
さらば最北の秘境駅①/地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#39
かなり時間が経ってしまいましたが、昨年10月の宗谷への旅について記したいと思います。
9月に移住してきた東川町は「3つの道がない(鉄道ない、国道ない、上水道ない)」という町であります。従い、これからのローカル線とブロンプトンの旅は、まず旭川駅まで約15キロの自走からスタートとなります。
爽やかな10月の早朝、ブロンプトンとわたしは、忠別川に沿うサイクリングロードを走り出しました。
ターゲットは、9:00に旭川を出る稚内行き特急「宗谷」。
転居間もないこの週末の宗谷行きを思い立ったのは「最北の秘境駅」といわれる抜海駅が、翌年3月をもって廃止されるとの報道に接したのがきっかけでした。
◆ 北海道一周の思い出
今から10年前の5月末。週末や有休を使いロードバイクで北海道一周する企ての初期のことです。
わたしは留萌からロードバイクでオロロンラインを北上し、天塩で一泊した後、野寒布岬を目指しサロベツ原野を一路北上しました。毎秒13メートルにも達する烈風を正面から受ける苦行のようなライドながら、原野の中を延びるただ一筋の道を水平線に浮かぶ利尻岳を友に走ったこの日のことは、足掛け29日間に及んだ北海道一周の旅の中でも忘れ得ぬ思い出になっています。
▼ その日の記録はこちらです。
その日、抜海駅の近くを通り過ぎたのですが、向かい風との格闘でへばっていたこともあり、立ち寄ることなく通過してしまいました。
そのことがずっと心残りで、旅情をかき立てられるこの駅が姿を消す前に、ぜひ訪問したいと思ったのです。
それに、向かい風に散々叩かれた道を、今度は追い風を受けて走ってやりたいという積年の思いもあります。「サロベツ原野を北上するなら、風が南寄りになる10月」と、数年前に出会ったベテランサイクリストから聞いていました。
旭川への道半ばでサイクリングロードを外れてしまい、遠回りをしましたが、旭川駅には7時半過ぎに到着。
◆ 宗谷線の旅


「えきねっと」で予約しておいた指定券を発券し、8時になるのを待って駅に隣接するスタバへ。
最近は富山市の富岩運河環水公園にあるスタバが日本一美しいスタバと評判になっており、わたしも京都在住中は毎春恒例だった富山ライドの際に立ち寄ったことがあります。
しかし、河川敷の人工池とそれを取り巻くプロムナードに面したこの旭川北彩都店も、それに劣らぬ素晴らしいロケーション。
それがどこかで紹介されたのでしょうか、開店と同時に外国人観光客が幾人もやって来て、レジ前には7〜8人の列ができていました。特急「宗谷」の発車は9時なので、少々やきもきします。
今は大雪山の紅葉が見頃を迎えています。多くの人は旭山動物園、美瑛、旭岳あたりを目当てに来るのでしょう。
しかしそのせいか、最近は旭川・富良野も宿泊費が高騰、また昔から地元で親しまれてきた飲食店に地元の人が入れないような状況まで発生しているとのこと。
少し前までは「外国人観光客お断り」の飲食店に出会うと、店の経営姿勢に首を傾げてしまったものでした。それがこんな状況になってくると、それも地元客を大切にするポリシーの表れと納得できるようになりました。
さて、少々駆け足で朝食を食べ、稚内行き特急「宗谷」に乗り込みます。
南東の空には大雪山のたおやかな山容が見えます。旭川周辺は本日好天に恵まれるようです。
ただ、わたしが向かう宗谷地方は、昼頃に前線が通過し、一時的に雨が降る模様。さらに終日、南西もしくは西から強い風が吹くようです。
沿線はもうすっかり秋模様。
紅葉樹の葉が朱に染まり、ジョージ・ウィンストンの「オータム」などBGMに似合いそう。


