北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【65】22日目 長万部〜森② 2017年11月3日
週末や有休を利用して、50代のサラリーマンが、ロードバイクで北海道一周した記録。
2017年5回目の渡道は、初冬の渡島半島を走ります。寒冷前線が通過したばかりの寒々しい長万部を出発し、南へと走ります。
▼「週末北海道一周」のここまでの記録はこちらです。よろしければご笑覧ください。
◆ 国縫〜黒岩
国縫漁港から国道に戻り、海に向かってススキの原が広がる道をさらに南へ。
右手に函館本線が並走しています。あの線路上からこの道を見た回数は数え切れません。しかし、こちら側から線路を眺めるのは、初めてかもしれません。
貨物列車が北へ向かっていきます。いつだったか室蘭本線で、長大な編成に4~5台のコンテナしか載っていない様を目にして、痛々しさを感じてしまったものですが、今朝からすれ違う貨物列車はどれもそこそこの積載率に見えます。宅配業界の荷物量激増や人手不足により、内地からの輸送も鉄道が見直されているのでしょうか。
風景の変化が乏しいので、国縫漁港から随分と走った気がしましたが、実際は20分足らずで、原野の先に集落が見えてきました。
八雲町の黒岩地区です。
黒岩、というのは、私の生まれ故郷の信州や、お隣の群馬県に多い姓です。中高生の頃、ローカル局に黒岩さんという艶っぽいアナウンサーがおり、高校生坊主は仄かな思慕の念を抱いておったものだから、初めて北海道に渡った時から、特急「北斗」や急行「ニセコ」がここの小駅を通過する度に気になっていました。
ようやく念願叶って、という程でもありませんが、訪ねてみれば、そこは国道沿いに小さな民家の立ち並ぶ静かな集落でした。多少なりとも彩りがあるのは、郵便局と、個人経営の雑貨店くらい。
駅は小さな待合室だけの無人駅。停車する列車は上下各6本。通過する列車のほうが遥かに多い。
ようやく体が温まってきました。
海に沿って緩い坂を上りきったあたりに赤い社がありました。前回、長万部から輪行での帰路に、列車の中から見つけ、ちょっと気になっていたポイントです。
神社と言っても、参道もなければ手水鉢もなく、鳥居と社がそれぞれぼつりと立ち、カモメが空を舞っていました。北辺の海辺らしい寂寞感。
ここへ来てようやく青空が広がりました。
その先、国道を外れ、車が全然走っていない海岸寄りの道を往きます。この道も前回の帰り道、特急列車の車内から目をつけていたのです。
人家が点在していますが、人影はなく、檻の中から吠える犬と、茶白のなかなか美人な猫だけが生命の気配でした。
◆ 八雲の中華料理店
あちこち寄り道しながら走ってきたせいで、八雲の町に入ったのは、もう午後1時になる頃でした。駅前旅館が多い町だなあ、という印象を受けます。元々、北海道の酪農の先進地として知られる土地ということもあってか、鉄道が斜陽になってすっかり鄙びてしまった長万部に比べ、商業施設も多く、活気が感じられます。
駅前通りに屋台村もありますが、真昼間なので、入り口はチェーンで塞がれていました。
熱々のラーメンを食べたい気分だったので、駅前の中華料理店に入りました。既に昼ピーク過ぎですが、そこそこ賑わっています。カウンターに座り、味噌ラーメンと餃子を注文。
味噌ラーメンは、野菜がたっぷり入り、昔ながらの良心的な中華料理屋の味がしました。
やがて隣に家族三人連れが座りました。店主とは顔なじみのようで、おお、しばらくじゃないか、などと挨拶を交わしています。
耳をそばだてていると、まだ20代前半と見受けられる息子は、八雲を出てどこか都会へ働きに行っていたが、馴染めなかったのか、仕事を辞めて戻ってきた様子。
