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地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#3 中国山地から出雲へ③

2021年9月、ブロンプトンと一緒に、中国山地のローカル線とポタリングの旅を楽しんだ記録です。初日は広島から三次へ。そして2日目は木次線に乗り、宍道湖畔までやって来ました。これから湖畔を走り、松江へ向かいます。

▼ ここまでの記録はこちら。

◆ 宍道湖に沿って

宍道から松江までは、宍道湖南岸に沿う国道9号線をひた走ります。山陰地方の大動脈なので大型車の通行が多く、正直言ってあまり快適なライドにはなり得ません。
何はともあれ、まずは腹ごしらえをしたい。食べ損なった亀嵩の手打ち蕎麦や木次の焼き鯖を脳裏に浮かべつつ、ロードサイドの中華料理店で、鶏と筍炒めのランチを食べました。
芸備線~木次線とローカル線の旅を堪能し、合間に短時間ながら2回のポタリングまで挟んだのに、時刻はまだ14時前。早起きは三文の徳であります。もう一ヶ所くらい寄り道する余裕があるので、玉造温泉へ。
もとより、こんな時刻から温泉で温まってしまったら、先へ走る気力を失ってしまうので、温泉街の様子を一瞥して雰囲気を味わう程度です。
国道を逸れて、まず「玉造温泉駅」へ。山陰地方は実は隠れた名窯の宝庫で、ガイドブックによればそのうちの一つが玉造温泉駅のそばにあるとのこと。しかし、重量物や嵩張るものを買い込めないのは自転車旅の泣き所。店内に一歩足を踏み入れようものなら我慢できなくなってしまうのは目に見えているので、人気のない店内を外から眺めるだけ。
その先、玉湯川を遡って温泉街へ。玉造温泉というのは宍道湖畔に温泉街が広がっているものとばかり思っていましたが、少し山間の川に沿って細長く伸びる温泉街。なんとなく、山形のあつみ温泉と似た立地条件と雰囲気を感じました。
玉作湯神社へお参りし、無料の足湯で少し休憩。

▲ 玉造温泉の足湯♨️

宍道湖畔に戻り、松江まで最後の数キロ。途中、雰囲気の良い湖畔のカフェでもあれば一休みとも思っていましたが、望むようなものが見つけられぬまま、宍道湖大橋がぐんぐん近づいてきました。

◆ 松江市内ポタリング〜松江の夜

右にボーリング場が現れ、南から県道が合流するあたりから、湖畔にプロムナード整備されており、グッと雰囲気が良くなります。湖上には数本の松と鳥居を載せた嫁が島が、膨大な水の広がりに点景を添えています。

▲ 宍道湖のプロムナードで

宍道湖大橋を渡った先にある今宵の宿に立ち寄り、荷物を置かせて貰って、松江市内を一走り。
松江に来るのはこれが確か4回目で、町の佇まいが大好きなのですが、まともに観光したことがありません。仕事だったり、単なる中継地点として泊まるだけだったり。
なので、国宝の松江城も、今回が初めての訪問。

天守へ登ると、松江市街地と、宍道湖の絶景が眼下に広がりました。
鎧戸は開け放たれ、初秋の爽やかな風が吹き抜けます。
今日は少し雲が多いが、晴れた日の夕景など、比類ないものでしょう。

▲ 松江城
▲ 松江城天守からの眺望

願わくば、ここでビールでも呑みながら宍道湖の落陽を堪能したい。本当にやったら出入り禁止にされるだろうけど。

歩くよりも行動範囲が広がり、公共交通機関よりも行動の自由度が広がるのが、乗り慣れた自転車を旅先へ持って行くことの良さ。
松江城を辞してから、城下の堀に沿って城を一巡り、ふた巡り。
宍道湖と中海を繋ぐ大橋川の北に並行する商店街を、通りを変えながら行ったり来たり。
湖畔のプロムナードに行くと、そこは松江市民のランニングコース。邪魔にならぬようゆっくりと、宍道湖の夕景を楽しみながら走りました。

私があちこち旅するのは、将来の自分の居場所探しなのかもしれません。今の職場で定年後も再雇用して頂き働くのか、それとも人生百年時代、次の新たな生き方を探すのか、それはまだわからない。ただ、私の場合、何を、というのと同等かそれ以上に「どこで」が重要な要素だとも思われ、また今住んでいる京都が骨を埋めたい場所とは、少なくとも現在では思われないのです。
山の中で育ったためか、この町のように、美しい水辺の風景がある土地に憧れます。それが歴史ある城下町で、県庁所在地クラスのコンパクトシティとくれば、言うことはない。
ただ、東北で働いていた経験から、日本海側の気候の厳しさも身に染みています。冬になれば手が届きそうなところに黒雲が立ちこめ、雪に閉じ込められる。この気候と日本海側の自殺率の高さとは、無関係ではないでしょう。それに、温暖な土地の方が生活費も安いし…
そんな我儘を言い続けたら、キリがないんですけどね。

