見出し画像

#14 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/小江戸川越から春爛漫の飯能•高麗郷へ②

かつて暮らしていた川越へ「里帰り」し、ブロンプトンに乗って、武蔵野の春を満喫した2023年春の記録です。3月31日(金)は、入間川サイクリングロードを走り、飯能を経て、日高市の高麗郷へやってきました。

▼ ここまでの記録は、こちらです。この記事は、note公式マガジン「国内旅行 記事まとめ」と「 #旅のフォトアルバム  記事まとめ」、また「日本全国ルーツの旅・関東編」にピックアップしていただきました。ありがとうございます!


🔲初日 飯能〜高麗郷ポタリング(続き)

◆ 丘の上の花吹雪

巾着田のドレミファ橋のたもとにブロンプトンを停め、対岸へ渉り、高麗峠への山道へ分け入ります。森の中の小径に分け入ると、人の気配がめっきり少なくなりました。

▲ ドレミファ橋を渉って

高麗峠は、飯能と高麗郷の間にある丘陵の鞍部です。巾着田からは1キロほどの上り。風が梢を揺らす音だけを道連れに、山道を登っていきます。
もっとも、この道の東側は武蔵丘カントリークラブ、西側も新武蔵丘カントリークラブと国道299号線。その合間に辛うじて帯状に里山が残されているのです。

桜の種類はよくわからないけど、一足早く満開を迎えて散った山桜の花びらが、湿った土の上に落ちています。

路傍には、スミレ、タンポポ。
峠を越えると、道は平坦になりました。この少し先に、わたしの大好きな場所があるのです。

「ほほえみの丘」というその場所は、広々とした草地。周囲には、背の高い山桜が何本か聳えています。木製のテーブルベンチが3セットほど置かれていますが、草地の上に腰を下ろしました。
飯能から高麗へのハイキングコースなので、週末にはハイカーやピクニックで賑わうのでしょうが、平日の今日は人影もなく、時折風が吹くと木立が騒ぐのみ。
そして、新緑に満ちた空間に、花吹雪が乱れ飛びます。

▲ ほほえみの丘

就職のため上京した春から、高麗郷には何十回も来ているのに、この丘へ初めて来たのはつい3年前の春のことでした。
その年の3月、勤務先を早期退職したものの、同時期に世界を襲ったコロナ禍によって、計画していた長期の海外旅行に行けなくなり、しかも落車で右肘を骨折してしまったので自転車に乗ることもできずに、雇用保険などの手続きと通院、また再就職先の情報収集などで日々を過ごしていました。
ある晴れた日。いつも自転車で走っている道を、この機会に徒歩で辿ってみようと思い立ち、右腕を三角巾で吊ったまま川越から約20キロを歩いてきました。そして、高麗から飯能までは、自転車では入れない自然遊歩道を歩こうと、巾着田から峠を越えると、突然この風景が広がったのです。
その日、折しも稜線上の桜は満開でした。

そして今年も、最高の時期に、この場所へ戻ってくることができました。
できることなら、このまま、夜のとばりが降りるまで、ここで風の歌を聴き、花吹雪に包まれていたい。

◆高麗神社

後ろ髪を引かれる思いで丘を下って巾着田へ戻り、再びブロンプトンに乗って、日和田山麓の緩いアップダウンの道を駆け、高麗神社へ。

この神社は、天智天皇の治世であった666年に、唐と新羅の侵攻を受けた高句麗から大和朝廷へ使節として派遣された若光が祀られています。高句麗はほどなく滅亡、若光はそのまま日本にとどまり朝廷に仕えていました。703年、この地に高麗郡が設けられ、東国の高句麗人たちはここへ移住させられます。若光は郡の長官としてこの地の開発にあたり、その死後、その功績を偲んで高句麗人たちが彼を祀ったものです。
わたしも高麗へ来るたびに、ここを素通りするのは畏れ多くて、いつもお参りしていました。
今日は、桜が参道に舞い落ちて、薄桃色の花びらが彩りを添えています。

▲ 高麗神社

御朱印をお願いし、あとお守りを二つ購入しました。
「500円…じゃない!ええと…」
アルバイトと思われる窓口の女の子、金額を間違え、思わずため口が出て、照れ笑い。何ともかわゆい。
いいよ、おじさん、全てを許しちゃう。

