地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#5 大糸線で生まれ故郷へ②
2022年11月、ブロンプトンと一緒に、大糸線の旅と沿線のポタリングを楽しみながら、生まれ故郷の大町を50年ぶりで訪ねた記録です。まずは大糸線で糸魚川から白馬へ。ブロンプトンでジャンプ競技場を訪ね、これから大町へと走ります。
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◆ 強い向かい風の中を
白馬のジャンプ台から、エレベーターとリフトで麓まで降ってきました。
この先はブロンプトンで、旧道を拾いながら、南へ向かって走ります。
向かい風がかなり厳しい。私のブロンプトンはM6R、わかりやすく言うと6段変速ですが、平地でもそのうち下から3番目でないと踏めません。
まあ、急ぐ道ではありません。大町まではせいぜい25キロ。本当に厳しくなったら輪行してしまえばよいのだし、努めて気楽に考えてペダルを回しました。
今日は、ホテルの朝食バイキングを無理して食べ、その上糸魚川駅で買ったクリームパンなども車中で頬張ったせいか、ジャンプ台へ登ったりした割に空腹感がほぼありません。
それても、せっかくなので新蕎麦を味わおうと、道端に幟の出ている蕎麦屋の前で足を止めました。あまり愛想のない店でしたが、蕎麦は香り高く、少し甘い蕎麦つゆもうまかった。
その先は国道を逸れ、風を遮るもののない田園の中を走りました。
姫川の源流が近くなりました。概ね平坦だった道は上りになります。上りは小径車の泣きどころ。しかも向かい風。それに、やはり体調が万全でないのか、或いは筋力が落ちたのか、いつもよりギアを一段軽くしないとしんどい。
◆ 仁科三湖を巡って
分水嶺を上り切り、国道を横切りました。
その先にトンネルがあって、それを抜けると、仁科三湖の中で最北端かつ最大の青木湖が蒼い水を湛えていました。
仁科三湖は、北アルプスを映す鏡。
湖畔にはカヌーなどのショップもありますが、シーズンオフ故に店仕舞いしています。人気のない静かな水面に強風でさざなみが立ち、その向こうに聳えるのは唐松岳でしょうか。新雪に輝いています。高原の湖らしく清涼感があり、それでいて俗化していません。
湖の南端にある集落の先、隣接する中綱湖へそのまま向かうのももったいなくて、青木湖の西岸を北上。こちら側は、昨晩雨が降ったのでしょうか、ところどころ湿った落ち葉の上を走る山の端の道でした。
再び東岸を下って、湖というより大き目の池のようなサイズの中綱湖を走り抜け、簗場駅の先で国道に合流。
全国旅行支援の影響もあるのでしょうか、背後から次々と自動車に抜かれます。
ペースを上げようにも相変わらずの向かい風に加え、今ひとつ身体が動かず。2週間前にはビワイチやったり、それなりに走っているつもりなのだが、全然強度が足りてないのでしょうか。
それでも、やがて前方に木崎湖の湖面が輝いているのが見えました。仁科三湖の中で最南端にあり、少し谷が開けているためか、明るい雰囲気の湖です。
ようやく風も治まってきました。
路傍では、たわわに柿が実っています。
海ノ口駅で足を止めました。化粧直しされた木造の駅舎が気になったのです。引き戸の閉ざされた待合室を覗き込んでみると、無人の改札の向こうには、刈り入れを終えた水田と湖水が見えました。
駅舎には人影もありませんでしたので、ちょっと失礼して、プロンプトンを折り畳み、ホームへ持ち出して、陽射しの中に置いて写真を撮ってみました。
標高800メートルの高原故、既に紅葉の最盛期は終わり、初冬の気配が立ち込めています。しかし日差しは春のようで、生まれた町へ帰ってきたおっさんを暖かく包んでくれています。
