【83】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 27日目 熊石〜岩内④ 2020年8月16日
2020年夏、「週末北海道一周」最終レグ。熊石をスタートして、夏の終わりの北海道西海岸を駆ける初日も最終盤、断崖絶壁が続く雷電海岸へと差し掛かりました。
▼ 「週末北海道一周」、ここまでの記録はこちらです。
◆ 雷電海岸を往く
寿都からの海岸線を気持ちよく北上し、道の駅シェル・プラザを過ぎると、いよいよ雷電海岸の長大トンネル地帯です。
まず短いトンネルを一つ抜けます。次が、雷電海岸のシンボルともいえる刀掛岩から名を取った刀掛トンネル・2754メートル。海側に旧道が分かれ、古いトンネルの坑口がコンクリートで封鎖されているのが見えます。
今日の前半戦で潜り抜けてきたトンネル群と違い、交通量がそれなりに多いので、ふらつかぬよう気をつけつつ駆け抜けます。
トンネルを走り抜け、脚を止めて振り返ると、鋭い牙のような刀掛岩が、岬の先端に巨立しているのが見えました。
学生の頃、この海岸線をクルマで走ったことがあります。1980年代半ばのことなので、今のような長大トンネルはなく、海岸線に短いトンネルやシェルターが連続していました。まだ薄暗い早朝のことでもあり、威圧的な断崖絶壁が恐ろしく、刀掛岩のシルエットも禍々しく目に映ったものです。
また、この旅の少し前に、NHK-BSで昭和40年の映画「飢餓海峡」が放送されました。その一場面で、岩内大火の最中に強盗殺人を犯した三人組の足跡を追って、刑事が雷電朝日温泉への山道を登っていくシーンがあり、背景に刀掛岩が映っていました。この映画の公開は昭和40年ですが、時代設定は昭和22年。かつてこのエリアの海岸にあったという雷電部落から登っていったのでしょうか。
当時は雷電峠を高巻きする険しい山道か、海に落ち込む断崖を伝っていく危険な踏み跡しか、陸路でこの険路を越えるルートはなかったようです。
当時の道路のことを調べてみようとネットで検索すると、世の中には廃道探索をライフワークとされている方が少なからずいらっしゃるようで、臨場感溢れるレポートが幾つも見つかりました。詳細はそちらに譲りますが、これらに掲載されている写真を見ると、高波、崩落などの危険と隣り合わせの難路だったことがよくわかります。
1048メートルの弁慶トンネルを抜けると、その先にはまた圧倒的な垂壁が聳えていました。今日は晴天だから、岩山に茂る木々も瑞々しく目に映り、自然の造形美に感嘆させられますが、もし荒れ模様の日に来ようものなら、その威圧感に恐怖心すら覚えそうです。雷電国道が開通する前のルートだった雷電山道は、こんな断崖の上を高巻きしていくしかないほどの険路だったということか。
その垂壁の根本に、本日のルートの中で最長の雷電トンネル・3570メートルが口を開けています。
何枚か写真を撮って、その中へ突入しました。気のせいかもしれぬが道が緩やかな上り勾配で、しかも北からの風が坑内を吹き抜けて、正面から当たってきます。背後から迫り追い抜いていくクルマも多く、路面のひび割れや穴も少なくありません。
こんなトンネルは一刻も早く駆け抜けたいのだけれど、トンネル内で落車したりしたら、後続車にはねられて右肘骨折程度では済まない可能性が高いし、本日の走行距離も160キロ近くなって、さすがに疲れも溜まってきました。路面に注意しながら、時速25キロほどで慎重に通り抜けます。
ようやく抜けた、と思いきや、さらに2本のトンネルが続き、それを過ぎるとようやく穏やかな渚沿いの道になり、人家も増え、やがて岩内の町に入りました。幅広い道の両側に低層の建物が並ぶ、北海道の町特有のがらんとした雰囲気ではありますが、人口1万2千人とこのエリアの中心的な町だけあって、商店も多く、市街地の広がりが感じられます。
◆ 星降る町で
北海道にはそこそこのご縁がある身でありながら、これが初めての岩内訪問です。
そこで、もし間に合えば、木田金次郎美術館には寄ってみたいと思っていました。
港に近い美術館の前の公園で脚を止め、ハムストリングと大腿筋のストレッチをして、靴を履き替えていると、ちょうど16時のチャイムが街に鳴り渡りました。美術館は18時閉館ということで、十分な時間があります。
有島武郎「生まれ出る悩み」のモデルとして知られる木田金次郎ですが、その作品の多くは昭和29年の岩内大火で灰燼に期してしまったそうで、展示されているのは晩年の作品が中心でした。
▼ 木田金次郎美術館
1時間ほど見学して、町の高台にあるホテルへ向かいました。フロントで駐輪場所を相談すると、施錠できる裏手の車庫の中に停めさせて下さいました。
旅装を解き、汗まみれのジャージーを脱いでシャワーを浴び、まずはタンパク質補給のためホテル前のコンビニで買ったサラダチキンを齧りながら、コインランドリーで二日分の洗濯。今回は4泊の旅なので、サイクルウェアも、また投宿地で身に着けるポロシャツや下着も、洗濯しながら先へ進まなければならないのです。
洗濯物を部屋に干して、ふたたび薄暮の街へ出かけました。
ホテルのある高台から坂を下りていくと、かつて国鉄の岩内駅があったバスターミナル周辺に、飲食店が集まっているエリアがありました。その中から、地元客で賑わっている居酒屋を選んで入り、見たこともないような厚切りの刺し盛りをつまみながら、ビールと日本酒を呑みました。
まだ呑み足りない感じでしたが、ホテルで洗濯しながら齧ったサラダチキンがまだ消化されておらず、そこへこの豪快な刺し盛りで、すっかり腹が膨れてしまいました。
店を出て、人気のない夜の町を歩いていくと、上空には満天の星が瞬いています。夜風は柔らかく涼しげで、屋内に入るのが勿体ない。
酔い覚ましにスポーツドリンクを買って、人気のない夜の町を歩き、小学校の玄関先の芝生に仰向けに寝そべって、闇に目が慣れて夜空に徐々に天の川が浮かび上がってくるのを待ちました。
会社を辞めたら、こんなスモールタウンで、何かささやかでも地域の役に立つことをしながら暮らしたい、などと思っていました。そして早期退職が認められ、そんな生活を実現できる絶好の機会が訪れたのに、結局は違う道を選んでしまった。そういう暮らしは5年後か10年後にとっておこう、新たな挑戦を通じてもっと成長すべし、と何日もの自問自答の末に心に決めてのことですが、今、こんな時間を過ごしていると、多少の後悔がなくもない。
スマホアプリのStarMapで夏の星座を同定しているうちに、足首や二の腕が何箇所も蚊に刺され、服は夜露でぐっしょりと濡れていました。
ー 第27日目 以上 ー
【本日の走行記録】
走行距離 169.3Km
走行時間 6時間30分
平均速度 26.0Km/h
獲得標高 1,752m
消費カロリー 2383kCal
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27日目の記録は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
翌日は、積丹半島を周回し、余市を目指します。よろしければ続きもお読みいただければ幸いです。
わたしは、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。