見出し画像

#18 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/南予のスモールタウンで出会った日本の原風景③

晩夏の南予をブロンプトンで走っています。初日は、下灘駅から瀬戸内の海岸線を走り、チェーントラブルに見舞われつつも、佐田岬半島の基部を横断。旧・保内町に到着しました。【旅行日 2023年9月2日】

▼ここまでの記録はこちらです。

◾️note 公式マガジン「旅のフォトアルバム 記事まとめ」で本稿をピックアップして頂きました。ありがとうございました♪

◆ 文明開化のかほり

空気は高い湿気を帯びています。ただ、京都のような暴力的蒸し暑さではなく、潮の香りを帯びた湿潤な大気は肌に優しく感じられました。
瞽女ケ峠から下り切ったところの三島神社に詣で、まずは保内の町中で、チェーンの応急処置に必要な物品調達を図ります。さしあたり、ねじれたコマを直すためのラジオペンチと、万が一に備えてコマを繋ぐ針金が欲しいところ。
ホームセンターや金物店が見当たらず、ロードサイドのドラッグストアを物色して、ラジオペンチと、針金がわりのゼムクリップを調達。駐車場の隅でコマの捩れを可能な限り修復しました。ピンが完全に外れる前に発見できたのが不幸中の幸い。
ただ、この旅から帰ったら、チェーン自体を交換せざるを得ないでしょう。

さて、用は済んだので、八幡浜へと先を急ごうとしたところ、「明治の街並み」の案内板が気になりました。
何の予備知識も持たぬまま保内を訪れたのですが、調べてみると、伊予銀行の前身である第二十九国立銀行の創業の地であり、東洋紡の前身のひとつである宇和紡績の創業の地であり、また、その工場での自家発電により愛媛県では初めて電灯の灯がともったりと、明治期には愛媛県の文明開化を主導する町だったそう。もともと天然の良港で、海運業で栄えていたことに加え、銅鉱山があったことなども影響しているようです。
ちょっと寄り道することにしました。

河口の橋の上でペダルを止めると、趣のあるコンクリート橋、煉瓦造の建物、柳が植えられた河畔の散策路などが見えました。

「明治の街並み」という表示から想像したような、レトロな建物が軒を連ねる風景ではありませんが、潮風に吹かれ時を経た味わいのある建物が点在していました。

少し足を伸ばすと銅鉱山の跡などもあるようで、心が動きます。しかしチェーントラブルで時間を食ってしまったので、少し裏通りへ入り込んでみる程度にしました。
このあたりの、平らな石を積み重ねた石垣は、亡き祖父母が住んでいた静岡の山中の風景を思い出させます。同じ中央構造線の縁にあることが、何かしら関係しているのでしょうか。

何の予備知識もなく、偶然立ち寄った保内は、美しい水辺の風景とノスタルジアが魅力的な小さな町でした。

◆ 昭和の街・八幡浜

造船所の周りをぐるっと回り、湾の南に突き出す半島への軽い登り。続いてトンネルを抜けると、そこは八幡浜港でした。
別府や臼杵とを結ぶフェリーの巨大な白い船体が目に飛び込んできます。

▲ 八幡浜港

朝食がコンビニのサンドイッチのみだったので、結構腹が減ってきました。まずは、湾をぐるりと回りこみ、対岸にある道の駅「みなとオアシス 八幡浜みなっと」を目指し、早めの昼ごはんとします。
先ほどの保内と同じように、このあたりも、港を取り巻く稜線のてっぺんまで段々畑が続いています。
雲が多い天気ですが、潮風が気持ちいい。

▲ 耕して天に至る

賑わう道の駅の一角にある食堂へ。このエリアへ来たら、やはり鯛めし。
11時20分頃に入店した時は、先客は1組だけだったのに、正午近くなって店を出る時は満席になっていました。

▲ 鯛めし

この先、リアス式の宇和海に沿って須崎海岸を目指し、峠を一つ越えて旧・宇和町を目指すつもりでした。しかし、何せ小心者なので、応急処置のチェーンで公共交通機関が整っていないエリアを走るのは、どうも心配です。
JR予讃線に並行する内陸の道に計画変更。

食事のあと、八幡浜の旧市街をしばしポタリング。アーケードの商店街は、昭和のまま。静まり返ったシャッター街を高校生の乗った自転車が、時折駆け抜けていきます。

▲ 八幡浜の旧市街にて

港から少し離れた八幡浜駅へ行ってみました。吹き抜けが立派な風格のある駅舎です。
実は、高校一年の夏、たぶんこの駅に降りたことがあるのですが、何ひとつ記憶が残っていません。その夏は、周遊券を手に、四国の国鉄全線を乗りつぶしに来たのでした。若さゆえ、ほとんど夜行列車や駅寝で旅費を浮かしていました。しかし旅も終盤戦のこの辺りでは、さすがに疲れていて、乗り継ぎの待ち時間も夢遊病者のように町をさまよっていたものです。

