武田信玄の金山
戦国大名のなかには、領国内の金山に
目を向けて、統治に利用した中に、
武田信玄がいる。
しかし、武田信玄が金山に目をつけたと思われがちだが、信玄が当主になる、
ずっと以前から、甲斐国には、金山が
あることは、知られていた。
そうした金山の開発を担ってきた勢力が、金山衆と呼ばれる人々である。
甲斐国でもっとも知名度が高い金山は、黒川金山である。ここは、発掘調査により、享禄3年(1530)に稼働していた。その年は当主は父 信虎の時期にあたる。
信玄の時代には、灰吹法(はいふきほう)と呼ばれる新技術がつたわり、この頃から、金が増加している。
金山衆は、武田家に家臣化したといわりたが、現在は否定されている。
先に金山のインフラ整備をしていた金山衆に武田家などの領主が、後から影響力を持つようになったようだ。
金は家臣への褒美などで使われていたらしい。
金山衆は、戦争にも駆り出されることも、あったらしい。坑道掘りなどをさせられていたらしいが、
現在の軍隊でいえば、工兵隊の役割をしていたらしい。
今回の文章は、豊田隆雄先生の記述を
参考にさせていただきました。