雲が多くなり、日が翳って肌寒くなってきました。
高麗神社を後に、田園地帯を駆けていきます。この先はルートが少し複雑ですが、しっかり体が覚えていてくれるでしょう。

◆ 里山を駆けて川越へ

この先、県道飯能寄居線とJR八高線を渡って少し走ったところに、かつて久保下橋という、軽自動車が一台渡るのがやっとの細い橋がありました。橋そのものもさることながら、前後の区間は小さな酒蔵や桜の古木などもある雰囲気の良い道で、この辺りを走る時は必ずルートに入れていたものです。
しかし、2019年の台風18号で橋は流され、復旧は遅々として進んでいません。去年来た時、やっと工事の準備に取り掛かっている様子は窺えたのですが、どんな状況でしょうか。
気になって行ってみましたが、残念ながら、橋はまだ復旧していませんでした。来年のライドでは再び渉ることができるでしょうか。橋への取り付き道路の脇にあった桜の老木も、枯死してしまったのか、切り株だけが残されていました。

▲ かつての久保下橋
▲在りし日の 桜の老木

田園地帯の生活道路をのんびりと走ります。ここには地元の醤油蔵があり、そこが営む「醤遊王國」で、よく卵かけご飯を食べていました。地元の鶏卵を搾りたての醤油でいただくことができ、好物なのですが、今日はまだお腹も空いていないので、残念ながらパス。

田波目の交差点で県道を渡り、高萩方面へ。この付近にはリサイクル施設などがあるためか、大型車も少なくないようで、路面が荒れています。薄暗い雑木林を抜ける箇所などもあり、このルートの中では早く抜けてしまいたい区間でした。

しかし、肘を骨折して自転車に乗れずにいた2020年の春、馴染みのこのルートを徒歩で踏破する試みで、印象が随分と変わりました。いつも一気に駆け抜けてしまう沿道には可憐な春の花々が咲き乱れ、ただの残土の山としか認識していなかった雑木林の中の塚もスミレの花に埋もれていました。いつもは横目に通り過ぎるだけだった殺風景な小さなグラウンドもまた、満開の桜に彩られていました。

今日は、その桜花に包まれたグラウンドで、母と二人の子供が満開の桜花を見渡して感嘆の声を上げています。子供のうち一人は障がいがある様子。ご家族の苦労は、わたしなどには想像することも、軽々しく言葉にすることも出来ない。
でも、春はこうして、誰にも平等に巡ってくる。

遠くに見える市街地は、鶴ヶ島でしょうか。
向かい風になり、重いギヤを踏むのがしんどくなって来ました。
加藤牧場で小休止。荒川サイクリングロードの榎本牧場ほどではありませんが、地元の自転車乗りには知られた休憩スポット。放牧されている山羊や羊を眺めながら、ジェラートを頂きました。

このエリアの大動脈、国道407号線を横切って、雑木林と新興住宅地に中を通り、昭和レトロなモーテルを横目に見て、川越へ向かいます。このあたりからしばらくは、道は直線的な下り基調。武蔵野の面影を残す雰囲気も悪くありません。ただ、次第に交通量が増えてきました。

的場駅に近づくと、さらに車が増えました。踏切では数珠繋ぎ。ここは幹線道路を避けて、もう一度入間川の堤防へ出て、初雁橋を渡ります。空気が澄んでいれば富士山が綺麗に見える場所ですが、今日は春の靄の中に隠れています。

◆ 夕暮れの小江戸

川越市内へ戻ってきました。
まだ日は高く、飲み始めるには早すぎるので、蔵の街を一回り。
昔から贔屓のコーヒースタンドでホットコーヒーを買い、ペーパーカップを口に運びながら、自転車を引いて歩きます。
今はちょうど春祭りの開催期間、それに学生たちはまだ春休みということもあって、平日とは思えない人出の多さ。
蔵造りの家並みが並ぶ一番街の混雑は、京都の嵐山の暴力的な人ごみにも通じるものがあるんだけど、なぜでしょうか、不思議と避けて通りたい気がしません。

