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ワインは「百薬の長」は、今は昔

「酒は百薬の長」という中国の史書『漢書』から伝わった言葉があります。「適量の酒はどんな薬にも勝る」という意味です。

しかし、日本よりワインとの付き合いがはるかに長い欧米諸国では今、「ワインは少量でも体に悪い」と考える人が増えています。そして実際にワインを飲むのを控える人が増え、その結果ワインが思うように売れなくなっています。

禁酒月間

「Dry January (ドライ・ジャニュアリー)」という英語をご存じでしょうか。Januaryは1月。Dryはこの場合「禁酒」を意味します。

もともと、アルコール依存症など飲酒が引き起こす様々な問題に取り組むイギリスの非営利団体が「せめて年初の1月ぐらいはお酒を控えましょう」と世論を喚起するために始めたキャンペーンのキャッチフレーズでした。

キャンペーンは今年で11年目。Dry Januaryという言葉は今や大西洋を越えたアメリカでも割と普通に使われるようになりました。

そして、ふだん問題なくお酒を楽しんでいる人たちの中にもキャンペーンの主旨に共感し、「1月ぐらいはちょっとお酒を控えてみようか」と一時的な禁酒に挑戦する人が増えているのです。

アメリカの調査会社シビックサイエンスが昨年末、成人のアメリカ人に「あなたはDry Januaryに参加しますか」、つまり今年1月の1か月間、お酒を控えようと思いますかと尋ねたところ、27%が「そう思う」と回答。22%が「ややそう思う」と答えました。

1年前に行った調査では「そう思う」は24%、「ややそう思う」は18%だったので、いずれも増えています。逆に「そう思わない」と答えた人は58%から51%に減少しました。

販売量が減少

禁酒への関心の高まりは酒類の売上高からも裏付けられています。

イギリスの調査会社CGAによると、イギリスのパブやバーの今年1月後半の売上高は前年同期に比べて約7%減少しました。CGAの幹部は、クリスマスの反動と悪天候に加えて「Dry Januaryも影響した」とはっきり述べています。

欧米で禁酒や節酒の動きが広がっている様子をわかりやすく説明するためにDry January の例を取り上げましたが、禁酒や節酒の試みは1月限定ではけっしてありません。それどころか1年を通して禁酒や節酒を実践する人が増えているのです。そしてワインも例外ではありません。

アメリカのシリコンバレー銀行が1月18日に発表したアメリカのワイン業界に関する年次報告書によると、昨年1年間のアメリカ国内におけるワインの販売量は一昨年比で推定2~4%減少しました。今年も、アメリカ経済は堅調な推移が見込まれているにもかかわらず、ワインの販売量は前年比マイナスと予想しています。

報告書は、禁酒や節酒人口の増加に加え、ワインの代わりに缶入りのカクテル飲料などいわゆるRTDや、マリファナ(大麻)を楽しむ人が増えていることなどを、原因として指摘しています。

ワインも含め人々がかつてほどお酒を飲まなくなった最大の要因は、お酒が健康に及ぼす影響です。

かつては医者が患者に処方

「酒は百薬の長」という言葉を紹介しましたが、西洋でも長年「ワインは健康によい飲み物」と思われてきました。

「医学の父」と呼ばれた古代ギリシャのヒポクラテスはワインを解熱剤や利尿剤、消毒剤、疲労回復剤として様々な治療に用いました。ユダヤ教の聖典『タルムード』は「ワインがなくなれば薬が必要になる」と記しています。

オーストラリアの超高級ワイン「グランジ」の製造元ペンフォールド社は、イギリス出身の医師クリストファー・ペンフォールドによって19世紀半ばに設立されました。医者である彼がワインを造り始めたのは、患者にグラス1杯のワインを飲ませると、みるみるうちに元気が回復したからでした。

