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すぐに涙がでちゃうんです

涙もろすぎて困っている。
何を見ても聞いてもだ。
特に泣いている人をみたり…
がんばってる人とかその家族の姿とか、秒速で感情移入してしまう。
音楽はメロディや歌詞に感動して涙がでてしまう。
なんなら歌を聴いている人の真摯な表情でも涙が出てしまう。

どうしてだろう。
身体の変化もあるんだろう。
そういうお年頃だし。
それだけではないんだろうな。
自分の心の砦の門が全開になっている。
どうしてだろう。
いつから私は、その門を開放してるんだろうね。

そういうことを考えていると
私がだんだん自分の入り口を開放しはじめたきっかけが見えてきた。

「わかってもらえて嬉しい」

人の気持ちや言いたいことをわかってくれる人には、いろいろな事を話したくなる。

私は地域の高齢者の相談窓口である支援センターで相談の仕事をしていた。
ケアマネジャーとしての役割もあったが
介護予防の分野を担うというところで、
まだ介護保険のサービスを利用しなくても、自宅で自立した生活を送ることができる、がんばっている元気な高齢者と話す機会が多かった。

訪問した時には日頃の困りごとなんかを聞き取りした。

Aさん「最近、鍋を火にかけてる事を忘れるようになってきたの。前はそんな事なかったのに。何かある前に気がついて火を止めるんだけどね、気がつかなくて火事になったりしたらどうしようと思うと怖くて…」

私『火事は本当にこわいですからね、電子レンジを使ったり、IH調理に変えるっていうのもいいかもしれないですね』

Aさん「ほんとよねえ…そうしたほうがいいわよね」

こんなやりとりは、よくある。
この会話に、特に問題はない。

でもその人はもちろん、
火事がこわいし色んな予防の方法があることもちゃんとわかってるはず。
なんだかお互いにすこしモヤッとした空気が流れた。

私『…今まで一番気を付けて、忘れるわけないって思ってることを忘れるって本当にショックですよね』

相談者「そう…そうなのよ、本当に、それだけはやらないようにって今も思ってるのによ?
本当におちこんじゃったわよ、歳をとってしまったって実感しちゃって…
わかってくれてうれしいわ(続……」

忘れるはずないと思っていることを忘れてしまった。
そのことに自分がいかにびっくりして、ショックで落ち込んでいるのかを堰を切ったように話してくれた。
それから、その人はよく『気持ち』を話してくれるようなった。

面接や訪問の時にはいつもこの人は何をどういちばん感じていて、何に困っているのかを探るように面談や電話を受けた。

相談は本人からとは限らず、高齢のお父さんに自動車の免許返納してほしい息子さんや
隣のおばあちゃんが適切な介護をされていないかもしれない、と勇気を出して電話してくれた隣人、ガンで手術と言われているが、引きこもりの息子がいるので心配で入院できない高齢者本人など多岐に渡っていた。

その度に私はその人たちに憑依(?)して必死に考え、時には一緒に困ったり悲しんだり怒ったりしたものだった。

(もちろん、聞いて共感するだけでなく専門職としての対応をしていた(と思いたい))

門は開けるもんじゃない

(ダジャレではないです)
相談業務以外にも、他部署や他事業所合同での事例検討や、ケース検討でも同じようにどうにか理解を深めようと必死だった。
繰り返しているうちに、毎日が開放日になってていったんだろう。
その開放癖は無意識だったので、
もうどうやって閉めたらよいのかがわからなくなっている。
すぐに感情が動いてしまう。
涙腺のとこの回路がバカになっちゃってる様子…

そんな自己分析しながらも思うことは、
自分の心は開放してはいけなかったね。
専門職なら門の外で話を聞かないと。

そう反省しながら今日も『ポーラーエクスプレス』をみて泣いた。

読んでくれてありがとう。
(おわり)

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