緊急事態宣言の夏、いつも一人で閑散とした通りに立ち、数少ない観光客に声をかけ続けていた人力車夫を見かけました。カップルを乗せた車をひいて、小走りにかけていきます。
日焼けした顔に浮かぶ笑みが何ともいい。

「もう一度、鯉のぼりのとこへ戻ろう」という女の子の声が聞こえました。
ああ、大正浪漫夢通りの鯉のぼり、もう始まったのか。

▲ 大正浪漫通りの空に泳ぐ鯉のぼり ※数年前の写真です

春の空に鯉のぼりが泳ぐ通りを歩き回り、蓮馨寺へ。
ここは、室町時代に、当時の河越城主•大道寺正繁の母である蓮馨が開いた寺で、徳川時代には幕府公認の僧侶養成所として葵の紋所を許されていたという歴史があります。
川越にはわたしの好きな寺社がいくつもありますが、ここもその一つで、自宅から比較的近かったこともあって、散歩やジョギングのついでに頻繁に立ち寄っていました。この境内の桜は、川越では中院の枝垂桜に次いで早く満開となります。明治初期の大火で焼け残った水舎、一際目を引くおびんづる様の朱色の巨体。その隣で、福禄寿と、東日本大震災からの復興を祈願して制作されたFRP製の和顔地蔵尊が、微笑みを浮かべ境内を見渡しています。

わたしは和願地蔵尊の愛らしい姿が特に好きで、お参りしたあとはその隣りに腰を下ろして、時にはお地蔵さまと心のうちで対話しながら、地域の人や観光客の行き交う境内を眺めていたものでした。今日も同じように腰を下ろします。わたしが川越を離れる直前はコロナ禍で、この境内も閑散としていました。ようやく、着物姿のカップルや、外国人の家族連れも多くなってきたようです。

▲ 夕方の蓮馨寺

◆ 小江戸酒気帯び散歩🍷

ホテルへ戻って汗を流したのち、再び薄暮の街へ出ました。
川越の飲食店にとってもコロナ禍の打撃は小さくなかったようで、むかし気に入っていた店のいくつかは、別のテナントに入れ替わってしまっています。

少し迷って、本川越駅近くのイタリアンに入りました。ここは、前も同様の業態でしたが、経営者が変わったよう。
どちらかというとグループで賑やかに愉しむ雰囲気の店でしたが、若い店員がさりげなく目を配ってくれ、おいしい料理とワインを堪能…って、最後の方は結構酔っており、何を食べたか記憶がありません。ただ、ここはまた来てもいいな、と思って気持ちよく店を出ました。

もう一軒くらい行きたい気分ですが、その前に、恐らくは今週末が見納めの夜桜を愛でながら、酒気帯び散歩することに。

川越で真っ先に開花し、春の訪れを告げる中院の枝垂れ桜は、残念ながら散り落ちていました。しかしライトアップされた新緑の瑞々しいこと。

▲ 夜の中院

例年、多くの露店が出て夜桜見物で賑わう喜多院は、先週末が見頃だったのか、想像していたほどの喧騒はありませんでした。しかし、ようやくこうして桜花の下で酒を酌み交わせる日々が戻ってきたのですね。

▲ 喜多院

住宅地の中の細道を抜けて、市街地北端の新河岸川へ。ここの夜桜と花筏も格別。

▲ 新河岸川の夜桜

ワインの酔いも醒めてきたところで、人通りがほとんど絶えた夜の蔵の街を南下して、クレアモールをぶらぶらと散策した後、おいしいギネスビールが呑みたいなあ、と、表通りから一本外れた住宅地に昔からあるダイニングバーへ。ここへ入るのは、もう20年ぶりくらいでしょうか。

カウンターで隣り合わせたグループと、コロナ禍後の川越の話、京都の話に花が咲き、グラスを重ねるうち、小江戸の夜は更けてゆきました。

◼️ ◼️ ◼️


ここまでお読み頂き、ありがとうございました。翌日は荒川サイクリングロードと北本の田園地帯を走り、明るいうちから蓮馨寺のワインフェスへ…よろしければ続きもお読みください。
これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?