時代が下って1990年代初めのアメリカ。テレビの人気情報番組で、肉や脂っこい料理をたくさん食べるフランス人に心臓病が少ないのは日頃から赤ワインを飲んでいるからという説が紹介されました。いわゆる「フレンチパラドクス」です。放送を機にアメリカで赤ワインブームが起きました。

今でも、適度な飲酒は健康によいと信じている人は私も含めてたくさんいます。しかし「それは間違い」と指摘する研究論文が最近、続々と発表されています。

少量でもリスク

アメリカ・ハーバード大学などの研究グループは、イギリスの「UKバイオバンク」が保管する37万人のデータを分析。その結果、アルコールの摂取は少量でも心疾患のリスクを高めることがわかったと2022年に発表しています。

ドイツのハンブルク・エッペンドルフ大学の研究者らが2021年に発表したアルコール摂取量と不整脈との関係を調べた研究では、毎日ビールを1缶(330 ミリリットル)またはワインをグラス1杯(120ミリリットル)などかなり節制した飲み方をする人でも、まったくお酒を飲まない人に比べて心房細動のリスクが16%高まると指摘しています。

イギリスのオックスフォード大学などの研究チームがUKバイオバンクのデータを分析した研究では、ワインをほんの少量(80ミリリットル)でも毎日飲むと、認知機能の低下を招くことが確認されました。

フレンチパラドクスも今では多くの研究者によって否定されているようです。科学の進歩により、それまでの定説がひっくり返されるという例はけっして珍しくはありません。

強い発がん性

国際保健機関(WHO)傘下の国際がん研究所(IARC)は、様々な食品や化学物質の発がん性を科学的根拠の強さに応じて4段階に分類していますが、アルコール飲料は発がん性が最も強い「グループ1」に分類されています。グループ1には他に、タバコ、加工肉、ディーゼルエンジン排ガス、アスベストなどが入っています。

ワインの国際資格の最高峰マスター・オブ・ワイン(MW)を持つオーストラリア人のアンドレアス・ウィックホフ氏と、その安全性がしばしば問題となるワインの添加物、亜硫酸について話をしていたときに彼の言った次の一言がとても印象的でした。

「ワインに含まれているもので一番危険な物質は亜硫酸ではありません。それはアルコールです」

アメリカ政府の疾病対策センター(CDC)は、お酒の適量として男性は1日2杯以下(1杯はワイン換算で150 ミリリットル)、女性は同1杯以下を推奨しています。

しかし同時に「最新のエビデンスによると、推奨レベル未満の摂取量でもがんや心疾患など様々な病気を患い、死亡リスクが高まる可能性がある」と注意喚起し、飲酒量は「少なければ少ないほど健康によい」とさらなる節酒や禁酒のメリットを説いています。

ノンアル人気

お酒の売り上げが全般に伸び悩んでいるのとは対照的に、ノンアルコール飲料の市場が各国で急拡大しています。

アメリカンフットボールの世界一を決める「スーパーボウル」のテレビ中継は毎年、高視聴率を稼ぎます。スポンサー企業もスーパーボウル限定のテレビコマーシャルを作るので、コマーシャルも毎年、注目されます。昨年はスーパーボウル中継史上初となるノンアルコール・ビールのコマーシャルが流れ、話題となりました。

しかし、ワインも含め、お酒は本当にそれほど体に悪いものなのでしょうか。これまでに発掘された遺跡から、人類は8千~9千年前からワインを飲んでいたとされています。もし本当に体に悪かったら、人類はとっくに滅亡しているのではないか。少なくともお酒を許容する文化圏は消滅しているのではないか。そんな疑問を抱きます。

私は医者ではありませんが、飲酒の影響にはおそらく遺伝的な個人差もあるでしょうし、運動や健康的な食事など生活習慣も関係してくるのではないでしょうか。

ということで、私自身はワインを適度にたしなみつつ、これからいろいろとワインについて書いていきたいと思います。

参考:『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(猪瀬聖著、幻冬舎新書)

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