![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74227748/rectangle_large_type_2_e54db8e5c25c509e3ab0e73bf264f20b.png?width=1200)
どうせ余らせるのなら、信頼の余剰をつくりたい。
今日はどっぷりと寝た。
7時ごろに起きようと思ったのだけど、でも、お布団の気持ちよさを意識的に感じた方が、幸福度が高そうだ。それを味わいきって起きたら、10時前までお布団にゴロゴロすることになった。
人はいつまでも寝続けることってできるんだろうか?どんな時に起きようと思うんだろうか?
現実世界と夢の世界
寝ていた方が幸せなら寝るを選択する、起きてる方が幸せなら起きるを選択する、と仮定する。
寝ているときには、特に何も得ることはない。使うのは時間だけだ。でも、夢を見る人にとっては何かイマジネーションを得られる時間になっているかもしれない。
一方の起きている時というのはたくさんの変数に囲まれている。大好きなご飯を食べられる幸せもあれば、上司からの厳しい一言に凹むこともある。
自分のだらしなさに情けなくもなるし、身の回りの人への感謝が込み上げる充実感もあるかもしれない。
でも、トータルして起きている時間の方が幸せを感じられるのなら、人はだいたい目を覚ましたくなるのではなかろうか。
それでも寝続けるというなら、贅沢極まりない。
もったいないは贅沢の入り口
そう、たくさん寝るということは、もったいない時間の使い方をしているということに他ならない。
そして、このもったいないこそが贅沢の入り口なのだ。そして、もったいないことをしているというとき、人は余剰をつくりだしているといえる。
必要以上な睡眠は時間の余剰を満喫することだし、ケーキを食べるのも栄養素の余剰を摂取することであるし、ブランド品を買い漁るのも金銭の余剰を堪能することだ。
かつて、余剰があることは権力の象徴とされていた。
たくさんの領土を持つ人が偉かったのだし、米をたくさん年貢として納められる場所がすごかったし、もっと昔に遡るとよくわからない形の造形物(土偶)がたくさんあるほど権力があるとされていた。
今だってその構図は変わらない。
人間関係の余剰がフォロワー数となり、それが権力に一部繋がっている。インフルエンサーも余剰が産んだ、影響力の見える化だ。
何を余らせていたいか
付き合いきれない数の人たちと繋がっているのがSNSによってもたらされた新しい人間関係の形だ。
だから先にもあげた人間関係の余剰が生まれてくる。
今の時代、どんなものを余らせたいだろうか。昔に比べて生きるために必要な時間は少なくなった。農業にかける時間は多くの人は持っていない。代わりに労働を提供してお金を得ている。
あらゆるものへの交換を考えると、金の余剰は確かに良いのかも。でも、お金はどこかで信頼のやりとりって言ってたような。
そう考えると、信頼の余剰なんていうものはどうだろう。
すごく難しいかもしれないけれど、どうせ余らせるのなら信頼が良い。約束を守ること、丁寧に接すること、リスペクトを忘れないこと。
信頼を積み上げるためには長い時間が必要だ。だから、大変なことも多いけれど、コツコツ積み上げ続けていきたいな。
たくさん寝たことによって得た気づき。それでは、明日も続きます。
いいなと思ったら応援しよう!
![ヒグ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92581668/profile_13c10c189e2f46732302809fea0798c4.jpg?width=600&crop=1:1,smart)