私の大好きな映画の一つ、ジョン=ウェイン主演「静かなる男」は、アイルランドのイニシュフリーという架空の村を舞台にしています。幼少期にアメリカへ渡った主人公が、長じて生まれ故郷へ戻って来るところから物語が始まるわけですが、皆少し変わったところのある登場人物は愛すべき人々ばかりで、悪人は一人も登場しない。メインストリートが一本きりの小さな村には海を見下ろす牧草地が広がり、マスが泳ぐ渓流が流れ、古城があり、アイリッシュローズに囲まれた古い小さな農家がある。
私があちこち旅して歩くのは、自分にとってのイニシュフリーを探しているからかもしれません。

宍道駅を出てから35キロほどのポタリングを終え、ホテルへ戻って、天然温泉の大浴場で汗を流し、フロントでお勧めの店を教えてもらって、もう一度夕暮れの町へ出ました。
島根県は全国でも感染症対策にはかなり敏感な土地で、緊急事態宣言が解除されてもなお暖簾を下ろしている店も少なくなく、また「県外からの方はお断り」「一見はお断り」といった貼り紙も少なくありません。そういう中、ホテルで教えてくれた店には問題なく入れましたが、カウンター席は使用しておらず、1人なのに個室へ通されました。

▲ 松江での一献

日本酒を2~3合。あとお造りなど頂いて、一人個室で長居するのも所在なく、夜の松江をぶらぶらと。本当に、美しい水辺の風景に事欠かない魅力的な町です。
もう一軒くらい入りたいところでしたが、コロナ禍の松江は、他所からの一見が身勝手に飲み歩くのが憚られる雰囲気もあり、結局ラーメンを食べてホテルへ戻りました。

◆ 足立美術館

翌日、空は雲に覆われ、水面には靄が漂っています。
何ヶ所か訪ねてみたいスポットがありましたが、その中から、まだ行ったことのない安来市の足立美術館を目指すことに。

今日は陽光に恵まれず、少し陰鬱な雰囲気の宍道湖畔を走り、さらに中海とつながる大橋川に沿って東へ向かいます。靄の漂う水面を一艘のカヤックが滑っていきます。あんなふうに、家のそばからボートに乗って、無心にオールを漕ぐことができる土地か…
中海の岸に出てからは、並行する山陰本線と絡み合いながら走り、安来市街地の手前から飯梨川を遡って行きました。

松江市内から30キロ弱のライドの後到着した足立美術館は、当地の出身で大阪を中心に不動産開発などで財を成した足立全康氏により設立された美術館で、日本最大と言われる横山大観のコレクションと、壮大な日本庭園が有名。ところが、私は今回の旅を計画するまで、その存在を知りませんでした。

その庭園は、米国の「ジャーナル•オブ•ジャパニーズ•ガーデニング」による日本庭園ランキング19年連続No.1なのだそう。私がこよなく愛する龍安寺の枯山水などを抑えてのトップですか…

実際、この庭は見事なものでした。背景の山には滝が掛かり、これが借景として色を添えています。この滝は何でも、この庭のために山を買取り人工的に造られたそうで、まあ、これはちょっとやり過ぎ感はあります。

この名庭園と日本画のコレクションを2時間ばかりもかけて堪能した後、飯梨川の堤防を走り、安来駅前にゴール。伯備線の特急「やくも」と新幹線を乗り継いで、明るいうちに京都へ帰れる頃合いでした。

「2泊2.5日」の短い旅でしたが、芸備線と木次線の汽車旅を楽しみ、三次、備後落合、木次、宍道湖畔と松江市内、さらに松江から足立美術館を経て安来までと、ブロンプトンならではのポタリングを重ねて見知らぬ土地の大気を感じることができました。コロナ禍の旅で、その土地のお酒や美味しいものを十分に堪能できなかったのがちょっと残念。それは次の訪問時の楽しみにとっておこう…

地方の人口減少が進み、鉄道が役割を終えて消えてゆく趨勢は止めようがないのかもしれません。
でも、ローカル線のある風景には、老若男女問わず、多くの人が心惹かれ、郷愁を感じるじゃないですか。だから、少しでも長く残ってほしいし、その有り様を心象風景に焼き付けておきたい。 
「ローカル線を応援するために僕らができることって、乗ることだけなんですよね」ーNHKの番組で六角精児氏がほろ酔い気分で語っていました。本当にそう。だから童心に帰って、もっとローカル線に乗りに行こう。ブロンプトンを連れて。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。これからも、ブロンプトンを連れてのローカル線の旅、ここに綴ってゆきたいと思います。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


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