▲ 八幡浜駅

八幡浜から宇和へは、峠を越えて15キロ。
宇和町は、平成の大合併により、現在は西予市になっています。

◆ なつかしい家並みの町

西予市を訪ねようと思ったのは、その少し前に大阪で開催された移住フェアで、地域おこし協力隊として活躍している二人の若者と、いろいろと話す機会があったのがきっかけでした。それぞれ、異郷に移り住みながら、西予の風土やそこに暮らす人たちを愛し、その魅力を伝えようとする姿に感銘を受けたものです。名刺も貰ったのですが、今日は数時間の滞在なので、連絡は取らずにきました。
もう一つのわけは、高校生のころからの愛読書である、吉田桂ニ著「なつかしい町並みの旅」(新潮文庫)という本に、旧・宇和町が紹介されていたことです。著者の吉田桂ニ氏はは建築家で、精巧な家並みのスケッチもまた魅力的な作品です。

八幡浜から西予へは、200メートルほどの標高差を上っていきます。
八幡浜の旧市街地を出て、まもなく道は上り坂。さほどの急坂ではありませんが、チェーンに負荷をかけないよう、軽いギヤでくるくる回していきます。この道は八幡浜と西予をむすぶメインの幹線道路なので、交通量も多く、ふらつかないよう神経を使います。
人家が途切れました。湿潤な大気を封じ込めた森から、マイナスイオンやらフェトンチッドやらじゃなく、ミストサウナの如き蒸気が放出されているようで、ものすごい勢いで汗をかきます。ジャージーもレーパンも、まるで服を着て泳いだ後のようにずぶ濡れ。
夫婦岩という巨岩のある場所で、脚を止めて水分補給。ここは岩の前を単線非電化の予讃線のアーチ橋が横切っており、新緑や紅葉の季節など絵になりそう。

▲ 夫婦岩

さらに登ってゆくと、ふたたび森が開け、そこそこの規模の集落が現れました。峠の頂上に近いところにこれだけの、ひとつの村といってもいいほどの集積があるとは想像していませんでした。

笠置峠の下を貫く、下り基調の長いトンネルを抜けると、四方を山に囲まれた、穏やかな盆地が広がりました。早くも色づいて首を垂れた稲穂の波がどこまでも広がっています。その中に伸びる、平坦な走りやすい道を飛ばしていきます。わらで作った巨大なマンモスが目を引きます。

新しい住宅やロードサイドビジネスが目立つエリアを通り過ぎて、もう一走りしたところが、今日の目的地•卯之町でした。
まずは白木の香りが漂う卯之町駅に立ち寄り、無人の駅舎内でひと休みして、江戸期から残る古い町並み探訪へ向かいます。

▲ 卯之町駅

国道に並行して昔の駅前商店街があり、そのもう一本山裾寄りに、むかしの街道筋がありました。

▲ 卯之町の旧街道筋

わたしは小学生の頃、妻籠宿のある木曽谷の町で育ち、社会人になってからは小江戸川越で長年暮らしました。これらの街並みと比べて、この古い宿場町は俗化しておらず、とても静か。
物販や飲食店に改装された家は少なく、多くは今も人が暮らしているのか、蔀戸を閉じています。

古くから残る街並みを訪ねるのは大好きですが、特に建築に造詣が深いわけでもないので、地域による特色など、瓦の色や壁の材質などくらいしかわからず、ただ雰囲気を味わって感心するばかりです。ここでは、吉田桂一氏のよる40年前の描写におすがりすることとします。

山間ののどかな田園に囲まれて、秋の真昼の日を照りかえす白壁の町並みは、まどろむように静まっていた。
古い町並みは山裾にそって多少高みをゆく中ノ町のひと筋道にある。間口のひろい平入のいえもあるけれども、切妻や入母屋の妻型をきれいに並べた妻入りの町並みが目を引く。その殆どは二階を白漆喰の塗屋にして、袖壁を一階までおろしている。袖壁の頂部に瓦をのせて卯建の造りにしている家もある…(中略)…南予をゆく道は絵の中をゆくようで、まことに心楽しい。

吉田桂ニ「なつかしい家並みの町」新潮文庫

案内板によると、四国では妻入りの町家は珍しいそうで、それが入母屋と混在しているのがこの町並みの特徴だそう。さらに、明治・大正期の学校や教会も残されているとのこと。

▲ 旧•開明学校

開明学校は、松本にある開智学校を彷彿とさせる洋館です。

開明学校は多分に和風の味の濃い西洋館だから、白漆喰の町並みと殆ど同質に感じられる。しかし考えてみると、和風の味の強弱はあるにせよ、明治の西洋館というものは、おしなべてそれ以前の建物との連続性の上につくられており、それが環境との同化作用をもっていたのではなかろうか。

前掲書
▲ 教会の前で

江戸時代にこの地を統治していた宇和島藩は、蘭学が盛んな文化の先進地だったそう。吉田桂二氏は、シーボルトの娘がこの土地で育ち、日本初の産科医になったことに触れ、「混血の娘がここに住み、それを暖かく見守った町というだけのことが、その頃の日本の状況の中ではいかに並はずれたことだったのか。宇和は単なる田舎町ではなかった」と、その紀行文を締めくくっています。

西予市は、宇和海に面した海岸から、海抜1400メートルの四国カルスト台地まで、多様性に富む風土が特徴だといいます。また改めて、今度は地域おこし協力隊の若者たちにも連絡して、ゆっくりと訪ねてきたいものです。
15時16分発の特急「宇和海」に乗り、今宵の宿がある内子へ。

◼️ ◼️ ◼️

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。引き続き、内子で過ごしたかけがえのない時間のことを綴っていきます。よろしければ続きもお読みください。
これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

いいなと思ったら応援しよう!