導関数と飛ぶ矢は飛ばず
エレア派のゼノンのパラドックスというものをご存じだろうか。
古代ギリシャの哲学者ゼノンは数学的な矛盾をはらんだ考え、難問を展開した。
その中の一つに「飛ぶ矢は飛ばない」というものがある。
ぼくの言葉、解釈で簡単に説明すると
「動いてるものでもその瞬間を切り取ると止まっているはず。止まっているものを集めても動きにはならない。よって動いているものは止まっている」
といった趣旨である。(解釈違いがあったらごめんねゼノン)
一見確かにと思ってしまう考え方である。
全てのものは瞬間で見ると止まっている。まるで高性能カメラで一瞬を切り取ったかのように。
この逆説を大学の時に聞いたぼくは原付ライダーだったのですが、一時停止線で止まるたびに「いや、すべての物質は瞬間的に切り取れば静止しているはずだから一時停止線で止まる必要はないのでは?」などと危ない考えを巡らしていたものだ。
おかげでゴールド免許になるまでかなりの時間を要したものだ。
さて、先ほどの逆説だが、現実的には成り立たないことからどこかに間違いが含まれているということになるわけだ。
いったいどこがおかしいのか?
ここで高校数学で習う「微分」が登場する。
高校で微分を習った人で、大人になってからあれは何だったのだろうと思う人はかなり多いのではなかろうか。
塾で高校生に数学を教えていると微分がどういうものなのか、何をしている操作なのかわからない生徒はかなり多い。
詳しいことは省かせていただきたいのだが簡単に言うと「微分」とは「瞬間の傾きを求める操作」であると言える。
例えばグラフが速さを表すとしよう。
物体(例えば原付)が走るスピードは一定であるとは限らない。途中、加速したり減速したりする。
そのスピードを関数の式として表せるならば、その式を微分することによってその瞬間どのくらい加速しているのか減速しているのかがわかるのだ。
ざっくりいうとそんな感じ。ちなみに微分によって求められた関数を「導関数」と呼びます。
ゼノンは物体はその瞬間は静止していると考えたが、微分の考え方では時間を限りなく0に近づけたとしてもそこには速度があることが分かっている。
はい論破。
さて、一時停止違反で捕まったとして「いえ、その瞬間ぼくは確かに静止していました。瞬間の速さは0でした」と主張するのはやめた方がいい。
その場合、原付の速さの式は不連続な関数になってしまうし、何より道路交通法には勝ち目がないからだ。