一旦都会に出た若者が、それぞれの事情を抱え、再び故郷に戻りたいということは、いつの時代にもあるもの。私の身近な友人や身内にも少なくありません。ただ、地方崩壊といわれる今日、故郷が彼らの戻れる場所なのか、という問題がつきまといます。地方のモノづくりは製造拠点の海外移転などで衰退。農林水産業も明るい展望は開かず、さらにネット通販へのシフトによって小売店が消えてゆき、職業の選択余地は多くありません。その中で慢性的な人手不足の介護業界や運輸業界は、構造的にというか宿命的にというか、高待遇にはなり得ない。
この2年前、札幌から東京への帰任が嫌で嫌で、北海道へのIターンを本気で検討したことがありました。その際、転職エージェントから、収入は良くて七掛け、場合によっては半減を覚悟すること、さらに休日も完全週休2日プラス祝祭日などというのは稀で、土曜日は半ドンとか、年末年始の休みは大晦日と三が日だけとかいう会社も多い、それでも大丈夫か、と繰り返し諭されました。地方の企業の経営環境では、大企業並みの待遇を実現するのは簡単ではないのです。
「働き方改革」というけれど、現状ではまだ、大都市圏の企業のホワイトカラーが残業減らしましょうとかいうレベルに留まっている気がします。地方の中小企業の経営者や社員の耳には、どのように響いているのでしょうか。
※この旅をした2017年11月時点の感想です
◆ 噴火湾パノラマパーク
熱々のスープで火傷した舌を冷水で冷やしながら、店を出て再び走り出し、町を抜けしばらく行くと「噴火湾パノラマパーク」の表示がありました。国道を外れて少し内陸に入ることになりますが、今日は先を急ぐ必要もないので、右に転じ、直線的に伸びる並木道を登っていきました。
高台に牧場や道の駅が整備され、海に向かって遮るもののない眺望が広がっていました。伸びやかな気持ちのよい所です。
先ほど抜けてきた八雲の町あたりがよく見えます。その先は靄っていました。
紅葉の見頃は恐らく先週あたりだったと思われますが、まだ色付いた木の葉が枝先に残り、その名残は楽しめました。
中国人の団体がバスで乗りつけて「白い恋人アイス」に行列を成しています。
海外生活でつくづく感じたけど、日本の牛乳や乳製品はホント、掛け値なしにうまい。インドネシアやタイでは、オーストラリア産の乳製品が高級スーパーで幅を効かせていたが、確実にそれよりうまい。一時帰国の時は飲み食いしたいものがたくさんあったけど、その一つが牛乳というのは、赴任前は全く想定していなかったことでした。
日本製品はコスト競争力で厳しいのかもしれませんが、地方再生のためには、マスプロダクトではない地方の良品を海外に送り出す仕掛けが欠かせないのではないかと思います。
行列は忌避し、道の駅から道路を挟んだところにある牧舎風の店でアイスを食べました。
気づけばもう14時40分になっていました。のんびりしすぎたか。この時期の北海道は、あと2時間ほどで暗くなってしまいます。
それでも、今日の走行予定は70キロばかり、のんびり寄り道を旨としていますので、その先でもう一度国道を外れて、落部の旧市街地をひと回りしてみました。
港沿いの漁港沿いの民家の車庫に、高校生くらいの女の子とその弟がいて、人気のない道を見慣れぬロードバイクが通り過ぎるのを、物珍しそうに見ていました。続いてすれ違った、ママチャリに乗ったじいさんからも、不審そうな目を向けられました。
個人経営の食料品店、薄暗い自転車屋、営業しているのかどうか分からないようなジンギスカン屋などが並ぶ町内を一回りし、国道に戻ります。
その先、海の向こうに、双耳形の渡島駒ケ岳が、ようやく朧げに姿を現しました。
◾️◾️◾️
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。引き続き、森までの行程と酒場放浪記も、宜しければお読みくださいませ。
私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。