がんばった 武田勝頼
武田勝頼。武田信玄が亡きあと、武田氏を継いだのは、信玄の子、勝頼。
あまりに偉大なオヤジと比べられて、
勝頼は愚かな武将だったというのが、
定説である。
現代で例えれば、長島茂雄と長島一茂
が、似ていると思われる(一茂さんは、
芸能人として、頭角を表していますが。)。
武田信玄は、信玄の能力もさること
ながら、武田二十四将といわれる優秀な
家臣団がいた。
信玄亡きあと、その優秀な部下との
軋轢も相当なものであったであろう。
長篠の戦いで、その部下のあらかたを失う大惨敗をきっするが、
勝頼は、あの喰えない真田昌幸を部下に従えて、使っていた。
これだけでも、相当の器量の男と見受けられる。
武田信玄は、上杉謙信と血みどろの戦いをしていたが、死ぬ前、勝頼に本当に困った時は、謙信を頼れと言っていた。
信玄は謙信のこと、深く認めていたのだ。
勝頼は、謙信と同盟し、織田信長、徳川家康、北条氏政などを向こうにまわし、互角に戦っていた。
武田勝頼は、暗愚な武将ではなく、
優秀な武将であった。