列車は塩狩峠に差し掛かりました。三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台です。遡ること40年、高校生の頃にこの小説の影響もあって、塩狩峠にあったユースホステルで一夜を過ごしたこともありました。
https://www.asahikawa-np.com/digest/2024/07/031035474/
雪に埋もれた小駅に降り立った日の記憶は、さすがに全く蘇らぬまま、無人の塩狩駅を通過し、列車は名寄盆地へと下って行きます。
最初の停車駅は和寒。続いて士別。サフォーク種の羊で有名。
後日談となりますが、今年(2025年)1月14日、東川からクルマで何となく北へ向かい、士別まで走り、道の駅にクルマを停めて、雪に埋もれた小さな町を歩きました。
その最中に訪れた駅の待合室に、小さな個人経営の売店がありました。一隅にそばやカレーを食べさせるカウンター。年配の男性が一人で店番をしており、数少ない乗客を乗せて旭川へ向かう普通列車を見送って、背を丸めてバックヤードへ入って行きました。
3日後、その方が急逝され、この売店も閉店になったとの報を、たまたまネットニュースで見つけました。同時に、この店は「日本最北の駅そば」だったことも知りました。
様々なコメントを見ると、小さいながらも地域で愛されるお店だったことが窺えます。
「宗谷」は続いて名寄に停車。わたしが初めて北海道旅行に来た40年前は、宗谷本線、名寄本線、深名線のジャンクションでした。今では宗谷線が残るのみ。しかし駅舎は汽車旅全盛期を偲ばせる風格を残していました。
名寄には近年、日本最北端のワイナリーが開業。またこの北の美深町には白樺の樹液を使用したクラフトビールがあります。移住してきて早速、それぞれ賞味する機会に恵まれました。いずれも美酒。
名寄の酒場巡りを兼ねた旅にも一度来てみたいもの。
名寄の先は人口密度が一段と低くなり、天塩川の悠々とした流れが寄り添います。河川敷がなく川幅いっぱいに水が流れているので、少し日本離れした貫禄を感じる川です。
道北の秋の風景にただぼんやりと身を委ね、北へ向かう時間の心地よいこと。



◆ サロベツ原野へ
美深、音威子府、天塩中川と、かつては鉄道や水運の要衝だった町を過ぎ、11時46分、幌延に到着。ここで下車します。
前線が近づき、強い風ががらんとした駅前を吹き抜けていました。厚い雲が次々と流れていきます。
駅舎には、秘境駅マップなるものが掲示されていました。幌延町は秘境駅の宝庫だそうで、先ほど通過した雄信内駅などは「呑み鉄本線日本旅」で六角精児氏がわざわざ途中下車していました。

明日はブロンプトンの機動性を駆使した秘境駅巡りも悪くないかな、などと思いながら、駅前の食堂でカツ丼を食べ、出発。

すぐに町を抜け、宗谷線の線路と絡み合いながら牧草地に出ました。
程なく雨が降り出しました。大きな雨粒がプルブレーカーを叩きつけます。3週間前までは京都の酷暑の中で日々汗だくだったのに、3週間どころか3ヶ月ばかりも季節が一気に進み、早くも初冬に差し掛かったかのようです。
南西から雨混じりの強風が吹きつけてきます。
この先、海岸線までは向かい風ないし横風を受けながら、我慢のライド。線路と別れて低い尾根を越えた先は、遮るもののない牧草地。


幸いなことに強い雨足は続かず、強い風に雲が流され、雲間から青空も覗きました。

サロベツ原野に関する資料が展示されている「幌延ビジターセンター」へ、トイレを借りがてら立ち寄り、少し見学していくことにしました。管理人の男性以外、人気はなし。館内にはサロベツ原野の成り立ちや、ここで暮らす生物の紹介などがされていました。
▼ 幌延ビジターセンターの紹介HP
留萌から野寒布岬に至る長い海岸線は、遠別町の少し南までは様々な地層が複雑に入り組み、海岸線は緩やかな起伏が連続しています。その北はおよそ6千年前まで海底だった地域で、泥炭地が広がっています。館内のパネルでは、その泥炭地がどのように形成されてきたかという説明がされていました。
寒冷な泥炭地…素人の勝手な思いつきですが、ウィスキー製造などどうなのでしょうか。厚岸が酒呑み垂涎の高級ウィスキーを生み出したように。

幌延ビジターセンターから、北へ向かうオロロンラインとの合流点まではほんの一走り。交差点のだいぶ手前から、林立する風力発電の風車が見えていました。
高さ約100メートルの風車が26基並んでいます。近寄ってみるとその威圧感は強烈で、10年前の強風の日には何やら禍々しさすら感じたものでした。
この施設は老朽化により2023年に解体される予定でしたが、運用延長され現在に至っているとのこと。



雲の多い空模様ながら、雨は完全に上がりました。
そして、風は期待通り、南南西から激しく吹いています。
◆ ◆ ◆
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。次は、サロベツ原野ライドと念願の抜海駅訪問、さらに稚内の夜のことなど綴っていきます。よろしければ続きもご笑覧ください。
▼ これまでのローカル線とブロンプトンの旅はこちらにまとめています。
わたしは、2020年に32年勤めた会社を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。そしてこのたび京都から北海道へ、今度は本物の(?)地方移住をいたしました。
noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。