読書ノート『イエスの生涯』(遠藤周作)~要約編~
◆はじめに
今回から次回にかけて、遠藤周作の著書『イエスの生涯』の読書ノートを書いていこうと思う。
この本はタイトルが示す通り、イエスの生涯を辿った評伝である。すなわち、聖書の内容を、聖書研究・歴史研究の成果を踏まえて解釈し、2千年前のパレスチナにおいて、人々はイエスをどのように見ていたのか、そしてイエス自身はどのように生きたのかを描き出した作品である。
ただし、それらの文献から事実を正確に抽出したものではない。遠藤は事実にかなりの注意を払いつつ、聖書中の創作と思われる箇所についても、イエスを信仰し描こうとした人物の求めた〈真実〉が描かれているとみて尊重している。そして遠藤自身、時に大胆な想像力を働かせながら、イエスの生涯を描き出している。
僕がこの本を読んだのは、お盆休みの後半から8月下旬にかけてのことである。その1ヶ月ほど前、同じく遠藤周作の『切支丹の里』を読み、感動を覚えたのがきっかけだった。
『切支丹の里』は、遠藤が長崎を訪れた時の紀行文などをまとめた本である。同書において、遠藤はキリスト教禁教の時代に踏絵を踏んだ者=拷問による肉体的苦痛への恐怖から信仰を棄てた弱き者の葛藤や苦しみ・自己嫌悪などを掬い取ろうとしていた。また、そのような棄教者たちが何に救いを求めたのかという問題に取り組み、隠れキリシタンが信仰していたマリア観音を導き手に、〈裁く神・罰する神〉に代わる〈許す神〉のイメージを描き出していた。
それらの内容に、あるいはそれらを記述しようとした遠藤の姿に、僕は惹かれてやまなかった。そして、氏のキリスト教関連著作をもっと読んでみようと思ったのである。結果的に、『イエスの生涯』は『切支丹の里』と同様に、僕の心に深く刺さる作品となった。
それでは、本文概観→感想という順序で読書ノートを書き進めていこう。
——と、下書き段階では言っていたのだが、書き進めているうちに本文概観が長くなってしまったので、土壇場になって記事を2本に分けることにした。今回は本文概観に絞り、感想は次回に譲ろうと思う。記事を2本に分けざるを得ないほど長い概観が、果たして「概観」と呼べるのかは自分でも疑問だが、そこは大目に見ていただけると幸いである。
※以下、文中に記載するページ数は全て、新潮文庫から出版されている『イエスの生涯』(1982年→2005年改版)に拠る。
◆思い切った要約
「イエス」或いは「イエス=キリスト」と聞いてまず思い浮かぶのは、キリスト教の創始者であり、また信仰の対象であるということだろう。そこから直ちに連想されるのは、人々から絶大な支持を集めた偉大な人物の姿にちがいない。或いは、十二使徒と呼ばれる弟子を従えて教えを説く姿や、不治の病を治す・死者を蘇らせるなどの奇蹟を行う姿などが浮かんでくるかもしれない。
しかし、『イエスの生涯』で描かれているイエスは、こうした素朴なイメージとは大きくかけ離れている。イエスは奇蹟など起こさなかった。人々から支持されるどころか、失望され怒りを買っていた。そして、軽蔑され、裏切られ、殺されるとわかっていながら、自らの運命を変えることすらなかった。——本書が描き出したのは、このように無力でみじめなイエスである。
また本書によれば、イエスと弟子の関係は決して円満なものではなかったという。イエスが成そうとすることと弟子がイエスに望むことは大きく異なっており、弟子はイエスの言うことをよく聞いていなかったという。そこから浮かび上がるのは、一番近しい人々からさえも誤解され、孤独だったイエスの姿である。
このように誤解・軽蔑・怒りを向けられながら、イエスはたった1つのことを成し遂げようとしていた。それは、悲しみや苦しみを抱えて生きる人々に、神の愛を伝え証明することであった。そのためにイエスは悩み、苦しんだ。そして最後に、人々の永遠の同伴者となるため、すべての人々の苦しみを背負い、最もみじめな形で死ぬことを選んだのである。——
『イエスの生涯』の内容を思い切って要約するとこのようになるだろう。ただし、この要約では、本書が秘めている迫力が寸分たりとも伝わらないような気がする。以下、もう少し詳しく本文の内容を追ってみたい。
◆本文追跡〈1〉民衆・祭司・イエスの関係
本書を読み解くうえで重要なのは、①パレスチナの民衆(イエスの弟子を含む)、②ユダヤ教の祭司ら、③イエス自身という3者の立場や思いを押さえることである。
