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映画 「モンスターズ・ユニバーシティ」(2013年公開)
個人的所感によるあらすじ
幼い頃から怖がらせ屋になることを夢見ていたマイクは、努力の果てに難関を突破。モンスターズ・ユニバーシティ怖がらせ学部に入学する。
誰よりも努力を重ねるが、怖がらせ屋 になるには、見た目がかわいすぎるという致命的な欠点に悩まされ、鳴かず飛ばずの日々。
そんな中、マイクは、名家の出身で怖がらせの才能にあふれたサリーと出会う。マイクはサリーをライバル視するが、自信に充ち溢れたサリーはマイクを見向きもしない。
そんな二人は、ある事件から怖がらせ学部から除名されてしまう。夢をあきらめられないマイクは、「最恐の怖がらせ屋」を決める怖 がらせ大会に、落ちこぼれたちを組織して出場し、汚名を挽回しようとするのだが。
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ちょっとネタバレな感想
努力すれば報われるなんて、たぶん嘘だと思う。
どれだけ頑張っても、どれだけ学んでも、なにを犠牲にしても天性にはかなわない。
幼い頃から怖がらせ屋に憧れていたマイクは、努力を経てモンスターズ・ユニバーシティに入学する。例えれば、頑張って東大に合格するようなものだろうか。
けれども外見がかわいすぎるマイクは、そもそも適性がない。
いくら努力しても努力しても、どれだけ知識を詰め込んでも勉強しても報われることがない、その絶望。そんな中、欲しかったものを全部持っている(ように見える)家柄にも血筋にも恵まれたライバルが現れたら。
頑張れば必ず報われるというのは、とても甘い幻想だし、本当にそうであればこんな素敵なことはないけれど、残念ながら現実はそうはいかないことが多いはずだ。そう、マイクのように。
じゃあ、努力は無駄なのか?といえば、それも違う。
間違えてはいけない。
努力は尊い。実行しようとする意思はそれだけですばらしい。
問題なのはどこに向かうか、なのだ。
例えばモデルになりたくて身長が足りなければ確かに絶望的だ。
けれども、もし目的が綺麗な服を着てスポットライトを浴びることならば
モデルにこだわる必要もない。
簡単か難しいかは別にして、アイドルを目指せばいい。
服に関わりたいのが望みならば、デザイナーを目指せばいい。
モデルという肩書きにこだわるなら、パーツモデルという手もある。
こうでなければいけないと思う気持ちは、自分も他人も不幸にする。
それは、自分しか見ていないことと同義だからだ。
結局、マイクが怖がらせ屋にはなれなかった。
では彼は夢破れて、不幸のままだったのだろうか。
その結末は作品を見てもらうとして、若さゆえの挫折は希望への第一歩だ。
はなからあきらめて何もしないことに比べるべくもない。
何が答えかなのは、彼らの未来を見た人なら誰でもわかるに違いない。