【ドラマ「大奥」感想第3回】恋物語にときめかない女性の存在
家光・有功編が続きます。
今回は、原作にない森下脚本オリジナルが効いてました!女家光(千恵)が少女期に人としての尊厳を踏みにじられ続け、でも有功(お万)との出会いによって変化が…のパートなのですが、原作で言いたいことをオリジナルエピソードで見せてくれていて、間違いなく神回。
有功が気になり始めた女家光は、猫を贈ります。有功はこの猫に若紫と名を付け、女家光は源氏物語を読み始めます。そして、春日局は後一押しと有功に和歌を送るよう勧めます。
で、この源氏物語と和歌が脚本オリジナルなんですが、有功は
「上様は恋物語にときめいているように見えない。今、和歌を送る時機ではない」
というようなことを言うわけですね。
女家光は本物の家光が城の外で通りかかった女性をレイプしてできた子で、父が亡くなるとその身代わりに無理やり連れてこられ、母親は殺され、「千恵」という名も剥奪されます。男装も強いられます。
そればかりか、江戸城を逃げようとした時に男性に襲われてしまう。「初めての相手を、下手くそでつまらないという理由でお手討ちにした」と伝わる話の真相が明かされます。
女性性を徹底的に奪われ、女性であることにより大きく傷つき、「なのに女の腹だけ貸せという」(←ここもドラマオリジナルのセリフ)。
全て知っている、そして女家光をしっかり観察している春日局がこの点スルーなの?と思うのですが、とても恋物語にときめくような生い立ちではなかったわけです。
(春日局の「子を生めば忘れます。女とはそういうもの」という固定観念は、現代にも通じるジェンダー意識でもある)
そして、光源氏が女を都合のいいようにしている点も指摘します(女家光、原作では今後政治手腕を発揮するんですが、ここでも鋭い!)。
物語は脚本オリジナルの和歌を使って展開し、ここ本当に上手くて最大の見せ場だったのですが(号泣しました)、論点がぼやけるのでここでは割愛します。
実はこの回で、もう一人、恋物語にときめかない女性が登場します。女吉宗です。
原作と違い、ドラマの家光編は、ご右筆(記録係)が吉宗に記録を読ませる作中作という構成を取ります。
吉宗は「記録というより、読み物のようじゃのう。…褒めてはおらぬ」「歴代の色恋のあれやこれやを知りたいわけではない」と女家光と有功のエピソードに興味を持てない様子。
吉宗の方は家光のような凄惨な過去はなく、ナチュラルな資質として恋物語に憧れを持てません。
(本当はその歴代の色恋が政治、ひいては日本のありように影響していくんですが、この時点ではそう思われても仕方ない)
そういう女性も前面に出した回だったと思うのです。
【1.29追記】
春日局の「子を生めば忘れます」発言、ジェンダー意識の表れだけではないかも…と思い返しました。ドラマではまだ出てこないけど、春日局の半生もかなり壮絶なものだったはずで…。
子ども(稲葉正勝)の存在が、救いや支えになってきたところはあるはず。原作でも、春日局離縁の時に正勝(元服前だから「千熊」ですが)は自ら春日局と一緒に江戸に行くという選択をするんですよね。