農業の明るい未来へ 前篇
「農業」は人が育む原点である。
私は今山梨県笛吹市に住んでいる。
農家のせがれではないが、親父は農家の親戚の家で育ち、
農業のお手伝いをして高校まで卒業することができた。
親父は、自営業で私が小学校4年生まで車の修理工場を営む
傍らで、週末は親戚の農家にお手伝い、なので私は幼少時期から親戚の農家でアルバイト、小学生の時から一日農作業の仕事をすると5,000円のお駄賃
そして昼間は親戚の兄ちゃんが甘いカレーライスをご馳走してくれた。
小学生にしては大金を働いて稼いだ!なので 仕事=お金を勉強を
子供のことから経験できた!
とにかく親父は、働き者 生きていたことの口癖は、「どうせ死んだら
一生寝てられるずらだから、生きている間を一生懸命いきるずら」
私も兄貴も姉も 友達との遊ぶ時間よりも家族と過ごし、農業や親父の自動車整備のお手伝いの時間の方が長く、当時は親父のことを
めんどくさいな、友達を遊びたいと思っていました。
今振り返ると あの時に経験は今のなっては親父、おふくろに感謝である。
長い時間家族と過ごせた経験が財産である。
特に思い出に残っているのは、レンコンの農作業である。
12月の暮れにレンコンを掘りは、下半身が泥に埋まり、その中でれんこんを抜く作業、失敗するとレンコンが折れてしまう!
慎重にれんこくを掘った。
お昼にオヤジが出前のラーメンを注文して寒いながらもラーメンを食べた思い出も今ではいい思い出だ!
なので、私がそこそこラグビーの選手で活躍できたのも、農業の経験が活きていたと思う!
しかし農業を仕事にしようとは、これっぽちも思うことはなくサラリーマンになり、製造業で仕事をしてラグビーの監督をしていた。その後にラグビーチームのゼネラルマネジャーをしていたことの2014年の2月に歴史的な大雪が山梨の襲いました。
その時の状況はこの通り。
2月14日夕方から2月15日朝にかけては、特に甲信地方の山梨県で記録的な大雪となり、甲府市(1894年観測開始)で114 cm、河口湖(1933年〈昭和8年〉観測開始)でも143 cmと、いずれもそれまでの過去最深積雪を大幅に塗り替える積雪を記録した他、関東地方でも秩父市(1926年観測開始)で98 cm、前橋市(1896年観測開始)で73 cm、熊谷市(1896年観測開始)で62cm[12]、宇都宮市(1890年観測開始)で32cm[13] と過去最深積雪を記録した。
大雪の影響は、山梨の農家に大打撃を与えた。
山梨県はぶどう、もも、すももの産地である。
専業農家は冬に農作業で稼ぐためにハウスでぶどう、ももを栽培していた。
そのハウス農家の被害は深刻であった。
3月の入り、JAフルーツ山梨に働いている高校ラグビー部の同級生から
「日原、ぶどうのハウス農家のビニールハウスの倒壊の片づけを
ラグビーの選手で支援してほしい」8割の農家のビニールハウスが倒壊してしまったのである。
そこで土、日曜日を練習返上して、1日かけてお手伝いをしました。
その時に、山梨の農家の現状の切実なお話を農家さんから伺うことになった。特に印象に残ったことは下記の3つであった。
1.高齢化
2.後継者がいない。
3.耕作放棄地が増えている。
農家の現状を初めて知ってしまい、
これはなんとかしなければと思い
ある行動で出たのである。
続き 後編で!!ではまた!