私と満州 ①
これから、私の研究対象である、
満州について、月1回、短めの文章を
乗せていこうと、思います。
満州とは、現在の中国東北地方(遼寧省・吉林省・黒龍江省)である。
私が満州に興味を持ったのは、1990から連載していた、『龍(ろん)』という、村上もとかさんのマンガを読んでいたからである。
そのマンガは、戦前の閉塞した時代に、ハツラツと生きていった、一青年の青春と当時の中国について、描かれていた。漫画、完結までは、よんでいない。
次に興味を持ったのは、船戸与一 著
作の満州国演義という本、全9巻を10年がかりで、読了した。
私の心の中に、満州という原野が、住み始めた。
満州という土地は、中国を清という国が治めていたときの、清国の祖先の
愛新覚羅(あいしんかくら)氏が出た場所だ。そのため、清国は、ずっと、満州を清国皇帝の狩場にしていて、立ち入り禁止にしていた。
その清国が、衰え、イギリスとのアヘン戦争に敗北したことを、契機に、満州へのロシアの南下が、始まった。
明治維新を起こした日本は、国力をつけはじめ、当時の日本を蔑視し、国として認めていなかった朝鮮の領有を巡り、大国と思われていた清が、日本と激突する。
日清戦争である。この戦争に完勝した日本は、清に朝鮮の独立と遼東半島の領有を認めさせ、賠償金を得た。
しかし、ロシア、フランス、ドイツ、による三国干渉により、日本は、遼東半島を清に返還させられた。
その後、ロシアは、清から遼東半島の旅順・大連を租借して、旅順を要塞化し、大連の市街を開発した。
日本は、ロシアの南下政策に脅威をおぼえ、日本とロシアが激突する。
日露戦争である。日本の首脳部は、ロシアより、国力的に日本は、限界があると見越して、ロシアに一撃を与えて、外交交渉で、かたをつけようと考えた。
海軍は、ロシア本国から回航してくるバルチック艦隊を対馬沖で壊滅させ、陸軍は、遼陽、奉天の会戦で勝ち、旅順の要塞に多数の死者を出しながら、落とした。
そして、アメリカの調停で終戦した。
この日露戦争の勝利で、ロシアの遼東半島の旅順・大連や、満州の権益を手に入れた。
ここで、日本と満州との関わりが、始まる。
〜私と満州 ②〜へ続く。