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映画 「タイヨウのうた」(2006年公開)

個人的所感によるあらすじ

雨音薫、16才。学校に行かず、夜になると駅前の広場で歌い続ける毎日。彼女は、太陽の光にあたれないXP(色素性乾皮症)という病気を抱え、昼と夜の逆転した孤独な毎日を送る彼女は歌うことでしか生きていることを実感することができない。
そんな彼女の秘密の楽しみ、それは、彼女が眠りにつく明け方からサーフィンに向かう孝治を部屋の窓から眺めることだった。太陽の下では決して出会う事のない二人だったが、運命は二人を引き寄せる・・・。

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ちょっとネタバレな感想

涙には浄化作用があるそうだ。そのせいかなんとなく落ち込んだり疲れているとき、無性に大泣きしたいな、と思うことがままある。けれども実際の生活では”泣く”ってことは案外少ない。そんなことないわ、私よく泣いちゃうよ、っていう人でも、よく考えればほとんどの場合は悲しいよりも悔しいとか情けないとかいう理由の方が多いのではないだろうか。

そして、泣かせようとされると泣けない、のもまた真実だ。
人は本当に心が動かなければ、共感しなければ涙は流せない。
本当の意味で泣くって、結構難しいのだ。

主人公を演じたYUIをはじめとして、主な出演者はほぼ六人だけ。物語の舞台もいわゆる近所から移動することはない。変に泣かせる演技もなければ、感情丸出しの演技もない。
淡々と続いていく日常。
そんな普通の日常の中にあるどうしようもない不条理。

なにもかもが押しつけがましくなくて、淡々としていて、だからこそとても切ない。恋に落ちる瞬間とか、想いを振り切る瞬間とか、本当に丁寧に丁寧に描かれている。
だからこそさらさらと手触りよく、泣ける映画に仕上がったのだろう。

最後に孝治は言う。「それからまもなく彼女は死にました。」

「亡くなった」でも「天に召された」でも「空に帰っていった」でもない。ただ「死にました」。
それは事実、そしてただそれだけのこと。

そこにどれだけの悲しみや後悔があろうとも心が張り裂けそうでも、彼は生きている。だからそれでいいし、それ以外のことなんて誰にも出来やしないのだ。

どんな出来事でも過去になるし思い出になる。
それが寂しいことも多いけれど、だから人は生きていける。



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