まず民衆の立場をみていこう。イエスが生きた当時のパレスチナはローマ帝国の支配下にあった。ユダヤ教を信奉する民衆は、ローマという異民族・異教徒によって支配されることに強い反感を持っていた。また、ローマに迎合しようとする権力者や祭司らに対しても不満を抱いていた(12~13頁)。おそらくその不満の根底には、日々の生活の辛さや貧しさ、さらには病気の蔓延に対する不安もあったことだろう(10頁)。ともあれ、人々は民族の誇りを汚す者に反発し(17頁)、自分たちに栄光の日々をもたらしてくれる民族指導者・宗教改革者を熱望していた(54~55頁)。
一方、ユダヤ教の祭司らは、民衆がローマに対する反乱を起こすことを恐れていた。ローマに追従することによって権威を保証されていた彼らは、反乱が起きた場合、責任を追及され地位を失いかねなかった。そのため、民衆が待望する指導者・改革者が現れる度に調査団を派遣しその動向を探っていた(36~37頁)。
したがって、イエスが故郷の町の周辺で活動を開始した時、周囲のユダヤ人は彼に対して「期待と警戒との二つの眼」を向けた。すなわち、民衆はユダヤ教の改革者、さらにはローマを追い払う民族的指導者の出現を夢見て、イエスに期待のまなざしを送り、対する祭司らは、ユダヤ教の主流派を批判し、民衆の蜂起を扇動しかねない者として、イエスを警戒したのである(54~55頁)。
しかし、イエスにとってそれらの眼は誤解に満ちたもの以外の何物でもなかった。イエスは異民族を打ち倒したり、異教徒と妥協した人々に罰を与えたりしようとしたわけではない。彼の真意は別のところにあった。「神の愛の証明」である(55頁)。
イエスは元々ナザレという町で大工をしていた。一人の民衆として彼が見たのは、辛く貧しい生活を送る人々の姿であり、また肺炎やマラリアなどの病気に苦しむ人々の姿であった。後に宗教活動を開始した時、イエスはこうした人々の姿を思い浮かべる。彼らが求めるのは、どのような神なのか。
当時の一般的な神のイメージは、「おのれに従わぬ町を亡ぼし、民の不正に烈しく怒り、人間たちの裏切りを容赦なく罰する厳父のような神」であった(29頁)。イエスはこれに疑問を抱いた。神は人々を怒り、罰するためにだけ在るのか。いやむしろ、「神はそれら哀しい人間に愛を注ぐために在るのではないのか」(35頁)。
悲しみや苦しみを抱えて生きる人々に、やさしさを、愛を注ぐこと。神の愛・愛の神を伝え、証明すること。これがイエスの目指したことであった。
しかし、それは容易なことではなかった。人々の生活は、相変わらず貧しくみじめなものだったからである。
愛の神と人間の現実との矛盾に、イエスは苦悩する。さらにイエスを苦しめたのは、愛は現実の問題に効果をもたらさないということ、すなわち「愛の無力さ」であった(67頁)。愛は病気を治すことも、目の不自由な人に景色を見せることも、死者を生き返らせることもできない。「人間は現実世界では結局、効果を求める」。しかし、「愛は現実世界の効果とは直接には関係のない行為なのだ」(68頁)。
聖書には数多くの奇蹟が記されている。人々は確かに奇蹟を求めた。しかし、イエスは奇蹟を起こせなかった。人々の悲しみ・苦しみを感じ取りながら、深く心を痛めることしかできなかった(95~96頁)。それでもなお、彼は神の愛を証明することだけを考え、祈り続けたのである。
◆本文追跡〈2〉「永遠の同伴者」であること、そして受難
さて、このように愛を説き実践しようとするイエスの姿は、民衆の望む民族指導者・宗教改革者のそれではなかった。「汝等の敵を愛し、汝等の憎む人を恵み、汝等を迫害する人のために祈れ」(85頁)とイエスが言った時、彼のもとに集まった人々は、彼がローマの打倒やローマ追従者の掃討を考えているわけではないとはっきり悟った。民衆はイエスに幻滅した(91頁)。
これを好機と捉えたのが祭司らである。調査団の報告により民衆の幻滅を知った彼らは、熱狂的な期待を裏切られた人々の間にイエスに対する憎しみが広がると考えた。そして工作員を動員し、イエスは「無力な男」「結局はなにもできぬ男」であるというイメージを植えつけていった(96~97頁)。これが功を奏したこともあり、民衆は急速にイエスから離れていった。
イエスは激しく苦悩した。人々は愛よりも現実的な効果を求め離反していった。期待を裏切られたという怒りをぶつけ、彼を拒みさえした。それでもイエスは、愛の神を信じ続けた。そしてまた、人々に本当に必要なのは愛であると信じた。人間にとって一番辛いものは貧しさや病気ではない。彼らの不幸の中核にあるのは「愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望」であると、イエスは信じてやまなかった(107~108頁)。