木崎湖も一周してみました。南の端には湖岸に仁科神社があり、道は小高い境内を迂回しています。そこから西岸を北上していくと、アウトドア好きな家族が移住してきたと思われる一戸建てが湖岸に並んでいました。傾斜地なので、どれも2階に玄関を設けています。ここなら、いつでも、湖にシーカヤックで漕ぎ出したりできるし、或いは小さなヨットなんかあったら更によいと思います。もっとも、街で呑んでから、ここまで帰ってくるのは大変だけど。
木崎湖を一周して湖尻を後にすると、大町の市街地はもうすぐそこです。
◆ 若一王子神社
大町そのものは必ずしも観光都市ではないのですが、ネットでいくつかのポイントは調べていました。そのうちの一つ、若一王子神社が近くにあるので、立ち寄ることにしました。
境内に立つ三重塔を目にするなり、既視感を覚えました。
ここには、来たことがあるぞ。
小学生の頃一度だけ、黒部ダムを見たいと親にせがんで、大町に来たことがあります。黒部ダムへ行った翌日は、昔住んでいた住宅、山岳博物館、仁科三湖などを巡りました。
その時、私の初参りに来たのがここだよ、と連れてこられた神社の記憶が、50年の年月を超えて、不思議なことに蘇ったのです。
手水で手と口を清め、重要文化財の本殿へお参り。この社の神様に護られて、57年間、健康に生きてこられたのかな、と思うと感慨深い。お賽銭も少し多めに入れてしまいました。
社務所に行き、御朱印をお願いしました。ロマンスグレーの穏やかな初老の神官が、優しい声で、境内の見所を親切に教えてくださいました。
参拝を終えて再び大通りに出、北の空を振り仰ぐと、爺ヶ岳と鹿島槍が、高みから午後の街を見守っていました。
◆ 大町の夕べ…
そのまま、信濃大町駅へ向かいます。駅前商店は、地方の小都市の御多分に洩れずシャッター街と化し、たまに見かける人影は高齢者がほとんど。
駅では、明日の京都までの乗車券と特急券を購入し、今夜の旅館の場所を確認してから、街をもう一巡りしました。
…が、山岳博物館へ行くには遅すぎるし、商業施設はバイパス沿いに移ってしまい旧市街地には見るべきものもありません。
とりあえず、何か小腹を満たすものを調達しにコンビニに入りました。
店内は年配者で結構賑わっていて、若い男の子と元ヤンキー風の主婦が忙しそうに接客していました。元ヤンの方(←すみません、ひどい決めつけ方)のレジに並びます。
とても穏やかな話し方と優しげな笑顔で応対してくれました。
先ほどの宮司さんといい、なんだかホッとさせてくれる人が多く感じるのは、生まれ故郷に感情移入し過ぎでしょうか。
駅の南にある古びた旅館にチェックイン。
薄暗いホールには人影がなく、10分ほども声を掛けて、やっと主人が姿を現しました。
取り敢えずは大浴場で強張った脚を伸ばします。部屋へ戻り、ローカル局の番組を見ながら20分ほどのうたた寝。目覚めると、秋の陽は鶴瓶落とし、外は暗くなっていました。
17時半頃に部屋を出て、今宵の酒場探しを開始。
普段は宿でお勧めを聞くことが多いのですが、この旅館は、フロントに誰もいません。この時も人影なし。
仕方なく、フロントに置いてあった居酒屋のカード2枚と市街地マップを手に、もうすっかり暗くなった外へ出ました。
フロントにカードが置いてあった店は、一店は休み、もう一店は客の姿なく忌避。
先ほど商店街で目星をつけておいた2店を目指しましたが、一方は私の前を歩いていた騒々しい旅行者三人連れが入っていったのでこれも忌避。
もう一店は予約で満席。
せっかくの生まれ故郷訪問なのに、今宵の酒場放浪記は外れ?という嫌な予感がしました。
その後に、きっといつまでも忘れることはないであろう、思い出に残る旅の一夜が待っているとも知らずに。
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私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。