ヶ月と診断された病に冒されていた・・・・。

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ちょっとネタバレな感想

最初「13の月」というタイトルを聞いて、頭に浮かんだのがドリームスペル暦だった。マヤン・カレンダーとも呼ばれるこの暦は一ヶ月28日×13ヶ月という本来の人間本来の生体リズムを元に作られたもので、それ故シンクロニティが起こりやすいものとして、最近はまたあちこちで取り上げられているのを目にする。

(ちなみにドリームスペル暦も太陽暦であるが、月の公転周期約28日が基本になっている。地球から見た満ち欠けの周期は30日なので今の暦と同じ。)

周知の通り、現在私達が使っているのは太陽暦であるグレオリオ暦だ。しかし古代では世界中のどこでも陰暦(月をベースにした暦)を使っていた。暗い夜空に輝く月は、強烈な光を持つが上に見上げることが叶わない太陽よりも神秘的だったのかもしれないし、女性の体のリズム、汐の満ち欠けに月が関係しているところをみても、どこか不思議なパワーを感じるものだったのかもしれない。

365日で一年のグレオリオ暦を28日×13ヶ月の364日で換算すると一日あまる。ドリームスペル暦では「時間をはずした日」「自由の日」とも呼ばれているこの日が、この映画の重要な役割を果たす。

普通であったなら、おくびにも出さなかったであろう想いがふと表に現れ形になる。けれども”それ”が起こった日が「空白の日」であったために通り過ぎるはずの時間の中に閉じこめられてしまった佑と唯子。
それでも時間が経てば、後悔は消えずとも思い出にくらいになるだろうと思うのに、スクリーンの中では12年前の時間のまま人々が右往左往しているようだ。

私はそういう場に身を置いたことがないのでわからないのだが、例えば同級生の元妻と再婚しても、その関係者全員が普通に顔を合わせるような閉じられた暮らしの中では、もしかして年若い二人が起こしたスキャンダルも、二人に一生の烙印を押しつけてしまうには充分なものだったのだろうか。都会の忙しい毎日の中では”過去の過ち”として流されていってしまうようなことが大きな傷として残ってしまうものかもしれない。

そうだとしたら、佑が帰ってきたことで、今まで蓋をしていたものが解き放たれることを恐れる気持ちもわかるような気もしなくはないのだけれど。

「空白の日」は秩序が戻る日だと唯子は言った。その特別な時間の中に閉じこめられた二人は、12年後、佑の帰郷、そして死によってやっと普通の時間軸に戻る。

だが、一度知ったことは知らないフリは難しい。ましてやそんな人間関係の中で、取り残された彼女はやっぱりまだその中にいるような気がしてしまう。
一番罪深いのもやはり彼女なのだろうから。

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