新しい学校を燃やされたリーダーズ
ツイフェミと呼ばれる人種の言論のファクトの弱さは二次創作や個人アンチ執着アカウントの文脈から脱しきれていない痛々しさがある。
そりゃあ"ツイ"と頭につく、素人"フェミニスト"に学問の何たるか、提言の何たるかをわきまえてXに書きこめよというのも酷なのは分かっております。ただ、文章だけで完結してデータも文献も無しに"論じています"感を出すケースがあまりにも多いよな。ひろゆきのせいなの?と辟易しています。これは単なる愚痴です。
アイコンとは
ここからのアイドル論、アイコン論というのはかなり頷ける。制服、コスチュームは同性にとっては憧れでありつつ、異性にはそれを踏まえて性的な文脈で語られがちだ。個人的に、そんな性的な文脈は本人にバレないところでやるべきだろと思いますが。
今、この引用RPと関連ポストが少しばかり燃えているのだ。
セーラー服や学生活動のヘルメットに「うわっとなる」のも「やめて欲しい」と思うのも個人の自由だ。そして大きな問題は「朝ごはん食べてたら新しい学校のリーダーズが流れて」だと思う。これは後述する。
一番マジか!?とおもったポストがこれだ。
端的に言えば"新しい学校のリーダーズのパフォーマンスが制服に性的なイメージをつける"という主張だ。
……新しい学校のリーダーズが!?!?
吃驚仰天。主張は自由だが、こちらも自由な感想としてマジか!?と思ったので、書かせていただく。この件で私が吐き出したいのは、背景を知らずに一部を切り取るポリコレ仕草は鬱陶しいという愚痴と、背景を知らない層にオトナブルーはアリだったのか?という問いだ。
新しい学校なんだけど。
本件は、フェミ松速報なるまとめに
"【オバタリバン】新しい学校のリーダーズ、再びフェミニストに目をつけられる「制服で性的な歌を歌わないで!"
というタイトルで取り上げられてしまっている。
オバタリバンという言葉、誰が考えたのかセンスフルで嫌いじゃない。潔癖かつ過激すぎる"ツイフェミ仕草"をよく皮肉っている。もしかしたらポスト主をはじめ、ツイフェミ仕草をする多くがASD的性質をお持ちなのかもしれない。それほど白黒思考、視野狭窄で言葉ばかりが強い。正直、職場に居たら距離を置く、「揚げ足を取るのがコミュニケーション/議論だと勘違いしている人」の印象が強い。
新しい学校のリーダーズに関して軽く説明する。背景として、彼女たちのキャッチフレーズは「個性と自由ではみ出していく」。最初の制服論に寄せれば、セーラー服に求められる従順さ(海軍要素)、清廉さ(学生服要素)の枠をはみ出すために、つまりアンチテーゼとして彼女らはセーラー服を着て髪を振り乱しガニ股でコミカルな表情でパフォーマンスをしている。と、新しい学校のリーダーズをYouTubeもしくはライブで数曲聴けば受け取れる。おそらく、一般的な感受性の人間は。
なので、彼女らを見た感想として「違和感がある」はそうだよね、という感じだ。だって、そのための装置だ。恥ずかしいだとか品が無いだとかいう反応も正解だろう。それをSNSに書き込む品の無さは別として、制作意図はちゃんと受け取れている。
だが、"性的搾取をされる側のアイコンに見える"、というのはちょっと、あまりにも湾曲して捉えているだろという所感だ。
オトナブルー・ブルー
オトナブルーは元々2020年にシングルリリースされた曲で、ダンスのアイソレーションがSNSでバズり2023年の現在で人気となっている。「新しい学校のリーダーズ、エロいよね」なんて文脈でバズってる訳ではない。実際にそういうコメントが大多数としてつくのであればポスト主の「制服に性的なイメージがつく」も頷けるのだが、提示してくれていないので私の範囲で語る。私がアーティスト公式のtiktokやyoutubeをフォローして見てきた限り、新しい学校のリーダーズを"エロ"で見てる人間はそう多くはない。"真似したい"と思うのも一部だろう。真似、できるか?あれ。
という訳で、あの曲と性犯罪の相関データを出してもらえればまだ議論の余地があるが、該当の主張は今の段階では(あくまでも今の段階では)、"自分の嫌いなものを排斥したいポリコレ仕草"でしかないと断じておく。しかし、オトナブルーだけを聴いたら確かに、とも思う。いや一曲だけ知ってアーティストにこれだけ憎しみをぶち撒けるのヤバイだろ、と思うのだけど、まあ、オトナブルーは誤解されて仕方がない曲だ。
2019年から新しい学校のリーダーズを知っている身からすれば、オトナブルーはアクセントみたいな曲だ。彼女たちは主に扇情的な性愛を歌う訳ではない。アーバンギャルド松永天馬が作詞作曲した「恋ゲバ」なんかは特に性愛の色が濃く、しかも歳の差恋愛を示唆しているが、そのぐらいじゃなかろうか。あの曲、やたら怖いし。あとは試験前でヤバいだの、毛を剃るのを忘れただの、席替えでいいところに行きたいだの、そんな曲ばかりだ。そんな中でオトナブルーばかりがバズってテレビに放映されるのはかなり不幸なことに思う。グループにとっても、偶然見かけた視聴者にとっても。
深夜にこっそり見る
先述した通り、「朝ごはん食べてたら新しい学校のリーダーズが流れて」が問題だったのではないか。流れた映像が"オトナブルー"ではなく、"迷えば尊し"であれば、制服に「きちんとしろ」と押し付けたい層が眉を顰めるだけで済んだろう。
どんな文脈でも子供・制服を性的なアイコンとしてみる層はいる。それは事実である。オトナブルーは完全にそれを逆手にとったコメディだ。しかし、ポスト主のように扇情的だ、性的だと「間に受けてしまう」層がいるのもポスト主によって証明されている。テレビの前には、文脈を理解する能力や背景を察する能力に乏しい子供ももちろんいる。その層にオトナブルーだけをお届けするのは、間違いなく問題だ。
"子供が見る時間はダメじゃない?"というのが道徳的かつ自由なラインじゃないだろうか。
アングラなものがバズったからといって、それをそのまま公共性が高いメディアに載せるの、私は反対だ。好き勝手やる困ったアングラ・アーティストにフィルターをかけて、安全なものをお届けするのはテレビ局の仕事で、批判されるべきは怠慢な報道だ。性的だと勘違いしてしまう能力の低さが悪ではない。それをそのまま調べもせずに罵る社会性の無さと、そういった層(子供を含む)に配慮のないメディアを批判したい。
簡単な話、朝にぼんやり子供たちと見て会話できるコンテンツと、夜に大人がコソコソくすくす笑って見るコンテンツを分けよう。共に生きよう。どちらもインターネットに乗って会いに行けてしまうのが今世代の課題だが。
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