やがてイエスは、「人々の永遠の同伴者」になることを目指すようになった。すなわち、「悲しみや苦しみをわかち合い、共に泪をながしてくれる母のような同伴者」であることを(108頁)。そのためにはどうすればよいのか。長い苦悩と祈りの末に、イエスは決意を固めた。「彼等の苦痛のすべてを自分に背負わせてほしい。人々の苦しみを背負って過越祭の日に犠牲となり殺される仔羊のようになりたい」(117頁)。
そしてイエスは過越祭の時期に合わせて、故郷から遠く離れたエルサレムに向かった(131頁)。過越祭はユダヤ教の祭りの1つで、その時にユダヤの救い主が来臨するという信仰が古くから存在した。いわばユダヤ人の民族感情が最高潮に達する祭である(84~86頁)。
そこへ姿を現したイエスを、エルサレムの群衆は興奮と熱狂をもって迎えた(131、149頁)。ローマへの反乱を恐れる祭司らは、これに当惑した。彼らはイエスを逮捕すべきと考えた。しかし、民衆を刺激しないために暫く様子を見ることに決める(151~152頁)。そして当のイエスは、民衆の熱狂が間もなく冷めることを知っていた。自分が民衆の望みを叶えないことを、失望した民衆が自分を見棄てることを、民衆と祭司らが結託して自分を捕えるであろうことを(154頁)。
最後の晩餐の席で、イエスは再び愛の神の存在と神の愛のことだけを説いた(164頁)。民族の決起を期待していた人々は、瞬く間に幻滅した。そしてイエスのもとを去り、大祭司カヤパの邸宅へ向かった(167頁)。
一方イエスは、残った僅かな弟子と共に、町の外れにあるオリーブ山の麓へ向かった。弟子たちが寝静まる中、イエスは死の不安のために苦しみ、祈り続けた。イエスは既に自らの死を決意していた。それでもなお不安と闘わなければならなかったのは、自分の死が「もっとも惨めで、みすばらしい形で来るにちがいない」と予感していたからである(172頁)。
この後起きたことは、よく知られた通りである。イエスは捕らえられ、強引な形で裁判にかけられた後、十字架刑を言い渡された。そして十字架を肩に担いでエルサレムの街を引き回されたのち、ゴルゴダの丘で磔刑に処された。
遠藤は、イエスのエルサレム到着から処刑まで、すなわち「受難物語」における最大の特色は「無力なるイエス、無能なるイエスを前面に大胆にもおし出している点にある」と述べている(201頁)。「捕らえられてから息を引き取るまでイエスは奇蹟を何一つ行えず、何一つ行わず、神もまた彼に現実的な助力や救済をなされなかったように我々には見える」(211頁)。しかし、この無力なイエスの姿にこそ、「イエスの教えの本質的なものを感ずる」と、遠藤は述べている(212頁)。
さて、ここに1つの疑問が浮上する。生前のイエスは本質的に無力であった。彼は愛の神の存在と神の愛を説いたが、人々はその教えを理解するどころか、自分たちの求めるものとのズレを感じ幻滅した。そのように見放されていたイエスは、なぜ、後に救い主=キリストと見られ神格化されたのか。しかも、その神格化を担ったのは、イエスの真意を見抜けず、民衆と同じように誤解を繰り返していた弟子たちなのだ。
ここまでの記述でイエスの弟子については殆ど触れていなかったが、遠藤によれば、弟子たちもまたイエスに民族指導者として決起することを期待していたという。イエスが決起を否定した後も、弟子たちはどうにも見限れずに随行した。それでいて、イエスが捕らえられると、彼らは逃げ出した。正義感や勇気に欠ける弟子たちのことを、遠藤ははっきり「弱虫」と書いている(102頁)。
その弟子たちがなぜ、後半生を賭けてイエスの教えを伝道するようになるのか。本書の最終章で、遠藤はこの問題に着手し始めている。しかし、それは結局未解決の問題として、後の作品に引き継がれることになる。
◆本文追跡のさいごに
ここまで、『イエスの生涯』の内容を振り返ってきた。一応、本文概観・要約と言っているが、「はじめに」でも書いた通り、これが果たしてそう呼べるものなのかは、書いた僕でさえ懐疑的である。
ただ、僕の乏しい要約力では、250ページの本をまとめるにはこれだけの文章量が必要だった。少なくとも、本文から典拠を示し、なおかつ元の文章が持つ気迫を僅かでも伝えようと思ったら、ここまでしなければならなかった。繰り返しになるが、大目に見ていただければ幸いである。と同時に、元の文章の迫力に迫りたいという僕の狙いが少しでも達成されていることを願いたい。
さて、次回は感想を書いていこう。
(第249回 2024.10.13)
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