商の信長 農の信玄
武田信玄の甲斐と織田信長の尾張 の最大の違いは、尾張が商業に重点を置く
商業国だったとすると、甲斐、信濃などの武田の勢力圏は、あくまで、農業を基盤としている 農業国だった。
本拠地を次々と移動しながら、メインルートを「線」として支配していく
信長のやり方を「商の原理」とするなら、甲府盆地を本拠地としつつ隣接する
地域を「面」として支配し、治水や法整備など着実な領国経営を行っていく
信玄は、「農の原理」に基づくリーダーだった。
その違いが、端的にあらわれるのは、兵隊の戦闘力。
商業国と農業国が戦ったら、兵隊の強さでは、圧倒的に農業国のほうが、上なのである。
戦国時代は、土地の奪い合い。
農民にとって、土地は最も重要な場所。
農民は、土地のために必死に戦う。
商業国の兵隊は、土地に執着がない。
その必死さの違いであった。
上記は、作家の加藤廣(かとうひろし)先生の説。
この記述は信長と信玄の違いを表していて、目からウロコ だった。
信長は、弱兵だったので、鉄砲の導入がスムーズに進んだ。兵農分離を推進できたのも、商業国であったために、土地への執着が無かったため、うまくすすんだ。
加藤先生の信長と信玄の比較は、面白かった。
まだまだ、戦国時代は、研究の余地が
ありそうだ。