妄想世界一周旅行計画(14) 北中米編2
実際にキューバからマイアミに移動することは難しいかも知れない。直接飛行機で乗り入れることができない可能性があるからだ。一応アメリカン航空のフライトは存在するが、実際に観光者がキューバからアメリカに入国できるかが定かではない。この場合はオープンジョーを使い、どこかの国を経由してマイアミに向かうことになるだろう。その場合の経由地はジャマイカにするか、あるいは野球の盛んなドミニカ。メキシコのカンクンでもいい。とにかく禁断のフライトによるオープンジョーとなる。
アメリカ上陸をシャーロットではなくマイアミとした理由はふたつである。ひとつはフロリダが私の思い出の地だから。
大学の先輩で、岩田岳さんという人がいる。私が大学生から大学院修士課程の頃、隣のラボの博士課程にいらっしゃた方で、学位を取りそのままアメリカのワシントンDCにある国立衛生研究所(NIH)に留学した。彼は私の憧れであり、目標であった。岩田さんは現在、東京医療センター感覚器センターでリサーチディレクターとしてご活躍だが、NIHに1年在籍したのちにラボを変え、マイアミ大学のバスコム・パーマー研究所に転籍した。私は修士課程を修了したときに、兼ねてからの約束で岩田さんのところを訪問した。いわゆる卒業旅行というやつである。
3月のフロリダ は比較的穏やかで、気温は30度ちょっと。湿度はやや高めだった記憶だ。オランドのディスニーワールドの中のエプコットセンターの駐車場で待ち合わせをした。確か夜8時ぐらいに待ち合わせをして、スーツケースに腰掛けて1時間ぐらい待ったと思う。今思えばよくもそのようなところで待ち合わせなどしたものである。人のいないフロリダの駐車場なんて、今なら怖くていられないと思う。またあの広い駐車場で岩田さんはよく私たちを見つけたものだと感心する。そのまま300キロくらいだったと思うが車で南下し、マイアミの彼の自宅に向かった。
私以外に同級生のタマちゃんとタツヤが一緒だった。特に望んで一緒に行ったわけではないが、みな岩田さんのところを卒業旅行で訪問するつもりであったため、バラバラに行ったら迷惑がかかるだろうと思い、私が皆を一緒に行こうと誘い、全旅程をアレンジした。その旅程は成田〜ダラス経由〜オランド〜マイアミ〜ワシントンDC〜ニューヨーク〜ダラス〜成田の14日間。もう30年も前のことだが今もかなり鮮明に覚えている。旅のインパクトって本当にすごい。私、タマちゃん、タツヤ3人の珍道中はそのうちnoteに書きたいと思っている。
このときの成田〜ダラス便での機内食に出てきたのがカツ丼だった。アテンダントの男性に「Pork or Chicken?」と聞かれ、前者を選んだらそれが出てきた。美味しくなかった。10数年後に仕事でアメリカン航空の成田〜サンノゼ便を使ったときに、同じ機内食が出た。味も同じだった。相変わらず美味しくなかった。
フロリダは刺激的なところだった。当時は治安が劣悪だったが、それがまたたまらなかった。ケネディ宇宙センターのツアーでは滑走路に横たわる巨大なワニや、発射台に設置されたスペースシャトルを間近に見ることができた。アメリカで初めて食べたスペアリブは絶品であった。キーウェストやエバーグレイス の風景も忘れることができない。
もうひとつの理由こそ今回の旅行に重要である。次の目的地は南米であり、マイアミからフライトをする必要がある。次の目的地、それはマチュピチュである。マイアミ からアメリカン航空でペルーのリマに向かうことにする。北中米の旅を中断し、南米へと向かうのだ。妄想は広がるばかりでとめどないのだ。